読み始めて44頁あたりで、涙が湧き上がるのを感じた。こんな経験は初めてだった。著者の力量を感じた瞬間だった。13歳のボビー・コールという少年が、列車に轢かれて命を落とした。その葬儀の席でこの物語の語り手フランクの兄的存在のガスの言葉だった。
1961年の蒸し暑い夏、ミネソタ州のニューブレーメンに死が様々な形をとって訪れた。事故、自然死、自殺、殺人。40年後、振り返り語るのはフランク・ドラム。死と向き合う理性と感情の相克を描いて読む者を魅了する。叡智の恐るべき代償と、神の恐るべき恵みについて。
ドラム家は牧師の父ネイサン、母ルース、姉アリエル、弟ジェイクという家族構成。アリエルはジュリアード音楽院へ行こうかという才能の持つ主。ルースもピアノの名手でソプラノの歌声で魅了する。日曜日の礼拝には母と姉が讃美歌のパートを受け持つ。フランクとジェイクは、教会の後ろの方でその様子を眺めるのである。
ボビー・コールの事故、名もない人の自然死。アリエルの音楽教師エミール・ブラントの自殺未遂、そして平和な家庭を悲劇のどん底に叩き込んだ、アリエルの他殺体をフランクが発見。重苦しい空気が何日も続く。徐々に人々は生気を取り戻し始めるが、母ルースの回復には時間がかかりそうなのだ。それでもフランクの犯人を捕まえたいという執念は燃え続けていた。
アリエルを埋葬のあと、教会の懇談室での食事会。父の「どなたか、食前の祈りを捧げたい方はいらっしゃいますか?」「僕がやるよ」と呼応したには、どもり癖のある弟ジェイクだった。フランクは祈った。「ああ、神様、僕をこの拷問から連れ出してください」
ジェイクが「天にまします我らが父よ、この食べ物と、これらの友と、私たち家族への恵みに対し、感謝します。イエスの御名において、アーメン」ジェイクはどもらずにすらすらと言った。このありふれた祈りがジェエイクに好結果をもたらす。どもり症が治ったのである。そしてフランクの執拗な犯人探しが、意外な犯人で幕を閉じる。
もう八十を過ぎた高齢でおぼつかない足取りの父と、長身で優雅な身のこなしのメソジスト教会の牧師になったジェイクと、セントポールのハイスクールで歴史の教師をしているフランクの三人が、鬼籍に入った人たちの墓参りに赴く。もう母もいない、近しい人たちもいない。わが身に置き換えても寂しさが迫ってくる。記憶に残る一冊になった。
この本に限らず多くのミステリー本にも言えるが、生活感も感じることができる。この本で言えば朝食はなんだろう? 夕食は? アメリカのことだからサンドイッチが多い。例えば夕食、ツナ・キャセロールとジェロー・サラダ。毎朝、毎夕フランス料理というわけにもいかない。車や音楽にしても、また生活環境にしても、今とは全然違う。蒸し暑い真夏の夜、フランクの家はエアコンはない。富裕な金持ちたちにはエアコンがあった。日本のその当時を振り返れば、扇風機でしのぐのが関の山だった。歌手は、「プリティ・ウーマン」のロイ・オービソン、「悲しき街角」のデル・シャノン、「アンフォゲッタブル」のナット・キング・コール。車は、馬鹿でかいアメリカ車。日本車の影も形もない。
著者ウィリアム・ケント・クルーガーは、1950年、オレゴン州生まれ。さまざまな職を経て1998年に発表したデビュー作「凍りつく心臓」でアンソニー賞、バリー賞の最優秀新人賞を受賞。2013年に発表した本書は、アメリカ探偵作家クラブ賞(エドガー賞)、バリー賞、マカヴィティ賞、アンソニー賞の最優秀長編賞を受賞した。「煉獄の丘」「血の咆哮」など、元保安官を主人公にしたコーク・オコナー・シリーズが好評である。
せっかく歌手の名前もあげたので、デル・シャノンの「悲しき街角」はいかがでしょうか。その頃を偲ぶのもいいかもしれない。