猫とマンガとゴルフの日々

好きな物を題名に↑ 最近はゴルフとグルメお出かけ主体に。以前は1960年~70代マンガを紹介していました。ネタバレ有り。

COMの中の女性作家 ② 竹宮 惠子

2007年05月16日 12時23分50秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
       COMの中の女性作家さん その②は 竹宮 惠子 ケーコたんです。

 COM 昭和43年(1968)7月号 第十回月例新人入選作 「カギッ子集団」 16ページ 全ページフルサイズで掲載

 上の写真、39年前発表の作品ですが、どうです?今と変わらぬキュートな絵柄でしょ? と言うか、石ノ森氏風の少年まんが画風のここから始まって、「風と木の詩」 のような華麗な画風を経て、今は又、昔の適度に省略されたすっきりした画風に帰っている様に思うのですが。

 昔はカギッ子と言う言葉が有りました。共働きの家の子がまだ少なかった頃、鍵を持たされて日中一人で過ごす小学生くらいまでの子をそう言ったのです。今は学童保育とかあるし、専業主婦の少なくなった今はかえってそんな言い方しませんね。当時は親の管理の行き届かない子、親にほったらかされてる可哀そうな子と言う風な、どちらかと言えば悪い印象の言葉でした。

 あらすじ

 団地のカギッ子たちの団長 (最後まで名前は出ません) の男の子 (上の写真上段の右から2番目) は新しくカギッ子となったトコちゃん (写真下段 女の子4歳くらい?) をカギッ子集団に入れようと奮闘します。仲間のみんなは女の子だし年も小さいしと難色を示しますが、一人ぼっちで寂しそうにしているトコちゃんをほっておけないのです。それはそのまま自分達を見ているようで。
 
 しかし、トコちゃんは彼らと遊んでいるとママにしかられるので仲間に入るのを 「いや~」 と断固拒否。きちんとママとの約束を守ろうとするのですが、
でもなぜ ? どうして ? あの子たちと遊んじゃいけないの ?
ママに聞いても答えてくれません。カギッ子集団がいたずら小僧の集まりで、団地の奥様方からつまはじきされているから ? トコには理由が分かりません。

 違う日、トコがお友達と遊んでいると夕暮れ時、友達のお母さんが友達を迎えに来ます。何でうちのママは迎えに来てくれないんだろう。涙ぐむトコちゃん。そこに懲りない団長が慰めようと近づきます。

だめ! ママにしかられるもんっ

寂しいくせによ! なーんてま強情なチビなんだろ

だって ママが ママが・・・

 ワァァァと泣き出してしまうトコ。あわてて回りに集まってきたカギッ子集団の面々、アメを出したりあやしたり。

 やっと泣き止むトコを物陰から複雑な思いで見つめるトコママ。帰るトコママにおせっかいおばさんがトコちゃんがあんな監督不行き届きのカギッ子と・・・と告げ口すると 「トコもカギッ子です。」

 あの子たちは監督不行き届きじゃなくて、おとなの理解が不行き届きなんですわ。

 ここ、いいセリフですね。カギッ子集団とトコの楽しく遊ぶシルエットで終わっています。

 視点が紋切り型でなくて全体を見渡し、男性的なものを感じます・・・って、私も女流と言う言葉につかまっているのか ? お父さん達が、団長のことを あれでなかなかやるんだよ と言っているのを冒頭に出したりしています。
 反面、はっきりした解決法やトコママとの和解の場面を描かなかったりで中途半端な感じもないわけでは有りませんが、問題提起ということでしょう。

 選者の 峠 あかね氏 も、ラストで何もかもワカッチャッタ大人と歩み寄るような描き方ならば、文句なく佳作となった作品 と言っています。
 又、藤子 不二雄氏は、竹宮氏の場合は強い個性と言うより総合点での入選と言える。女性作家が男の子のグループを取り上げたことは面白く、又嫌味がなく自然に入っていける。カギッ子とはこういうものという説得力に欠ける。今後は山の張り方にポイントを置いて作品作りをするように、等々の評を寄せています。

 わたしなんか今読んでも、18歳の少女の作品とはとても思えないくらい完成されて見えるのですがねーー
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まだまだ少ないお蝶腐人の本棚

