佐藤 史生 「心臓のない巨人」 ・川原 泉 「バビロンまで何マイル?」
佐藤 史生 「心臓のない巨人」 1999年2月20日 PFコミックス 初版 ㈱小学館
ブック○フにて350円にて最近購入
川原 泉 「バビロンまで何マイル?」 1997年12月17日 白泉社文庫 初版 ㈱白泉社
たれぞ~さんにお借りしています。
はて、なにゆえ2冊の本が、一緒に写真に納まっているかと申しますと…。コミックス 「心臓のない巨人」 の中に、その半分を占めて 「バビロンまで何マイル」 という作品が収められています。 「?」 記号は有りません。一方ご存知の方も多いと思いますが、川原 泉の中篇はそのまま 「バビロンまで何マイル?」 という題名の作品です。こちらは 「?」 記号がついてます。
「バビロンまで何マイル」 という言い回しは、マザーグース に出てくる言い回しで、慣用句のようなものかなと思うのですが、「後どのくらい行ったら(努力したら)桃源郷にたどり着けるのか」 というような意味かなーと思っているのですが、違う意味でしょうか ? どなたかご存知なら教えてくださいな。
佐藤 史生 「心臓のない巨人」
これは少し前に読んだ原作付の佐藤作品より面白いと思った。SFが2編入っていて、「心臓のない巨人」 は一つの国のように大きな巨大宇宙船に起こった事件とその結末。
「バビロンまで何マイル」 はSFサスペンス、そこに出てくる霊感人形 (本当は人形じゃないのだけど) の名前が 「チェザーレ」 う~~ん、あれれ ???? もう一つの川原作品と関係あるのか~ ? 謎は謎を呼ぶ~。
7年に一度の星祭の翌朝、タキツス市長の若い夫人が猟奇的な死体姿で発見される。彼女は母星 (ホーム) を買うために高級売春婦をしながら宇宙をさすらう宗教集団の 元尼僧 だった。彼女達は誰かに追われ殺されながらも、自分達の母星を買うために身も心も切り売りしながら宇宙空間を逃げているのだ。そこには地球から遠い昔に飛び立った移民船の乗組員達とその星の原住民達の悲劇的な物語があったのだ~~。あーっ、奇想天外の着想で説明できない !
この題名はまさに自分達の都、国を求めてやまない彼女達の気持ちが表されている、と思うのですが。
一方 川原 泉氏 「バビロンまで何マイル?」
は簡単に言っちゃうとタイムトラベルものだけど、文庫の三分のニ以上は、イタリア・ルネサンス期の1500年前後に生きたボルジア家の兄妹チェーザレとルクレツィアに主人公達が遭遇したお話になってます。
幼馴染の仁希(にき ♀)と友理(ゆうり ♂)は溺れていた小人の妖精のおじいちゃんを助けたお礼にソロモンの指輪をもらい、時間旅行に無理やり行くことに。だってこのタイムマシン (?) 行き先もいつ行くかも自分で決められない、それどころかいつ帰れるかも分からないという困った代物。
2度目のタイムトラベルで行ったヴァチカンでチェーザレたちと逢います。最初に行った恐竜うごめく原始の森では、仁希が残したウィルスで恐竜達が絶滅したというおまけがつきましたが、このお話ではふたりは歴史をかい間見ているだけで影響は特になし。
もしかしてカーラ教授、このあたりの歴史が面白くなって途中でここだけじっくり描きたくなったとか ?
