猫とマンガとゴルフの日々

好きな物を題名に↑ 最近はゴルフとグルメお出かけ主体に。以前は1960年~70代マンガを紹介していました。ネタバレ有り。

昔、漫画雑誌 「COM」 があった。

2007年03月12日 11時57分34秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
                 COM 創刊号 1967年1月号



                 

 

 下の写真は 「手塚治虫物語 1960~1989」 朝日新聞社刊 朝日文庫 1994年10月5日 初版 これは11月20日の2刷 伴 俊男 + 手塚プロダンション
 1928~1959年までの前編も有ります。

 こちらの伝記まんがの中にCOM創刊に至るいきさつが書かれているので、要約させていただきます。

 昭和41年大規模になっていた虫プロは大幅な機構の改革を行い、フィルム部門以外を別会社とし、虫プロ商事が誕生しました。池袋のビルにあった虫プロ商事では、版権業務の他に出版を行うことが目的でした。それまでのファン向けの小雑誌 「鉄腕アトムクラブ」 を発展させて新雑誌を作ろうとしたのです。
 昭和39年青林堂から創刊された漫画雑誌 「ガロ」 は 白土 三平氏の 」カムイ伝」 を柱に 水木 しげる氏 や つげ 義春氏 などが活躍し、又個性ある新人が登場する雑誌として若いまんが好きに注目されていました。それを意識しながらも別の路線を模索し、又新人漫画家の登竜門となるべき、往年の 「漫画少年」 のような投稿欄を設けることを新雑誌の目玉としました。

 「鉄腕アトムクラブ」 休刊のご挨拶には、新雑誌の広告も載っていて

まんがエリートのためのまんが専門誌。創刊号は12月(1966)に全国書店で発売予定!

 として、永島 慎二氏のカットが添えられています。
 
 誌名で悩んでいるスタッフの所へ手塚先生が現れ、黒板に 「COM」 と書きました。
COMICS
COMPANION
COMMUNICATION
の略だと言うのです。こうして誌名はあっという間に決定、手塚先生の 「火の鳥」 石森(当時)章太郎先生の 「ファンタジーワールド ジュン」 、永島 慎二先生 (当時虫プロでジャングル大帝の演出をしていた) 「青春残酷物語」 の3本の強力な連載を擁して出発したのです。

 漫画ファンのページ 「ぐら・こん」 は最初の頃はともかく、最盛期にはかなりのページを使い、採点もテーマ、ストーリー、コマ割り、キャラクター、構図、絵などに分けて細かく採点されています。
 又、まんがファンの全国組織 「ぐら・こん」 結成を呼びかけ、かっての 「漫画少年」 のようにという言葉どおり 「COM」 の投稿者の中から多数漫画家を輩出することになります。つまり、ぐら・こんとはCOMの投稿ページのことと、まんが同人組織の名前も兼ねていることになりますね。

 組織の方の 「ぐら・こん」 は全国組織と言っても地方により活動にバラツキが有り、問題も多数あったようですが、とにかくもまんが同人の全国組織を作ろうという初めての試みだったのではないでしょうか。

これからは自分の持っている 「COM」 創刊号その他を見ながら。

 第1回のぐら・こん 「GRAND COMPANION」 を見ると、

まんが予備校
まんがの好きなあなたに!
アシスタントの夢・声

 の3つのコーナーに分かれています。

 まんが予備校では、
「ぐら・こん」 は生粋のまんがマニアの広場で、まんがをもっとかきたい、勉強したいという人の願いをひとつに集めて企画されたページだ。このまんが予備校へ入学された方々の大まんが家への成功を祈る! COM編集部 とある。

 最初の事とてストーリー2編、ギャグまんが1編 が掲載されており、大野 ゆたか氏の指導が載っている。

 まんがの好きなあなたに!では、
峠 あかね氏 (まんが作者としては真崎 守氏 ジャングル大帝のアシスタントプロデューサーだった) がファン活動に詳しいと言うことで、2ページにわたって 「活動を始めよう!」 とあおっています。 
 いわく、まんがをもっと読み、勉強し、かいてみるのもいい、と回覧誌を作ることを進め、自信がついたら新人募集に応募したり、出版社に持ち込みしたりプロに批評をしてもらおうと言っています。

 まんが家アシスタントの夢・声欄では、
石森氏アシスタント 永井 清(豪)氏 赤塚不二夫アシスタント 長谷 邦夫氏、ちば てつや氏アシスタント 政岡 稔也氏等8名のアシスタントの方の一言が載っています。多分ほとんどプロになられているのだと思いますが、私、不勉強でこの3名の名前くらいしか分からない 
 