2007年05月15日 13時03分48秒 | マンガ周辺記事 作家別は下をどうぞ ↓
              わらわもすっかり お蝶腐人 じゃ。

 この道に引き入れてくださった つる様 お恨み (感謝?) 申しますぞ~。(爆) いやいや、もともと 「摩利と新吾」 や 「日出処の天子」 がお気に入りだったわらわのこと、初手からそういう好みが有ったのであろう。
 さすがにだんなと一緒の本棚には並べられず、その手の本は洋服ダンスの上の部分に収納しておる。

 ちと写真が小さくてはっきりせぬが、下段には今もっともお気に入り 山田 ユギ氏、西田 東氏、上段には 直野 儚羅氏、よしなが ふみ氏、鹿乃 しうこ氏、秋里 和国氏が並んでおる。もとより気に入った作家の全ての本を集める気はなく、借りて読んで満足とか、買ったものの一度読んだら気に入らずにブック○フ行きとか有るのでこれが読んだ全てではござらん。

 筋金入りの 腐女子さん たちから見れば作家も冊数も少なくてご不満では有ろうが、これから 腐女子道 まっしぐらと言う気もないヘタレファンのわらわにはこれでも増えてきて、もてあまし気味である。ラインナップも 某筋金腐女子さん によると、なかなか 渋好みだそうで、確かにブック○フなどで立ち読みすると他の作家さんの中にはすんごい描写で読めないものも有りまするな~。
 
 この中では 鹿乃 しうこ氏 と 直野 儚羅氏 よしなが ふみ氏 の一部同人発表のものが過激であるか。西田 東氏なんて、ものによっては まりしん より控えめなんじゃないの、というようなものも有りまするぞ。
 わらわは 西田 東氏 の省略されてその奥を想像させる セリフ や コマ運び が大好きなのじゃが、一般誌に普通のまんがを描いてくれんかの~。絵柄が少女まんがにしては地味なのが難点かの~。見慣れるとこれも味があるものなのじゃが。「願い叶えたまえ」 「影あるところに」 がお気に入りじゃ。

 山田 ユギ氏は絵柄も可愛く、お話もしっかりしていて中編も読ませるぞ。昨日もつい新刊 「おひっこし」 を買ってきてしまった・・・。新刊に手を出すようになると際限がなくなるのじゃが。「夢をみるヒマもない」 「誰にも愛されない」 が今の所の気に入りじゃな。

 直野 儚羅(ぼうら)氏はわらわが最初に買ったBL(ボーイズラブ)本だが、動物や子供が可愛くてつい手に取ってしまったらBLだったという・・・。 (いや、いいわけ) 暴力シーンや流血シーンも有るので万人向き (もともとBLは万人向きでは・・) とは言えんの。現代日本の今風ハンサムが出てくる短編が好みじゃ。

 よしなが氏はファンも多く、専門サイトなどもあるのでわらわごときが詳しくは言えないが、BLとはいえさすがというものがあるの。秋里 和国氏はBLより、今は明るいコメディータッチの 「スィートオアシス」 「プチエゴイスト」 などをまんが喫茶で読んでおる。なかなか楽しいぞよ。

 さて、某筋金腐女子さん に 宮本 佳野氏も薦められておるので、まだまだBL本は増え続けるようでため息ものじゃ。これ爺や、ミルクティーを持て、昨日買った鹿乃 しうこも読まねばならぬて。


 すみません~。COMの記事を書かなけりゃと思えば思うほど、BL本を読みふけり・・・。しょうがないのでBLをネタに一つ書いてしまいました~。
 COM関連では、矢代 まさこ氏の2番目と、同じ号に載っていた 竹宮 惠子氏 のぐらこん入選作について草稿中でございます。しばしお待ちを~。
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COMの中の 矢代 まさこ ① 「蝶々の泣いた夜」

2007年05月14日 11時35分38秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 矢代 まさこ氏は、COMの女性作家の中でも作品数が多いので他の女性作家と別枠にしました。


