集英社刊 山岸 凉子傑作集 3 1973年9月10日 りぼんマスコットコミックス
夜さんにお借りしています。
前回に続いて りぼんコミックス 初出の作品から。表題作の 「白い部屋のふたり」 はさんざん記事の中で書いときながら、読んだことがない作品だったのですが、夜さんがお持ちということで今回お借りして読むことが出来ました。夜さんありがとうございます。m(_ _)m
初出は りぼんコミック 1971年2月号で、その頃私はりぼコミ読者だったのに覚えてない・・・。毎号買ってたわけじゃないので飛んでいたのかも
当時びっくりの女性同性愛者を扱ったものですが、際どいシーンはまったく無し。キスシーンがちょっと、という程度ですが当時は男女の恋愛ものでも、キスシーンが少女たちには充分クライマックスでどきどきタイムでした。
当時私たちは エス とか呼んでましたけれど、ジュニア小説等ではそれらしきものはありました。が、ペギー葉山の 「学生時代」 のような
姉のように慕い~~
の表現だったと思いますがね~。
お話は・・・
両親が交通事故で死んだレシーヌが財産狙いの叔母の家に入るのを嫌い、良家の子女の入る寄宿学校へ入る導入部から。同室になったシモーンというテニスの上手いカッコイイ少女はレシーヌばかり見ている (ような気がレシーヌはする) 一方のレシーヌも要領の好い問題児シモーンを不良と思いながらも気になって行く。
ここから一気に相思相愛になるわけではなく、学園祭の 「ロミオとジュリエット」 が入ったり、私たちのは 友情 よと言い張るレシーヌのためにシモーンがボーイフレンドを紹介したりいろいろあるのですが、どうやらシモーンの方ははっきりレシーヌを好きだと自覚しているゲイ (もしくは両刀) らしい。
今読むと、どこが気に入ってシモーンがレシーヌを思い始めたのか、動機がイマイチわからないのですが、(単に好みのかわい子ちゃんだったから ?) シモーンに好きだと告げられたレシーヌの狼狽振りはよく分かる。
必死に否定し、ボーイフレンドとデートし、
「あなたは自分を汚したくないだけよ、皆と同じレールから外れるのが怖いのだわ」
と詰め寄るシモーンから逃げる為に転校までして忘れようとします。そこに届いたシモーンの死の知らせ。彼女はわざと付き合っていた男の子を挑発し、まるで自殺するように殺されたのでした。
シモーンに死なれて初めてはっきりと自覚した愛に、レシーヌは死ぬことも叶わず石の心を抱いて生きるのみ、それは愛に命をかけた相手から逃げたレシーヌの罪の代償。涙と苦悩の中でのラストとなります。
この作品、雑誌 「クレア」 の1992年9月号のTHE少女マンガ!!特集のインタビュー中で、作者 山岸 凉子氏 がちょっと触れています。
- 以下 引用 -
あれもね、実は、男同士のつもりで描いたんですよ、まだそういう世界に魅かれる自分って異常だと思ってたし、とても許されないだろうと思ってたのでつまり苦肉の策。
後になって少年愛マンガをどんどん描くようになった人たちでさえ、私がその手の話をすると 「オトコ同士の愛 ? なあにそれ」 と質問攻めに会う時代でしたから。それが今ではあたり前という雰囲気でしょ。まだ 「日出処の天子」 も最初はどうか同性愛の話に行かないでくれって頼まれたものです。それが連載が終わる頃になると 「今の時代、少女マンガはホモが入ってないと駄目。ホモさえ入れれば何だってウケます。」なんですから・・・もう・・・ねぇ(笑)
時代ですねぇ。今じゃBL (ボーイズラブ) として一ジャンル確立してますから。又、ここでは言っていませんが、ネーム (映画で言う絵コンテ) の段階ではオトコだったが、編集部のOKが貰えず女同士にしてやっとOKが出たとかどこかで言っていたと思います。
