自分の年齢を意識して感慨にふける瞬間は、どの年代にもあるのではないかと思う。
10代の頃は「まだ18か、早く大人になりたい」と思っていたし、20代では?????どうだったか忘れた。多分、女の子に夢中になって年齢なんて考えなかったのかもしれない。
30代、26歳ぐらいから体は老化への道を歩み始めると聞いていたが「まだ37だよ」と楽天的だった。過去の時間と未来の時間が丁度半分ずつだからね。
40代、これは仕事も忙しいしお金の面もやりくりに忙しい。肉体的には、疲れが溜まりやすくなってくる。そのくせ他の女性に興味を持ったりする危険な年齢。
50代は、定年が見えてくるし体力の衰えも顕著。60代、これが意外に開放感に包まれて、人生で一番楽しい年代とも思うこともあった。
60歳以上になると自分の年齢を意識することが多くなる。健康診断で血圧が高いといわれ精密検査の結果薬を飲み始める。勿論、日々の運動も欠かせない。とにかくだましだまし使っているみたいになる。
自分の年齢を書くときとか、老眼鏡を買うときとか、政治家や俳優の名前が思い出せないときとか、もっと深刻なのは性的に衰えたと自覚するとき、年齢を意識するのではないだろうか。
今日(4月14日)新聞に自民党青年局長の小泉進次郎の記事があった。2月11日に復興支援として福島県を訪れ住民の声を聞いて回り、楢葉町で桜の植樹をしたとき「30年後、一緒に花見をしましょう」と言った。この30年後をこともなげに言えることがうらやましいし妬ましい。このとき自分の年齢をいやというほど意識させられる。私の30年後は恐らく無いはずだから。
自分の年齢を書くときとか、字が見えにくくなったとかは日常のことで慣れていて、もはや身についてしまっている。この30年後というのはどうしょうもない隔たりを感じるからだろう。
それも一瞬で、大リーグ中継を観ながら昼ごはんに何を食べようかとか、買い物があるとかに移っていくから、人間なんて他愛ないものではある。