始めに、矢代 まさこ氏のCOM掲載作品は以下の通り 参考 矢代 まさこ 掲載雑誌別作品リスト


短編シリーズ 1
 蝶々の泣いた夜 16ページ 昭和43年(1968) 6月号
短編シリーズ 2
 笑いかわせみにいえない話 20ページ 昭和43年(1968) 7月号
短編シリーズ 3
 歌うたう里子 20ページ 昭和43年(1968) 8月号
短編シリーズ 4
 わが名はボケ猫 20ページ 昭和43年(1968) 9月号
ノアとシャボン玉
短編シリーズ 5
 クモの糸 3話 22ページ 昭和43年(1968) 10月号
短編シリーズ 6
 ここちゃん 16ページ 昭和43年(1968) 11月号  
短編シリーズ 7
 5匹と2人の物語 24ページ 昭和43年(1968) 12月号
短編シリーズ 8の1
 シャボン玉 23ページ 昭和44年(1969) 1月号
短編シリーズ 8の2
 シャボン玉 24ページ 昭和44年(1969) 2月号
短編シリーズ 8の3
 シャボン玉 24ページ 昭和44年(1969) 3月号
短編シリーズNo.9
 影を落とした・・・・・・ 20ページ 昭和44年(1969) 4月号
短編シリーズNo.10
 セント・レニの街 20ページ 昭和44年(1969) 5月号
短編シリーズNo.11
 熱・すすき・白い闇 20ページ 昭和44年(1969) 6月号  
短編シリーズ 最終回
 まり子の涙 20ページ 昭和44年(1969) 7月号
ノアをさがして 48ページ 昭和44年(1969) 11月号
風のある絵 24ページ 昭和45年(1970) 3月号
ひろ子が待つ人 40ページ 昭和45年(1970) 7月号 『なかよし』掲載作品再掲
矢代まさこのおもいつ記 3ページ 昭和45年(1970) 5月増刊号
ノミの歌 24ページ 昭和45年(1970) 7月号 42年「別冊マーガレット」掲載作品の再掲 ※タイトルを変更
駄犬の目 24ページ 昭和45年(1970) 8月号
ひいらぎ 24ページ 昭和46年(1971) 1月号  
エミのストールのこと 24ページ 昭和46年(1971) 4月号  
うそつき鏡 24ページ 昭和46年(1971) 10月号


 COM 昭和43年(1968)6月号掲載 短編シリーズ① 「蝶々の泣いた夜」 

 アラスジ

 森のはずれに裸の少女の古い人形が捨てられています。女の子達は金髪のトップモードのお人形に目を奪われるものですから・・・。
 人形はあんなに可愛がってくれていた女の子が急に変わってしまったのがわかりません。もうお友達は出来ないのかしら・・。
 
 そこへバリバリと葉っぱを食べながらイモムシ君登場。イモムシを大きなハチから守ってあげて人形のミミとイモムシのゴロゴロ (ミミが歌からつけた) は友達になります。ゴロゴロがミミのベッドを葉っぱで作ってあげたりして楽しく時は過ぎ・・・。
 
 秋が来るとゴロゴロはあんなにバリバリ食べていた葉っぱを食べなくなり、ついに神様からのような、抗えない命令が聞こえる・・・苦しい・・・と言いながら、サナギになって動かなくなります。大丈夫、僕死にはしないから、というゴロゴロの言葉を信じて人形は木枯らしの中、吹雪にもめげず、花が咲いても鳥が鳴いてもわき目も振らずにゴロゴロのそばで待ったのです。

 そして―初夏。見事な蝶になってサナギを脱ぎ捨てるゴロゴロ。でもミミにはゴロゴロが蝶になったのが分からない。からっぽのサナギを抱きしめて泣き叫びます。あなたったらゴロゴロの中にいたくせにゴロゴロをほおって行ってしまうんだわ。成長すると言うことを、抜け殻を捨てると言うことを人形は知らないのです。カサカサの醜い抜け殻は女の子に飽きられて捨てられた自分の姿にも見えるのです。

 人形は泣いて、泣いて小さな川が出来ました。それでもどんどん泣いたので、人形はおぼれて流れて行きました。このとき人形は死んだのでした。
 ゴロゴロは考えます。知らなかったの ? 生きているものならどんなものでも時間がたつに従ってかわっていくものなんだ。僕も今やっとそれを知ったところなのに、ミミは附いてこられなかった・・・ミミ・・・。

 川に流される死んだ人形の上をゆっくりとついて行く大きな蝶々。
夜釣りの男が死んだ人形の流れてくるのを見ました。それをあやすように水面を飛ぶ蝶を見ました。そしてすぐ忘れました。蝶はなんだか涙ぐんでいるように見えたのですけれど。

 変わることを恐れるなというメッセージを伝えたかったのか ? でも人に作られた人形はどう変わればよかったのか ?