他に
「遠い賛美歌」 初出 りぼんコミック 1970年12月号
「水の中の空」 初出 りぼん 1970年10月号
が収録されていますが、いずれもアンハッピーな終わり方。主人公達は納得しているのですが、死んでしまったり、誤解のあるままに立ち去ったり。他人が見たらハッピーじゃないです。誤解が解けて、大団円、生きてて良かったね、でもいいじゃないかと読者は思うのですが。
山岸氏は最近でも去年の 「舞姫 テレプシコーラ」 第1部終了間際の悲劇とか、すぐ後の 「ヴィリ」 でも主人公が事故にあったり娘といろいろあったり、決してすんなりハッピーエンドにならないのですよね。いつも救いようがない絶望の中とか、暗いままいつまでも続く・・・みたいな終わり方だったり、まったくないわけではないけれど、昔からハッピーエンドが少ない作家さんですね。そこが読者にはひねった印象を与えて、気になる作家であるのですが。
夜さんにお借りしています。
前回に続いて りぼんコミックス 初出の作品から。表題作の 「白い部屋のふたり」 はさんざん記事の中で書いときながら、読んだことがない作品だったのですが、夜さんがお持ちということで今回お借りして読むことが出来ました。夜さんありがとうございます。m(_ _)m
初出は りぼんコミック 1971年2月号で、その頃私はりぼコミ読者だったのに覚えてない・・・。毎号買ってたわけじゃないので飛んでいたのかも
当時びっくりの女性同性愛者を扱ったものですが、際どいシーンはまったく無し。キスシーンがちょっと、という程度ですが当時は男女の恋愛ものでも、キスシーンが少女たちには充分クライマックスでどきどきタイムでした。
当時私たちは エス とか呼んでましたけれど、ジュニア小説等ではそれらしきものはありました。が、ペギー葉山の 「学生時代」 のような
姉のように慕い~~
の表現だったと思いますがね~。
お話は・・・
両親が交通事故で死んだレシーヌが財産狙いの叔母の家に入るのを嫌い、良家の子女の入る寄宿学校へ入る導入部から。同室になったシモーンというテニスの上手いカッコイイ少女はレシーヌばかり見ている (ような気がレシーヌはする) 一方のレシーヌも要領の好い問題児シモーンを不良と思いながらも気になって行く。
ここから一気に相思相愛になるわけではなく、学園祭の 「ロミオとジュリエット」 が入ったり、私たちのは 友情 よと言い張るレシーヌのためにシモーンがボーイフレンドを紹介したりいろいろあるのですが、どうやらシモーンの方ははっきりレシーヌを好きだと自覚しているゲイ (もしくは両刀) らしい。
今読むと、どこが気に入ってシモーンがレシーヌを思い始めたのか、動機がイマイチわからないのですが、(単に好みのかわい子ちゃんだったから ?) シモーンに好きだと告げられたレシーヌの狼狽振りはよく分かる。
必死に否定し、ボーイフレンドとデートし、
「あなたは自分を汚したくないだけよ、皆と同じレールから外れるのが怖いのだわ」
と詰め寄るシモーンから逃げる為に転校までして忘れようとします。そこに届いたシモーンの死の知らせ。彼女はわざと付き合っていた男の子を挑発し、まるで自殺するように殺されたのでした。
シモーンに死なれて初めてはっきりと自覚した愛に、レシーヌは死ぬことも叶わず石の心を抱いて生きるのみ、それは愛に命をかけた相手から逃げたレシーヌの罪の代償。涙と苦悩の中でのラストとなります。
この作品、雑誌 「クレア」 の1992年9月号のTHE少女マンガ!!特集のインタビュー中で、作者 山岸 凉子氏 がちょっと触れています。
- 以下 引用 -
あれもね、実は、男同士のつもりで描いたんですよ、まだそういう世界に魅かれる自分って異常だと思ってたし、とても許されないだろうと思ってたのでつまり苦肉の策。