始めの予定ではもっといろいろな所、たとえば本当にバビロニアの都まで行くつもりでは無かったでしょうか。長らく未完状態のようでしたが、間が開いて完結し、文庫の方には完結編で載っています。(コミックス版では未完)
こちらの作品では、始めの方に 仁希 がバビロンまで行けるかも、とか言っているので、ソロモンの指輪で遠いところまで行けるかしら、という意味で付けた題名だと思うのですが。
川原 泉 バビロンまで何マイル? は 花とゆめ1991年7月号と1997年12月号
佐藤 史生 バビロンまで何マイル は 1997年 プチフラワー1月号と3月号
の初出です。
多分お二人とももう一つの作品は知ってらしたと思いますよ。題名は同じですが、内容も味わいも全然違う作品です。
佐藤 史生 「心臓のない巨人」 1999年2月20日 PFコミックス 初版 ㈱小学館
ブック○フにて350円にて最近購入
川原 泉 「バビロンまで何マイル?」 1997年12月17日 白泉社文庫 初版 ㈱白泉社
たれぞ~さんにお借りしています。
はて、なにゆえ2冊の本が、一緒に写真に納まっているかと申しますと…。コミックス 「心臓のない巨人」 の中に、その半分を占めて 「バビロンまで何マイル」 という作品が収められています。 「?」 記号は有りません。一方ご存知の方も多いと思いますが、川原 泉の中篇はそのまま 「バビロンまで何マイル?」 という題名の作品です。こちらは 「?」 記号がついてます。
「バビロンまで何マイル」 という言い回しは、マザーグース に出てくる言い回しで、慣用句のようなものかなと思うのですが、「後どのくらい行ったら(努力したら)桃源郷にたどり着けるのか」 というような意味かなーと思っているのですが、違う意味でしょうか ? どなたかご存知なら教えてくださいな。
佐藤 史生 「心臓のない巨人」
これは少し前に読んだ原作付の佐藤作品より面白いと思った。SFが2編入っていて、「心臓のない巨人」 は一つの国のように大きな巨大宇宙船に起こった事件とその結末。
「バビロンまで何マイル」 はSFサスペンス、そこに出てくる霊感人形 (本当は人形じゃないのだけど) の名前が 「チェザーレ」 う~~ん、あれれ ???? もう一つの川原作品と関係あるのか~ ? 謎は謎を呼ぶ~。
7年に一度の星祭の翌朝、タキツス市長の若い夫人が猟奇的な死体姿で発見される。彼女は母星 (ホーム) を買うために高級売春婦をしながら宇宙をさすらう宗教集団の 元尼僧 だった。彼女達は誰かに追われ殺されながらも、自分達の母星を買うために身も心も切り売りしながら宇宙空間を逃げているのだ。そこには地球から遠い昔に飛び立った移民船の乗組員達とその星の原住民達の悲劇的な物語があったのだ~~。あーっ、奇想天外の着想で説明できない !
この題名はまさに自分達の都、国を求めてやまない彼女達の気持ちが表されている、と思うのですが。
一方 川原 泉氏 「バビロンまで何マイル?」
は簡単に言っちゃうとタイムトラベルものだけど、文庫の三分のニ以上は、イタリア・ルネサンス期の1500年前後に生きたボルジア家の兄妹チェーザレとルクレツィアに主人公達が遭遇したお話になってます。
幼馴染の仁希(にき ♀)と友理(ゆうり ♂)は溺れていた小人の妖精のおじいちゃんを助けたお礼にソロモンの指輪をもらい、時間旅行に無理やり行くことに。だってこのタイムマシン (?) 行き先もいつ行くかも自分で決められない、それどころかいつ帰れるかも分からないという困った代物。
2度目のタイムトラベルで行ったヴァチカンでチェーザレたちと逢います。最初に行った恐竜うごめく原始の森では、仁希が残したウィルスで恐竜達が絶滅したというおまけがつきましたが、このお話ではふたりは歴史をかい間見ているだけで影響は特になし。
もしかしてカーラ教授、このあたりの歴史が面白くなって途中でここだけじっくり描きたくなったとか ?
始めの予定ではもっといろいろな所、たとえば本当にバビロニアの都まで行くつもりでは無かったでしょうか。長らく未完状態のようでしたが、間が開いて完結し、文庫の方には完結編で載っています。(コミックス版では未完)
こちらの作品では、始めの方に 仁希 がバビロンまで行けるかも、とか言っているので、ソロモンの指輪で遠いところまで行けるかしら、という意味で付けた題名だと思うのですが。
川原 泉 バビロンまで何マイル? は 花とゆめ1991年7月号と1997年12月号
佐藤 史生 バビロンまで何マイル は 1997年 プチフラワー1月号と3月号
の初出です。
多分お二人とももう一つの作品は知ってらしたと思いますよ。題名は同じですが、内容も味わいも全然違う作品です。
佐藤さんの漫画はまだ一部しか読んだことがないの・・・
たでって気がついたときには絶版だったんだもん(苦笑)
今度貸して下さいね
川原さんの「バビロン」は大好きな作品で、コミックスで出たとき2巻が出るのを待って待って待って・・・・
気がついたら2巻は出ないまま、文庫で完結してました(苦笑)
ということでウチには未完のコミックス1巻もあります
一体何があったんだろう??