 マンガではあるけれど、言いたい事は大体文章で説明しています。少女向けの甘いマンガでないことは分かるけれど、これからC0Mで何をどのように描こうか模索中に見える作品。

 この号では、矢代 まさこ氏と 山上 たつひこ氏が初登場しています。矢代氏は読みきり連載の形です。山上氏は表紙では新連載となっていますが、作品は 「破局への招待」 という短編SFもの。凶暴な地球外生物が宇宙を護送中に逃げ出し、地球に降り立ち生まれる寸前の女性のお腹の中にいた赤ん坊に取り付いた。かれの名は アドルフ・ヒットラーと言った、というもの。次号の1968年7月号より 「人類戦記」 という長編連載の第1回が始まっています。

 又、この号の ぐらこん 児童まんがコースのトップは 安達 みつる氏 (あだち 充) (当時17歳) の 「友の影」 絵は達者ですね~。



                  
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先週末の話題

2007年05月14日 10時20分49秒 | ゴルフ
 茨城県 水戸市郊外 桜ノ宮ゴルフクラブさん 南コース3番ショートコース

 で、チップインバーディーを取りました ! だんなと二人だけで廻ったので他に褒めてくれる人いなかったので、ここで発表しちゃいまーす。この写真は次の3番コースのティーアップ場から後ろを振り向いて撮った物なので、ここから打つわけでは有りません。画面左方向から打ち下ろしの130ヤードほどです。7番アイアンで打った1打目を左手前に落としてしまい、そこから2段グリーンを計算に入れて左方向に打ったら上手い具合に入ってくれました。 (わーいわーい)

 藤の花も綺麗だったし、

                  

 スコアもハーフそれぞれ50前半で廻れたし、天気は曇りで日焼けしなかったし、しっかり1.5ラウンド廻れたし、絶妙な薄暮ゴルフでございました~。




                  
 
 違う話題ですが。うちの猫の額庭に夏みかんの木があります。完全無農薬、南向き太陽浴び放題の健康夏みかんさんです。
 毎年結構実がなるのですが、すっぱいもの好きの実家の父にあげたりしてあまり家では食べたことなかったのです。が、今年は20個ほどしかできなかったので (生る年は40~50個も生ります) 多少お隣の親戚に上げて、残りをうちで袋の皮まで剥いて砂糖漬けにしてみました。
 
 簡単な割には美味しいですよ。ただし、皮を剥くのに時間がかかります。冷蔵庫で冷やして半日もするとタッパーウェアの下につゆがたまって又これが美味しいんですわ。結構砂糖のカロリー高いとは思われますが。
 1週間前にタッパ1箱、週の途中で1箱、せっせと剥いて、写真は残った最後の7個。一気にタッパ2箱分作って今年はお終いです。来年もだんなのために作ってあげよう。なんで男性はすっぱいものが好きなんでしょうねー
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スパイダーマン 3

2007年05月11日 15時26分58秒 | 映画
   大変面白いエンターテイメント映画でした~。

 一つだけ文句言ってもいいかな?前から思っていたけど、ヒロインの子、もうちょっと顔の可愛い子にしてよ。男に寄りかからない自立した女性だとしてもさ、アメリカと日本の可愛いの基準が違うのかな  キルスティン・ダンストさん、嫌いじゃないけど、スパイダーマン役のトビーがムキムキじゃない小柄な感じだからね。「マリー・アントワネット」 のときはそれなりに可愛いと思ったんだけど。

 トビー・マグワイヤさん好きです。だんなと二人で見た 「シービスケット」 (世界恐慌の頃の競走馬のお話) でも良かったし。今回もダークな時と普通の時の変わり具合がメイクもあるのだろうけど別人でしたよ。
 スパイダーマン・ピーターの元親友で、敵役になって又最後に味方になるという難しいハリー役をやったジェームズ・フランコさん、いいじゃない~。もっと見ていたいのに~

 この終わり方は…まだ続きあるの ? 3で終わりかと思ってた。
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昭和のフラワーオブライフ? 西谷 祥子 「レモンとサクランボ」

2007年05月10日 11時31分29秒 | マンガ家名 な行
 いつものように写真が暗くてごめんなさい。マーガレットコミックス1968年 (昭和43年) 3月31日初版、これは1975年6月30日17版 夜さんからお借りしたもの。

 夜さんから西谷氏昭和40年代頃の作品のコミックスを28冊お借りしてまして、現在読書中。なかなか減りません。皆それぞれに当時の思い出いっぱいで面白く一気に読んでしまいますが、その中で今読んでも名作なのはこの 「レモンとサクランボ」 ですね。連載当時も好きな作家さんだったので大好きな作品だったと思うのですが、今読んでも普遍性があって古くないのです。

