COM 1969年2月号 ぐら・こんまんが予備校 児童まんがコース投稿作品 作者名は、ひらがなで いずみやしげる となっている。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の泉谷しげるの項目に → 泉谷 しげる
漫画雑誌『ガロ』に投稿し、漫画家を目指そうとしていた とあるし、どこかで見た泉谷氏のイラストにも絵柄が似ているので、COMのこの投稿作品も当時20歳、いまや俳優でシンガーソングライターの 泉谷しげるさん (本名 泉谷 茂)なんだと思う。
公式サイト → "IZ"
9ページの作品で全部は載っていないが、選者の つのだじろう氏 の解説を読むと私には児童まんがというよりギャグまんがや風刺まんがに近いものに思える。
マンホールから突然出てきたゴリラそっくりの獰猛そうな男が、世の不条理を腕力で一瞬にして解決し、又元のマンホールへ帰っていく、というようなお話らしい。全学連と機動隊を一まとめにして月世界へ殴り飛ばす、なんてエピソードは痛快である。
この号は選考がむずかしかったらしく、佳作作品が全ページ載っているあとで7作品小さく紹介されているが、そのうちの三番目で総合点600のうち350点取っている。半分ちょっとと思うなかれ、このまんが予備校で300点以上行く人はまれなのだ。
とくに選者の つのだ氏 は、
企画の着眼点は今月の作品中随一 ! ぼくが数年来あたためていた企画とまったく同じでびっくりした。こうなるとプロももたもたしてはいられない。じつにりっぱ、りっぱ !
と手放しで褒めている。着想が当時から人と違っていたのでしょうか、その後の歌作品の歌詞にも通じているような気がします。
その後、まんが家にはならないで歌の方に行かれたようですが、最初に所属していたエレック時代のアルバムの再販版のアートを自身のデザインにしていたり、映画 (狂い咲きサンダーバード) の美術を担当したり、画家としても活躍しているようですね。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia) 泉谷 しげるの項を参考にしました。)
おまけ画像 ↓ この号のぐら・こん支部だよりに載っていた「みなもと太郎君の 真夜中のこねこ 1カット」
可愛い~~みなもと先生いくつの時なんでしょうか。
PS. ちゃととさんから、長年の疑問が解けました、と嬉しいコメントを頂きました。こういうことってありますよね~。お役に立てて私もとっても嬉しかったです。
今後もCOMのことで何かあったら、漫画好きな方ならご遠慮なく問い合わせください。なにしろ初期COM全巻を持っていることが、私が唯一漫画好きの皆様にお役に立てることなんで。出来たら何年ごろとか、夏だったとか秋だったとか分かると探しやすいんでお願いします。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の泉谷しげるの項目に → 泉谷 しげる
漫画雑誌『ガロ』に投稿し、漫画家を目指そうとしていた とあるし、どこかで見た泉谷氏のイラストにも絵柄が似ているので、COMのこの投稿作品も当時20歳、いまや俳優でシンガーソングライターの 泉谷しげるさん (本名 泉谷 茂)なんだと思う。
公式サイト → "IZ"
9ページの作品で全部は載っていないが、選者の つのだじろう氏 の解説を読むと私には児童まんがというよりギャグまんがや風刺まんがに近いものに思える。
マンホールから突然出てきたゴリラそっくりの獰猛そうな男が、世の不条理を腕力で一瞬にして解決し、又元のマンホールへ帰っていく、というようなお話らしい。全学連と機動隊を一まとめにして月世界へ殴り飛ばす、なんてエピソードは痛快である。
この号は選考がむずかしかったらしく、佳作作品が全ページ載っているあとで7作品小さく紹介されているが、そのうちの三番目で総合点600のうち350点取っている。半分ちょっとと思うなかれ、このまんが予備校で300点以上行く人はまれなのだ。
とくに選者の つのだ氏 は、
企画の着眼点は今月の作品中随一 ! ぼくが数年来あたためていた企画とまったく同じでびっくりした。こうなるとプロももたもたしてはいられない。じつにりっぱ、りっぱ !
