別冊 太陽 子供の昭和史 「少女マンガの世界 Ⅱ」平凡社 1991年10月刊 大型本163ページ 昭和38年~64年
子どもの昭和史少女マンガの世界 Ⅰ 昭和20年~37年も有ります。 ちなみにアマゾンでは最低4,700円からの値段がついていますが、私は発売当時に買いました。当時はマンガ雑誌、コミックスはあまり買っていませんでしたがこういうムック本でマンガ関係は興味が有り買っていました。今、良い資料になってます。
さすがに私は昭和20年代のマンガはリアルタイムでは見ていません。(昭和28年生まれなもんで) なんとなく覚えているのは30年代後半に入ってから。
少女クラブより変身した少女向け週刊マンガ雑誌 「週刊少女フレンド」 が創刊されたのが昭和38年(1963)の1月1日、少女ブックを基盤とした、「週刊マーガレット」 が創刊されたのが昭和38年(1963)の5月12日と半年も空けずに少女マンガ雑誌も週刊の時代に入っていきました。当時各50円。いづれも創刊号の表紙は外国人少女の写真です。初めてのマンガ(イラスト)の表紙は確か、マーガレットで水野 英子先生と覚えていますが、間違っていたらどなたか指摘してください。
私と少女マンガの原風景は、風邪で一人寝ていた布団の中。母が買ってきてくれたマーガレットだかフレンドをぼーっとした頭で繰り返し読んでいる情景。その前にも少年向けのコミックスを読んだことはあったと思いますが、月刊の少女雑誌は買ってもらっていなかったので、少女マンガ経験は週刊誌が出てきた10歳くらいのことだと思います。とても気に入ったので、続けて買ってもらうように頼んだと思う。毎週見ていたと思うので。
少女フレンド 創刊号から連載の ちばてつや氏 「ユキの太陽」 は好きで覚えています。その後のフレンド作品 「島っ子」 「アリンコの歌」 「テレビ天使」 なども名前を聞くとあああったあったと思い出しますね。
この本の中で久しぶりに絵柄を見て思い出したのが 「カナリヤ少女」 藤木靖子原作、中島利行まんが。確かデパートガールのお話ではなかったか。主人公が失敗したかで落ち込んでいたとき、全体朝礼の社長の訓示の中で、お客様から笑顔が良かったと褒められた店員として名前を呼ばれ、自信と誇りを取り戻すシーンが子供心に 仕事ってこういうものなんだ と印象に残っています。
わたなべまさこ氏はマーガレット中心に描いていて、「ミミとナナ」 「亜紀子」 等の少女の夢いっぱいのファッショナブルな絵を描かれていた。
水野英子氏 もマーガレット系に描いていて、私は 「ハロー・ドク」 「すてきなコーラ」 「赤毛のスカーレット」 「セシリア」 「白いトロイカ」 などに夢中になった。当時一番好きだった先生。
細川知栄子氏の 「なくなパリっ子」 は覚えているが、うっ、あの豪華絢爛な絵柄が当時からあまり得意でなくて・・・。でもなぜかラストシーンはよく覚えていて、「アデュー、アデュー、オールボワール さよなら さよなら お元気でね」 というセリフとコマ絵まで憶えています。(なぜ? フランス語が珍しかったか) 子供の時の記憶って凄いのね。
他にも 細野みち子氏 代表作 「おはようエルザ」 や北島洋子氏 代表作 「スイートラーラ」 (これはりぼん) とか、関谷ひさし氏、赤松セツ子氏、木内千鶴子氏、今村洋子氏、巴里夫氏、武田京子氏などなど、懐かしいお名前と図版がこの本にはどっさり。
フレンドやマーガレットでも、少し時代が下がった41年~42年頃から活躍する 峰岸ひろみ氏 や 飛鳥幸子氏、里中満智子氏 などは少女まんが週刊誌で読んだ記憶がないのです。もう中学に入った頃だったので、読む雑誌が変わっていたのですね。
あまた居るまんが家さんの中で、私が一番衝撃を受けたのは、西谷祥子氏 の登場でした。私が見た初めての作品は 「わたぼうし」。 あんまり気にいったので、小学校の卒業記念祭の 「将来何になる?」 で 「サイボーグ009」 や 「鉄腕アトム」 「水野英子氏のイラスト」 とともにB全に模写してベレー帽をかぶり、舞台に上がって 「まんが家になる!」 とぶち上げたものだ。(恥) 隣に立ってた子はバイオリニストになると言ってバイオリンを弾き、その又隣の子はカメラマンになると言ってカメラを構えて見せたのに。 恥ずかしの証拠写真 ↓