 この作品は週刊マーガレットの昭和41年(1966)21号~41号 21回にわたり連載された西谷 祥子先生の代表作。それまで多く外国を舞台にしていた作者が、日本の高校を舞台に描いた学園マンガです。
 正義感が強く、おせっかいでそのくせさっぱりした性格のレモンのような高校1年になったばかりの少女 礼子 と入学式の日に電車で一緒になった性格も容姿も違う可憐な さくら を中心に、同じ1年B組のクラス全員が主人公とも言える群像ドラマにもなっています。
 
 別冊太陽 こどもの昭和史 「少女マンガの世界 Ⅱ」 昭和38年-昭和64年 のインタビューの中で、西谷氏は、この作品について
 水野(英子)先生のロマコメより主人公の年齢を下げて 「マリィ・ルウ」 を描いたら評判が良かったので、それではと自らの学園生活を下敷きに、しっかり知人や、友人の誰かれをモデルにおいた 「レモンとサクランボ」 を描いて、これは、多分、大当たり、だった。
 と述べています。

 昭和40年代当時の西谷氏の作品には、当時の少女達が憧れてやまないアメリカやヨーロッパ (特にパリなど) を舞台にこれまた憧れのお金持ちの令嬢や子息が楽しく恋愛模様を繰り広げる、なんて作品も多くて、それはそれで当時はうっとり楽しんでいたけれど、40年後の今日、裕福になった日本の50代女が見てものめり込むほどのものでもなく、ただ懐かしく再読していたのでしたが、この 「レモンとサクランボ」 は細部に古いところはあるものの、学園生活における楽しさや恋の始まる高揚感、高校生達の感情において今と変わらぬ普遍性があるのです。

 今の若い読者に分かりやすく言うとなると、40年前の 「フラワー・オブ・ライフ」 というところですか。チャンスがあれば今の若い読者にも昭和の学園生活を追体験して欲しいものです。2004年5月14日、白泉社文庫で「西谷祥子傑作選3 レモンとサクランボ 」が刊行されています。

 あっ、外国が舞台のマンガにも、時々ぴりっと西谷氏の当時は珍しいフェミニスト発言があって、へーっとびっくりしますよ。
 それはほぼ10年後の昭和52年17号~19号の週マ連載、「女が弱いなんて」 により強く出ていて、精神的に自立しようとする少女の気持ちがとてもよくあらわされています。これは学園物でももうちょっと恋愛模様が複雑になってて絵柄も上手くなっていて読み応え有ります。

 しかし、西谷氏のファンHPなどで見る 別マ やその他の表紙絵、扉絵のなんと美麗なこと 省略したマンガの動きのある絵もいいけれど、この方のイラストレーターとしての才能は天賦のものがあると思うのですが。 ↓

 西谷 祥子ファンクラブ 西谷 祥子ファン倶楽部 
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女流の開拓者 矢代 まさこ氏

2007年05月09日 13時01分12秒 | マンガ家名 やらわ行
 写真は貸本時代の代表シリーズ ようこシリーズ の中から 「おしゃれなヨーキ」

 私が 矢代 まさこ氏 の作品を最初に見たのはいつ頃のことだったか。COMに初めて掲載された女性まんが家は 水野英子氏 で、次が矢代氏だったが、もっと前から知っている人だった。別冊マーガレットの昭和41年(1966)12月号に載った 「ミミー、みっつ」 はまねてスケッチブックに画いた覚えがあるので、それ以前からの 別マ で時々見ていたのでしょう。けっこう好きな絵柄の人で、見つけると喜んで見ていた。模写もしていたように思う。

 矢代 まさこ氏 はデビューが昭和37年(1962) 金園社刊 貸本雑誌の (すみれ24号) 掲載 「ちいさな秘密」 (わたしは未見) で、その後も貸本の世界で人気を得て、28巻も出た 「ようこシリーズ」 という個人集まである。1話づつ違うようこちゃんが出て来るシリーズ。
 この 「ようこシリーズ」 は、私も貸本屋で何冊か見ている。完結の 「おしゃれなヨーキ」 を浦和の貸本屋で見つけ、売ってるものと勘違いして店主の老夫婦とちぐはぐな問答をしたことがある。進学塾の帰りだったから多分私が中学3年の頃のことで、すでにその頃昔ながらの貸本屋というのは絶滅寸前だった。それからしばらくここは私の桃源郷と化していたっけ。