教授ほどの漫画が打ち切りとは思えたとは考え難いし、掲載誌の関係なのかなぁ・・・
これから川原さんを買う人には
「バビロンは最初から文庫で買うのよ~!!」とだけ言っておきます
古本でもコミックスの1巻だけ売られていることがあるんですが、これの落とし穴にはまり再び文庫を買いなおした人を私は知っている(爆)
完結したお話は雑誌で読みました・・・たぶん
本当になにがあったんでしょう??
佐藤さんのも雑誌で読んだはずなんですが
きおくの彼方です・・・
佐藤さんの作品も、雑誌でちまちま読むより
コミックスで一気読みしたほうがわかりやすそうです
よく聞く慣用句みたいだな~と思って、一応、記事書くときは バビロン 位は検索したわけよ。そしたらマザーグースにあるって所までは分かったのだけど、どういう歌かは分からないの歌詞が分かれば意味もはっきり分かると思うのだけど。誰か教えて。
>未完のコミックス1巻
これ、「さくらん」 がそうなりそうですよ そのうち文庫で完結するんじゃないの~ ? 映画にもなったんだからさ~、ちゃんと終わらせて欲しいよね。マンガ喫茶で読んでてよかった。
でも、中身は全然違う
ついでに、“バビロン”の意味も二つの作品では違うのね
佐藤さんでは桃源郷の象徴として“バビロン”
川原さんでは本当に古代バビロニアの“バビロン”?
でも、カーラ教授のことだから
そんな単純な理由付けじゃないような気がするな~。。。
佐藤さんの「チェーザレ」は、やっぱりカーラ教授に対するオマージュじゃない?
こっちの方が後の作品ですもんね
ところで、
川原さんの「バビロン」は知らずに文庫版を買いました
ラッキー!!
私も佐藤 史生作品は最近知ったので偉そうなこといえませんが、この本に入っている作品も前・後編で2ヶ月くらい空いてるし、話は複雑だし雑誌だとわかりづらいかも。佐藤作品は独特の世界にどっぷり浸かって一気読みが良いですね。
宮崎監督の「天空のラピュタ」で使ったので
私もトミーさんと同じで桃源郷に行くのは
そんなに簡単じゃ~ないよってな意味かの~っと
思ってました~
佐藤さんの作品は知らんかった~
面白そう~
私、佐藤さん作品大好きなんです~
あの…たれちゃん箱って…
最終目的地は満天さん家なんどすか~?
その時に是非…。。。。。
お願いしま~~~~す(笑)
ところでやっぱりチェーザレといえば、惣領冬実さんのチェーザレが最近の自分ヒットです。いよいよモーニング本誌では幼いルクレツイアさんが登場しました。ダヴインチやらコロンブスやら出てきて楽しい展開です。
そうなの、カーラ教授の読んでたら、惣領冬実さんの「チェーザレ」 読みたくて~。今どこのマンガブログさんでも大評判でよいらしいですね~でもずっしり有りそうで、もうちょっと区切りのついたところで一気読みしたいとか思って。いつになるやらねぇ~。
バビロンまで何マイル?
Three score miles and ten.
70マイルだよ
Can I get there by candle-light?
そこへロウソクの灯りで行ける?
Yes, and back again,
うん。行って戻って来れるよ
If your heels are nimble and light,
君の足が速くて軽ければ
You may get there by candle-light.