「マリィ・ルウ」 「ジルとmrライオン」 「レモンとサクランボ」 「われら劣等生」 などが好きでした。少し下って 「セブンティーン」 44年頃の 「ジェシカの世界」 も憶えています。
この本の中に西谷氏のインタビューが見開き2ページ有り、デビューのいきさつや初期作品の出来るまでが書かれています。これによると 「レモンとサクランボ」 は自らの楽しかった学園生活を下敷きにしているらしい。又、水野先生のロマコメに対抗して、自分は主人公の年齢を下げて 「マリィ・ルウ」 を描いたとか。
今、夜さんから大量の西谷氏のコミックスをお借りしています。あれほど熱狂したのに自分では氏のコミックスを1冊も持っていないのです。なぜだろうと考えるに、たとえば氏の代表作 「レモンとサクランボ」 は昭和41年 週マ に連載。私は中学1年生、なんとかマーガレットを読んでいる頃ですが、マーガレット・コミックスの 「レモンとサクランボ」 が出たのは昭和43年(1968)の3月31日初版。私は中3です。その頃にはCOMだガロだとマンガ青年誌の方に興味が行ってしまっていて、コミックスを買うほどの思いは残っていなかったのでしょう。
かくして 西谷祥子氏 と出会い、読みながら私の少女時代 (小学生~中学生前期) は終わりを告げたのです。
西谷祥子氏ファン倶楽部さんというHPの中の作品リストで管理人さんの模写画像が少し見られます。→ 西谷 祥子作品リスト
↑ こちらのHPの他のページでは週刊誌、月刊誌、コミックス、当時売っていた西谷先生イラストのガムの包み紙など見られます。記事も面白いですよ !
その後、どっとデビューした24年組さんたちは週刊誌、月刊誌ともにリアルタイムで見ていないのです。団塊の世代 (24年組さん) に遅れてきた私の年 (28年生まれ) はちょうど作り手になるには遅れ、読者になるには早すぎた中間の年代なのでした。
いゃ、だから、デビューはいつでもできるから・・・。
子どもの昭和史少女マンガの世界 Ⅰ 昭和20年~37年も有ります。 ちなみにアマゾンでは最低4,700円からの値段がついていますが、私は発売当時に買いました。当時はマンガ雑誌、コミックスはあまり買っていませんでしたがこういうムック本でマンガ関係は興味が有り買っていました。今、良い資料になってます。
さすがに私は昭和20年代のマンガはリアルタイムでは見ていません。(昭和28年生まれなもんで) なんとなく覚えているのは30年代後半に入ってから。
少女クラブより変身した少女向け週刊マンガ雑誌 「週刊少女フレンド」 が創刊されたのが昭和38年(1963)の1月1日、少女ブックを基盤とした、「週刊マーガレット」 が創刊されたのが昭和38年(1963)の5月12日と半年も空けずに少女マンガ雑誌も週刊の時代に入っていきました。当時各50円。いづれも創刊号の表紙は外国人少女の写真です。初めてのマンガ(イラスト)の表紙は確か、マーガレットで水野 英子先生と覚えていますが、間違っていたらどなたか指摘してください。
私と少女マンガの原風景は、風邪で一人寝ていた布団の中。母が買ってきてくれたマーガレットだかフレンドをぼーっとした頭で繰り返し読んでいる情景。その前にも少年向けのコミックスを読んだことはあったと思いますが、月刊の少女雑誌は買ってもらっていなかったので、少女マンガ経験は週刊誌が出てきた10歳くらいのことだと思います。とても気に入ったので、続けて買ってもらうように頼んだと思う。毎週見ていたと思うので。
少女フレンド 創刊号から連載の ちばてつや氏 「ユキの太陽」 は好きで覚えています。その後のフレンド作品 「島っ子」 「アリンコの歌」 「テレビ天使」 なども名前を聞くとあああったあったと思い出しますね。