 ページ下 「声」 欄に業界関係者の声が寄せられていますが、その中に 「ガロ」
 青林堂創業者の初代社長にして名物編集長 長井 勝一氏のお名前が。
「このような型の雑誌が一つより二つ、二つより三つと発行される事は、私どもにとっても非情に力強さを感じます」 とさすがですね。

 編集後記には、
正直な話、よくぞまあ、ここまでこぎつけたものだと思っている。企画が具体化してから発売までの期間が短かった為、まったくの冷や汗の連続であったうんぬん (山崎) 
 出版にこぎつくまでは大変だったのですねー。

 念の為、COMについてフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
で検索してみますと、(以下引用)

COM(コム)は、1967年から1973年まで発刊された漫画雑誌。

「描きたいものが書ける雑誌」および「新人を育てる雑誌」として、手塚治虫が、虫プロ友の会発行の会報『鉄腕アトムクラブ』を発展解消する形で創刊した。「まんがエリートのためのまんが専門誌」がキャッチフレーズ。1964年に先行して創刊された『月刊漫画ガロ』を強く意識して、両誌はライバル関係と目された。

「COM」は、COMICS, COMPANION, COMMUNICATIONの略だという。発行は、1966年に虫プロから分離した虫プロ商事。

刊行期間 1967年1月号~1971年12月号。1973年8月号として、1号だけ復刊された(1973年8月1日発行)が、その後、虫プロ商事は倒産。

姉妹誌には、1969年5月に虫プロ商事より創刊された少女漫画雑誌『ファニー』がある。

手塚治虫の「火の鳥」(黎明編・未来編・ヤマト編・宇宙編・鳳凰編・復活編・羽衣編・望郷編・乱世編)を看板作品とし、これはライバル誌の『ガロ』の看板連載だった白土三平の「カムイ伝」に対抗する形だったとされる。「火の鳥」以外には手塚治虫の旧作の復刻、手塚治虫系の著名作家陣が執筆した作品が誌面を飾り、石森章太郎「章太郎のファンタジーワールド・ジュン」「サイボーグ009 神々との闘い」、永島慎二「漫画家残酷物語」「フーテン」、出崎統「悟空の大冒険」などが連載された。その他、松本零士も登場している。手塚治虫とトキワ荘に関わりのある赤塚不二夫、石森章太郎、鈴木伸一、つのだじろう、寺田ヒロオ、藤子不二雄、水野英子ら計12名の作家による競作漫画「トキワ荘物語」が発表されたのもCOMであった。

既存の漫画家の作品に加えて、COMからデビューした新人作家による作品がCOMの両輪として人気を博した。登竜門としてのCOMから巣立った作家たち としては、青柳裕介、あだち充、市川みさこ、居村真二、岡田史子、加藤広司、コンタロウ、竹宮惠子、能條純一、日野日出志、諸星大二郎、やまだ紫、長谷川法世、宮谷一彦、西岸良平らがいる。また、真崎守が峠あかね名義で指導した読者投稿コーナー「ぐら・こん」(グランド・コンパニオン)は、吾妻ひでお、飯田耕一郎、勝川克志、河あきら、樹村みのりらを輩出した。

 以上となっています。長々と引用が多くて失礼しました。

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2 コメント

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トミーさん、ありがとう~♪(^o^)。 (tooru_itou)
2007-03-12 13:45:11
「カムイ伝」の『ガロ』と「火の鳥」の「COM」。
当時、子供には憧れの手が出ないマンガ誌でした。
「火の鳥」「ファンタジーワールド ジュン」は
名前だけは有名で知っていても読めないマンガでした。
ともだちんちに行って、本棚に『ガロ』と「COM」が
並んでるのを見た時の羨ましかったこと!(笑)。

COM創刊のいきさつとかは知っていましたが、
「ぐら・こん」は、ちんぷんかんぷんに近かった
ので、今回の記事で、良~く解かりました♪。
「ぐら・こん」とはCOMの投稿ページのことと、
まんが同人組織の名前も兼ねているんですね!。 
 
なお、後年、「カムイ伝」も「火の鳥」も「ジュン」も
むさぼるように読んだのは勿論の事でふ(笑)。
「いくつになってもまんが好き!同盟」会員ですもん。
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ありがとうございます。 (トミー。(猫とマンガとゴルフ~の管理人))
2007-03-12 16:19:17
 私も子供の頃のこととて、引用しないとこの頃の記事はかけないですね。
 さーて、いい加減 「ジュン」 を記事アップしないとねー。何ヶ月も草稿の欄に残ってますよーー
返信する

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