↑ シリーズ「黄色い涙」 青春残酷物語 の中として 「フーテン」 が出てきたのが1967年の4月号からなので、それから7冊分の COM中 「フーテン」 の表紙絵など。永島氏の作品は COM 創刊時から手塚 「火の鳥」 石ノ森「ジュン」 と3本柱の一つだったので、前のページは「火の鳥」 のことが多い。
永島慎二作 「フーテン」 についての説明は、まんだらけ出版から5度目に刊行された豪華本 (2008年6月10日発売) の説明が一番だと思ったので、以下にリンクさせていただいた。本当はこれ紹介するだけでいいかと思っちゃったくらい詳しいし、すべてを語っている。
さすが、同時代を生きた 古川益三氏 (まんだらけ社長です) これはCOMに佳作入選したこともある氏にとっては思い出と呼ぶよりももっとすさまじい青春の記憶となる作品なのだと思う。どうしても復刻したかったのではないか。 ↓
まんだらけ出版 「フーテン」
そして、私がリアルで読んでいた当時の 感想 と言えば…。はっきり言って青春前期の中学生にはまだよくわからなかった。若者の先の見えない苛立ちとか、世の中への不平不満とか、時に抑えきれない感情だとか、いろいろあるんだろうなとは薄っすらわかっても、自分はまだ親がかりでそこまで至っていないというのもわかっていた。東京新宿ではこんな人たちがいるんだな~、ちょっとカッコイイかも~と思っていた。(若気の至り)
やはり、このマンガは私より3~5歳上の団塊の世代のものなのだ。ところがその後2~3年すると地方都市の私の地元でも格好だけは真似た 偽フーテン がわさわさ出てくることになるのだが、それは又違う機会に。
1967年1月号からの3号分は短編3つだったが、4月号からは長編連載となっているので、フーテンとして始めから長く描くつもりだったようだ。1話目の最期に昭和42年3月2日付けとして、作者からの 「蛇足」 としてこの作品を書き始めたいきさつなどがつづられている。
いわく、まんがの描けなくなった児童漫画家、長暇 貧治(ながひまひんじ) は知り合いのフーテン仲間 伍一 が財閥の実家に連れ戻されようとしてトラックにはねられて死んでからのその後七日間にわたり、出版社から借りてきたトラノコの3万円を使い果たし、スッテンテンになるまで新宿を離れられず、フーテンすることになる。それが上の写真の7冊に最初の章 春の章 として連載されている。もちろん全部実話じゃないだろうが、全部嘘でもなさそうである。
しかもその後も2年ほどろくな仕事もせずにフーテンと呼ばれる若者達の間を夜のクラゲのごとくに泳ぎまわり、しかし結局フーテンにもなりきれず、この物語の狂言回しとなる。もちろん、長暇 は 永島 慎二 その人がモデルだろうが、彼は仲間と呼ぶフーテンたちとの交流を、ノスタルジア的感傷だけに終わらせたくないと考えこの作品を描いたようだ。
今読むと私にとってもあの、時間ばかり有った 若者の時間 が思い出される。
関連 以前の映画記事 → 永島 慎二 原作 映画 「黄色い涙」
永島慎二作 「フーテン」 についての説明は、まんだらけ出版から5度目に刊行された豪華本 (2008年6月10日発売) の説明が一番だと思ったので、以下にリンクさせていただいた。本当はこれ紹介するだけでいいかと思っちゃったくらい詳しいし、すべてを語っている。
さすが、同時代を生きた 古川益三氏 (まんだらけ社長です) これはCOMに佳作入選したこともある氏にとっては思い出と呼ぶよりももっとすさまじい青春の記憶となる作品なのだと思う。どうしても復刻したかったのではないか。 ↓
まんだらけ出版 「フーテン」
そして、私がリアルで読んでいた当時の 感想 と言えば…。はっきり言って青春前期の中学生にはまだよくわからなかった。若者の先の見えない苛立ちとか、世の中への不平不満とか、時に抑えきれない感情だとか、いろいろあるんだろうなとは薄っすらわかっても、自分はまだ親がかりでそこまで至っていないというのもわかっていた。東京新宿ではこんな人たちがいるんだな~、ちょっとカッコイイかも~と思っていた。(若気の至り)
やはり、このマンガは私より3~5歳上の団塊の世代のものなのだ。ところがその後2~3年すると地方都市の私の地元でも格好だけは真似た 偽フーテン がわさわさ出てくることになるのだが、それは又違う機会に。
1967年1月号からの3号分は短編3つだったが、4月号からは長編連載となっているので、フーテンとして始めから長く描くつもりだったようだ。1話目の最期に昭和42年3月2日付けとして、作者からの 「蛇足」 としてこの作品を書き始めたいきさつなどがつづられている。