この本の中で久しぶりに絵柄を見て思い出したのが 「カナリヤ少女」 藤木靖子原作、中島利行まんが。確かデパートガールのお話ではなかったか。主人公が失敗したかで落ち込んでいたとき、全体朝礼の社長の訓示の中で、お客様から笑顔が良かったと褒められた店員として名前を呼ばれ、自信と誇りを取り戻すシーンが子供心に 仕事ってこういうものなんだ と印象に残っています。
わたなべまさこ氏はマーガレット中心に描いていて、「ミミとナナ」 「亜紀子」 等の少女の夢いっぱいのファッショナブルな絵を描かれていた。
水野英子氏 もマーガレット系に描いていて、私は 「ハロー・ドク」 「すてきなコーラ」 「赤毛のスカーレット」 「セシリア」 「白いトロイカ」 などに夢中になった。当時一番好きだった先生。
細川知栄子氏の 「なくなパリっ子」 は覚えているが、うっ、あの豪華絢爛な絵柄が当時からあまり得意でなくて・・・。でもなぜかラストシーンはよく覚えていて、「アデュー、アデュー、オールボワール さよなら さよなら お元気でね」 というセリフとコマ絵まで憶えています。(なぜ? フランス語が珍しかったか) 子供の時の記憶って凄いのね。
他にも 細野みち子氏 代表作 「おはようエルザ」 や北島洋子氏 代表作 「スイートラーラ」 (これはりぼん) とか、関谷ひさし氏、赤松セツ子氏、木内千鶴子氏、今村洋子氏、巴里夫氏、武田京子氏などなど、懐かしいお名前と図版がこの本にはどっさり。
フレンドやマーガレットでも、少し時代が下がった41年~42年頃から活躍する 峰岸ひろみ氏 や 飛鳥幸子氏、里中満智子氏 などは少女まんが週刊誌で読んだ記憶がないのです。もう中学に入った頃だったので、読む雑誌が変わっていたのですね。
あまた居るまんが家さんの中で、私が一番衝撃を受けたのは、西谷祥子氏 の登場でした。私が見た初めての作品は 「わたぼうし」。 あんまり気にいったので、小学校の卒業記念祭の 「将来何になる?」 で 「サイボーグ009」 や 「鉄腕アトム」 「水野英子氏のイラスト」 とともにB全に模写してベレー帽をかぶり、舞台に上がって 「まんが家になる!」 とぶち上げたものだ。(恥) 隣に立ってた子はバイオリニストになると言ってバイオリンを弾き、その又隣の子はカメラマンになると言ってカメラを構えて見せたのに。 恥ずかしの証拠写真 ↓
「マリィ・ルウ」 「ジルとmrライオン」 「レモンとサクランボ」 「われら劣等生」 などが好きでした。少し下って 「セブンティーン」 44年頃の 「ジェシカの世界」 も憶えています。
この本の中に西谷氏のインタビューが見開き2ページ有り、デビューのいきさつや初期作品の出来るまでが書かれています。これによると 「レモンとサクランボ」 は自らの楽しかった学園生活を下敷きにしているらしい。又、水野先生のロマコメに対抗して、自分は主人公の年齢を下げて 「マリィ・ルウ」 を描いたとか。
今、夜さんから大量の西谷氏のコミックスをお借りしています。あれほど熱狂したのに自分では氏のコミックスを1冊も持っていないのです。なぜだろうと考えるに、たとえば氏の代表作 「レモンとサクランボ」 は昭和41年 週マ に連載。私は中学1年生、なんとかマーガレットを読んでいる頃ですが、マーガレット・コミックスの 「レモンとサクランボ」 が出たのは昭和43年(1968)の3月31日初版。私は中3です。その頃にはCOMだガロだとマンガ青年誌の方に興味が行ってしまっていて、コミックスを買うほどの思いは残っていなかったのでしょう。
かくして 西谷祥子氏 と出会い、読みながら私の少女時代 (小学生~中学生前期) は終わりを告げたのです。
西谷祥子氏ファン倶楽部さんというHPの中の作品リストで管理人さんの模写画像が少し見られます。→ 西谷 祥子作品リスト
↑ こちらのHPの他のページでは週刊誌、月刊誌、コミックス、当時売っていた西谷先生イラストのガムの包み紙など見られます。記事も面白いですよ !
その後、どっとデビューした24年組さんたちは週刊誌、月刊誌ともにリアルタイムで見ていないのです。団塊の世代 (24年組さん) に遅れてきた私の年 (28年生まれ) はちょうど作り手になるには遅れ、読者になるには早すぎた中間の年代なのでした。
いゃ、だから、デビューはいつでもできるから・・・。