後になって少年愛マンガをどんどん描くようになった人たちでさえ、私がその手の話をすると 「オトコ同士の愛 ? なあにそれ」 と質問攻めに会う時代でしたから。それが今ではあたり前という雰囲気でしょ。まだ 「日出処の天子」 も最初はどうか同性愛の話に行かないでくれって頼まれたものです。それが連載が終わる頃になると 「今の時代、少女マンガはホモが入ってないと駄目。ホモさえ入れれば何だってウケます。」なんですから・・・もう・・・ねぇ(笑)
時代ですねぇ。今じゃBL (ボーイズラブ) として一ジャンル確立してますから。又、ここでは言っていませんが、ネーム (映画で言う絵コンテ) の段階ではオトコだったが、編集部のOKが貰えず女同士にしてやっとOKが出たとかどこかで言っていたと思います。
他に
「遠い賛美歌」 初出 りぼんコミック 1970年12月号
「水の中の空」 初出 りぼん 1970年10月号
が収録されていますが、いずれもアンハッピーな終わり方。主人公達は納得しているのですが、死んでしまったり、誤解のあるままに立ち去ったり。他人が見たらハッピーじゃないです。誤解が解けて、大団円、生きてて良かったね、でもいいじゃないかと読者は思うのですが。
山岸氏は最近でも去年の 「舞姫 テレプシコーラ」 第1部終了間際の悲劇とか、すぐ後の 「ヴィリ」 でも主人公が事故にあったり娘といろいろあったり、決してすんなりハッピーエンドにならないのですよね。いつも救いようがない絶望の中とか、暗いままいつまでも続く・・・みたいな終わり方だったり、まったくないわけではないけれど、昔からハッピーエンドが少ない作家さんですね。そこが読者にはひねった印象を与えて、気になる作家であるのですが。
でも「りぼん」でも描かれていた事すら知らんかったよ
もちろんこの「白い部屋のふたり」も未読でございます~
それにしても今じゃBLは分野として確立しているし、女の子同士もそんなに珍しい題材ではないけど、あの当時は相当ショッキングだったのね・・・
先生のインタビューに時代を感じますね
それとメールしてみました
トミーさんには嬉しいお知らせ?かも(笑)
こたりんさんの所へ行ってきましたよ~ (嬉々嬉々) いや~ありがとうございます。
「白い部屋のふたり」私もずっと未読で読みたいと思っていたのよ~。夜さんは素晴らしいわ !! 昭和40年代のコミックス全部持っているんじゃないかしらと思うわよ。
山岸 凉子氏はやっぱり昔からちょっと違います。初期作品だから、絵の稚拙さとツメの甘いところとかありますが、そんなこと気にならなくなるくらい、当時はおおっと思うと思う。流石です。
骨子だけのようなさらっとした描き方ですよね。製作中にも編集からのいろいろがあってねっとりは描けなかったんじゃないかなぁ、とか思います。
>「あなたは自分を汚したくないだけよ、皆と同じレールから外れるのが怖いのだわ」
このセリフは竹宮さんの「風木」の『大事なのは罪を犯さないことではない 罪を犯すまいとして真実を見誤ることだ』という文を思い出させます。描かれたのは「風木」のほうが後ですがこの頃の個性ある作家さんは皆こういうことをハダで感じていたんじゃないかな、と思います。
『ヴィリ』についての読者のやり取りを読んでたら、興味深いことがありました。
高遠がまだ16歳の舞に手を出していたことについてロリコンだなんだという話になってたらある男性が「正直に言うと本能的には男はいくつだろうと、15~16から20代半ばくらいまでの女性しか『女』とみない」みたいなことを書いてて、私は「あ~、そうだろうな」と思いました、面白かないが。