ロウソクの灯りで行けるよ
ここで score というのは20ということですが、この単語は古い時代の20進法
の名残的な使用法がなされます。有名なリンカーンの「人民の人民による人民
の為の政治」というゲチスバーグ演説の出だしも Four score and seven years
ago our fathers brought forth on this continent, (87年前我々の先祖は
この大陸にやってきて...) となっていました。これがフランス語になると、
90などという時、quatre-vignt dix (4x20+10) などという言い方をします。
つまり英語のninetyに相当する言葉がありません。
↑コピベで中途半端ですが。この説明の文はもっと長くていろいろだったんですがとりあえず「70マイル」というのは正確に70マイルじゃないのかな?という感じだったのでソコの説明文のとこだけ一緒に持ってきてみました。ほかの訳では『60と10マイル』みたいなのもあるみたいです。
佐藤さん話なので絡みたかったんですがこのお話はちゃんと覚えてなくてやっと読み直ししたので今頃絡みにきました…積ん読になっていた川原さんのほうもやっと読んだ…。ホント、同じタイトルですね。
佐藤さんのほうは「カリガリ博士」をもとにしてるみたいです。…これもさっき検索したんですが『1919年の無声映画』でサイコホラーの元祖みたいな映画です。
カリガリ博士と名乗る男が眠り男ツェーザレを使って予言をする、と見世物に現れる。
親友同士のふたりの青年(…アランとフランシス、だったかな…さっき見たばっかりなんだけど…もう…あやふや…)はジェーンという女性に恋をしている。
見世物でカリガリに自分の寿命を訊くと明日の朝、と予言され、アランは明朝何者かに殺される。
実はカリガリは殺人鬼で、ツェーザレを使って殺人をしていた。ツェザーレが不在のときは人形を替わりに置いてアリバイを作っていた。
カリガリを不審に思ったフランシスはひそかに調べ、ツェザーレの替わりに人形が寝ていることを突き止める。
ジェーンを殺害に向かったツェザーレはジェーンの美しさに魅了され殺せず、気づいたジェーンの父親に追われ命を落とす。
カリガリは逃げ出し精神病院に逃げ込むが追いかけたフランシスが院長に掛け合おうとすると院長がカリガリ本人だった。
という話を語るフランシスは実は精神病院の入院患者だった。
というお話のようです。佐藤さんのツェザーレと川原さんのチェーザレが重なったのは偶然に思えますが、カ~ラ博士はカ~ラ博士で「カリガリ博士」については知っていそう、と思う、なんとなく(なんでも知ってそうだから)。
佐藤さんのほうは、最終的にフェーたちが求めて辿り着けなかった目的(新たな母星、本来のフェーの在り方に戻るための逃走、幻の目的=バビロン)と、エサギル人となった人間の目的(人間の不都合を解消するためのフェーへの寄生、幻の目的=バビロン)のありかたが違っている事がまさに「幻」という感じがしました…マザーグースに謳われている「バビロン」も、「幻の桃源郷」という感じがしますね。目指すけど行けない処、みたいな。
「カリガリ博士」のすべてが妄想だった、ということとも重なりますね。
ところで人形遣いのミスタ・バランシンの風貌は映画のカリガリ博士と似てます…小さな写真しかなかったのでよくはわからないけど。そしてバランシンというのはバレエ振付家のバランシンかな~?人形たちを躍らせているし…ホンモノのバランシンは何度も結婚・離婚を繰り返す女性泣かせの芸術家のようですし。山岸さんの『黒鳥』でしか知らないんですけど。
佐藤さんはよくジェンダーとかに触れるけどこの主人公ファン刑事の容貌、とても印象的ですね。特に最初のページの横顔、印象的です。女性だけど男性っぽい、曖昧な印象。エサギル人カリガリ(ギュゲス)の風貌もフェーたちも。また人間と人形の区別のつかないバランシンのスタッフ、冒頭の踊る人形たちの風貌もこのお話には「曖昧」なものが多く描かれていると思います。
ふんふん、すんごい勉強になる~。もったいない~又いつか紹介しよう。
ところで、
そこへロウソクの灯りで行ける?
うん。行って戻って来れるよ
君の足が速くて軽ければ
ロウソクの灯りで行けるよ
この言い回し、NHKの昔の子供番組 「ひょうたん島」 に出てきましたね~。
あるお話の巻きで、ひょうたん島のどこかに宝がかくされてる。宝を探す手がかりの歌には、ろうそくを灯して行って帰ってこれる、と歌われている。でもそうすると距離的にひょうたん島を飛び出しちゃう、という設定になっていた (と思う なにしろ40年以上前に見ていた番組よ~)
これを書いた脚本家の方はマザーグースを参考にしたのね。
カ~ラ教授だって絶対ここに書いてあることは全部知ってる気がする。恐るべしですね~。