と手放しで褒めている。着想が当時から人と違っていたのでしょうか、その後の歌作品の歌詞にも通じているような気がします。
その後、まんが家にはならないで歌の方に行かれたようですが、最初に所属していたエレック時代のアルバムの再販版のアートを自身のデザインにしていたり、映画 (狂い咲きサンダーバード) の美術を担当したり、画家としても活躍しているようですね。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia) 泉谷 しげるの項を参考にしました。)
おまけ画像 ↓ この号のぐら・こん支部だよりに載っていた「みなもと太郎君の 真夜中のこねこ 1カット」
可愛い~~みなもと先生いくつの時なんでしょうか。
PS. ちゃととさんから、長年の疑問が解けました、と嬉しいコメントを頂きました。こういうことってありますよね~。お役に立てて私もとっても嬉しかったです。
今後もCOMのことで何かあったら、漫画好きな方ならご遠慮なく問い合わせください。なにしろ初期COM全巻を持っていることが、私が唯一漫画好きの皆様にお役に立てることなんで。出来たら何年ごろとか、夏だったとか秋だったとか分かると探しやすいんでお願いします。
トミー。さん、私、今モーレツに感動しています(T_T)
この号持ってました。捨てられちゃいましたけど…。
『いずみやしげる』と平仮名だったのかぁ。
昔々、COMぐらこんで泉谷さんの名を見かけた記憶がおぼろげにあったのですが、「あれは夢だったんだろか?」と自信なかったんです。
誰に聞いても確実な答えが返ってこないし…。
Wikiにも記述あるんですね^^;
ありがとうございます!
とにかく長年の疑問符が完全に氷解しました!わーい♪
そんなに喜んでもらえるなんて、記事アップのし甲斐があります。昔の雑誌だし、興味ない人も多いだろうと思いながら、昔COMというまんが雑誌が有ったのよ~と知らしめたい思いで細々書いてます。
私もこういうことあります。昔あの雑誌に○○さんが描いていたように思うけど、アレはどんな話だったっけとか、現在全然描いてない○○さんは、今何してるんだろうとか。尋ね人のネットがあって覗いてると楽しいですよね。
今後もCOMのことだったら調べますので、言ってください。
もっとも、漫画家目指してた有名人は山ほど居るけどネ(笑)。
一番有名なのは小松左京さんかなー(笑)。
で、みなもと太郎氏ふぁんの私には「みなもと太郎君」が♪。
「君」て事はまだ子供だったの?。この当時からあの可愛い
絵を描いてたんだ♪(^o^)。
前に何かで読んでうろ覚えだったのですが、今回いずみやさんの作品見つけました~。今もイラスト等描いてらっしゃるようですね。HPで見ました。
SF作家さんとマンガ家さんは手塚治虫先生の頃から交流もあるし、マンガ家から作家へ行った人もいましたよね。(名前出てこない・・・)
みなもと氏は、1947年3月生まれなので、この号の出た頃は21歳、このコマのまんがを描いたのはいつか分かりませんが20歳ちょっとということで、COMの編集さんは君づけなんでしょうか。
ちょっと当時の学生運動のにほいがする・・。
COMにはその後みなもと氏の作品 「白いハンター」 だったか載っているので、そのうち紹介します。
つのだ☆ひろが漫画家つのだじろうの弟だと知って驚いたという、
泉谷しげる本人の発言を記憶しています。
その時に、COMの投稿作品が褒められたという話もしていたはず。
筒井康隆センセイもマンガを描いていますね。
SF作家としてデビューした後のことですが‥‥。
一時筒井康隆センセイに凝った時期がありまして、買いましたよこのマンガ。もちろんプロの方のような上手さはなかったですが、今でいうヘタウマ風の絵で、お話はちょっとエロチックで大変面白かったです。
処分してしまったようで今は持っていないんですがね~。 (泣く)