女性のそのくらいというのは妊娠・出産・育児に関して適齢期ですものね。まさに「本能的には」それで正解なんだと思います。女性側は一般的に性本能が男性ほど強くないと思われるので「生涯のパートナー」としての相手を考える事がアタリマエのように思うけど男性の場合はひとりの人間として「生涯寄り添うパートナー」を求める部分と強い性欲や自分の遺伝子を確実に未来に送るという本能的な部分で求めるいわゆる「女・メス」としてのパートナーとまぜこぜになってるんじゃないかな、と。
こういういわば自己中心的な利益を求めての考えで女性が男性を選ぶとすればやはり自分と子供を社会的に守ってくれるたよりとなる「財産」や「地位」でしょうか。
とか考えてたら、『ヴィリ』の主人公礼奈はまさに高遠にそれを求めているよね、ということに気付きました。
高遠はみかけはまさにただの「おっさん」だよね。礼奈が惹かれたのは礼奈が大事にしてきたバレエ団への出資者だ、ってところが大きい。「この人は私に必要な人だわ」と考える時の様子を見ていると高遠のお人柄、その個人としての魅力にはまったく触れられていない。豪華な食事のときの物慣れた紳士ぶりや強力なスポンサーとしての部分だけでした。
だから礼奈は高遠にとって魅力的だろうと考えた自分の肉体を差し出そうとするが高遠にとってそういう意味で魅力を持っていたのはまだ若い舞のほうでした、はらほれひれはれ。
だからといって礼奈が高遠に抱いた想いは恋ではない、というつもりではありません。ただ人は人のどこに恋をするのか、愛を感じるのか。それを考えた時このお話は深いな~~、と感心しました。。。山岸凉子、恐るべし。
山岸さんのお話はアンハッピーな結末が多いけど魅力的…厳しい容赦ない描写に私はむしろ山岸さんの深い優しさを感じます…『鬼』を発表したとき「あの」山岸凉子が「救い」を描いた!と書き立てられ、山岸さんは「私そんなに救いのない話ばかり描いてたかしら」と落ち込んだそうですが…個人的には「それでい~のよ!」とか思ってましたが『ヴィリ』ではこれまでの山岸さんぶりを遺憾なく発揮しながらも光明も見せてくれた…礼奈が「第一線の」バレリーナとして復帰するのは現実的に無理でしょうがなにより求めた「バレエ」そのものをまた踊ることはできますね。そして恋と娘は失ったけれども閉じてしまおうとしたバレエ研究所はまさに礼奈自身が培ってきたものによって存続し続けることとなった。…培ってきたものは残り、学ばずにきた「恋」は失った。シビアですが…でも愛はまた培うことができますね、中ちゃんもいるし。。。
「ヴィリ」 もね~、読みっぱなしでいろいろ考えてるんだけどまとまんなくて・・。お凉様の作品は一口でいえないし、好きで又簡単に言えないしで・・・。
しかも今仕事忙しいしってんで、皆様つるさんの感想読んでね~。
私、「白い部屋」を読んだ時
んなことチラとも考えなかったわ。。。
大体、山岸さんは作家買いしてたんで買ったけど
このコミック自体は暗い話ばかりで好きじゃないのよね
だから、一回しか読んでません
「白い部屋のふたり」の同性愛チックな関係は
今のBLと同様、
昔からその手の話には興味が沸かない、
っていうか感情移入できない
しかも、ウエット過ぎて付いて行けないってのが
この頃の山岸さんのイメージです
やっぱり、「アラベスク」からでしょ
大きく成長したのは
私も、今この作品だけ ぽん と見たら感情移入は出来ないな~。男同士だったとしてもね。でも、あの年に (初出は りぼコミ 1971年2月号) これが描けたというところが凄いと思う。
弓月 光氏も言っていたけれど、当時24年組さんたちは自由に描きたいものを描いていたそうで、ここでだめなら違う出版社行きます、というくらいの気概があったそう。新しい波を感じますね~。