いわく、まんがの描けなくなった児童漫画家、長暇 貧治(ながひまひんじ) は知り合いのフーテン仲間 伍一 が財閥の実家に連れ戻されようとしてトラックにはねられて死んでからのその後七日間にわたり、出版社から借りてきたトラノコの3万円を使い果たし、スッテンテンになるまで新宿を離れられず、フーテンすることになる。それが上の写真の7冊に最初の章 春の章 として連載されている。もちろん全部実話じゃないだろうが、全部嘘でもなさそうである。
しかもその後も2年ほどろくな仕事もせずにフーテンと呼ばれる若者達の間を夜のクラゲのごとくに泳ぎまわり、しかし結局フーテンにもなりきれず、この物語の狂言回しとなる。もちろん、長暇 は 永島 慎二 その人がモデルだろうが、彼は仲間と呼ぶフーテンたちとの交流を、ノスタルジア的感傷だけに終わらせたくないと考えこの作品を描いたようだ。
今読むと私にとってもあの、時間ばかり有った 若者の時間 が思い出される。
関連 以前の映画記事 → 永島 慎二 原作 映画 「黄色い涙」
ウワサでは知っていたものの、
フーテンの実物をみたことがありません。
ガロは見てました。
40年も前のことなんですよね。
ご無沙汰しております。変わらずに読んでくださっているんですね。ありがとうございます。m(_ _)m
当時は無軌道な若者って私の年では怖かったですよ。周りにはいませんでした。いても東京へ出て行って帰ってこなかったんでしょうね。うちは東京の隣の県なんだけども。
ガロもよく読んでたけど、COMの方が洗練されてて好きでした。
確かにこの年になると、痩せるときは顔から痩せますね。太るときは下腹からなのね。
ブログを拝見していると、ホントに同い年だなぁと感じます(嬉)
我々は高校3年生の時、TVで“浅間山荘事件”をライブで見た世代ですものね。
私はCOMはJUNと火の鳥を目的に買ってましたが、フーテンも読んでました。でも、中学生の私には全く理解できませんでした。何故こんな不幸の中にいるのだろうと思いました。今でも、あの頃の団塊の世代は何を求めていたんだろうと、不思議です。
さて、私のお気に入りは、長岡良子さんの“古代幻想ロマン”シリーズです。
その中の『葦の原幻想』など好きです。この人のこの頃の作品群を最後に漫画を読まなくなりました。
それまでは、手当たりしだい読んでいたんですけどね…内田善美さんなんてホント好きでした。
「課長島耕作」や「沈黙の艦隊」も全巻読みました。このあたりも、団塊の世代の人たちの作品ですね?
団塊世代よりひとまわり年下の私(12歳上の兄がまさに団塊)にとって、COMは大人のお兄さん、お姉さんの世界でした。
永島慎二先生の作品は、一度ちゃんと読んでみたいです。買っちゃおうかなぁ。
ポストカードの絵も、凄く好き
ご無沙汰しています。こちらにコメいただける方で同い年の方は少ないので大変嬉しいです。やっと自分の体調は戻りつつありますが、根本的な治療も考えなければならないようなので秋に少し考えています。だんなの手術日も近づき、今年は夏から秋にかけて我が家はちょっと大変かもです。
>“浅間山荘事件”をライブで見た世代ですものね。
そうなんですよね~、会社の若い子にはもう 歴史の一部 になっているようで、東大安田講堂攻防戦とかこれをライブで見ていたというとびっくりされますわ。(笑)
>あの頃の団塊の世代は何を求めていたんだろうと、不思議です。
私、すぐ上の姉に言われたことあるんです。
「あんた達は、上のやること見て同じ失敗しないようにやれるからいいよね」 みたいなこと。違う言い方だったけれどね。
確かに上のやることを批判的な目で見てたこともあるけれど、あんなに熱くなれるのが羨ましく思えたときもあったよね。
>長岡良子さんの“古代幻想ロマン”シリーズです
読みましたよ~。マンガ喫茶でだいぶ後になってからですが、そこにあるのは全部読みましたね。返す刀で 里中 満智子氏の 古代物 も全部読みましたね。二人とも 「長屋王」について描いてませんでしたっけ。
「課長島耕作」や「沈黙の艦隊」も読みましたよ、やっぱり読んでるもの同じですね。
永島氏のイラストは商業的に描かなければならないマンガよりずっと叙情性が高くて私も好きです。フーテンのおまけのこのポストカード、私も欲しいわ~。でもその為に買うのもな~ ?
本当は叙情マンガを描きたかったと言う永島氏、普通のマンガの中にもぽろっとそんなイラスト的な絵が出て来てそれを探すのも楽しいのですよ。