                  


                  貸本 よっこヒヨッコ逃亡記 表紙



 今思えば、老夫婦に渡りを付けておいて、廃業するとき矢代作品はすべて引き取らせてもらえばよかった。他にもその小さな店には、少女向けでは 高橋 真琴・巴 里夫・白土 三平 (少女まんがも描いてたんですよ!)・赤塚 不二夫・池田 理代子・貸本時代の最後を飾った 山田 美根子(ミネコ) 等も有ったはずだ。少年、青年向きでは覚えているだけでも さいとう たかを・佐藤 まさあき・辰巳 ヨシヒロ・つげ 義春などが有ったはず。
 あーっ、もったいなかったって・・・中学生ではそんなこと思いも出来もしなかったか。

 矢代氏のファンの方がとてもくわしいHPを開設していらっしゃいます。 ↓

       矢代 まさこ漫画館

 この中の作品リストを眺めていると、 別マ の作品にはなんとなく憶えのある題名が多い。「ミセス・モンローのお嬢さん」 昭和42年(1967)とか  「キキの新しい歌」 昭和43年(1968)1月号  「トムピリビに会った?」 デラマ 昭和45年(1970)春の号などなど。
 「キキの新しい歌」 は、昭和45年(1970)7月号のCOMに 「ノミの歌」 として再掲されている。COMには再掲の断り書きがしてあったが、個人的にどこかで見たなーと思ったのは 別マ で、でしたか。

 COMの姉妹誌 「ファニー」 も読んでいたはずなのに、「ファニー」 掲載の題名を見ても何かピンと来ない。昭和44年(1969)~昭和48年(1973)頃ではもう少女マンガに関心が薄れてきた頃か。

 矢代氏は女流としてはほとんど始めて男性誌にもいろいろ描いている人で、昭和40年代の少年週刊誌の 少年マガジン、少年サンデー、少年キング、少年ジャンプ、少年チャンピオンにとすべて描いてますね。漫画アクションやビックコミックオリジナル、コミックアゲインにも描いてます。
 ありゃりゃ June (いわゆるひとつのBL誌の老舗) にも描いてるわ~。昭和54年(1979)5月号 「瑠璃をみる」。そういう匂いの全然ない方なので、どんなん描いてるか興味深々、どなたか見たことある方居たら教えてください。

 リストを眺めているだけで、楽しくて一記事分になってしまいました。矢代氏は奥が深い・・・深すぎる。。。いつになったらCOMの矢代作品にたどり着けるのか不明・・・。
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今年のゴールデンウィーク

2007年05月08日 10時21分26秒 | ゴルフ
       皆様、今年のゴールデンウィークはいかがお過ごしでしたか?

 私はあまり遠くへ行かず、(80歳代叔母と同居) 近くの公園で犬と遊んだり、ゴルフに2回行ったり、近場で過ごしました。上の写真は近所の汐入公園というとても広い公園で犬とだんなと遊んだときの写真です。だんなの顔はとてもまぶしいのでぼけさせていただきました。(何がって分かってらっしゃるくせに・・・) しかしペルはやっぱりデブだ。

 ゴルフの方はいつもの 薄暮 に1回行きGW期間中はリーズナブル料金を設定している高級ゴルフ場へ1回行ってきました。毎年各ゴルフ場はGW期間中は接待族が少なくなり、家族サービスのお父さん方も来なくなるので安い値段でお客を集めているようです。
 5月4日に伺った茨城県の 千○田CCさん もGW2週間前に去年1回だけ行っただんな宛にはがきが来て予約しました。食事つきで祝日15,000円程度とは、こちらのゴルフ場さんでは信じられないお値段です。だんなが大乗り気でお友達を誘って早速予約 ! 当日も我々と同じ年恰好の夫婦や30歳代くらいのカップルのお客様が多かったですね。


                  

                 西コースのあがり9番ホール

 
 私は初めてでしたが、とっ~ても綺麗なゴルフ場さんでした。カートも電動の大型カートでシートに厚手メッシュが張られていて乗り心地最高 ! 高低差が3mということなので、老人向けの接待コースかと思ったらさにあらず、池とバンカーが絶妙に配置された結構難しいコースレイアウトでした。池越えに泣かされました~。


                 


          なぜか いのしし がシンボルになっていて、ティーアップのマークもいのししちゃん。プラチナ、ゴールド、銅の順に長くなっています。


 
                  


                  インターバル (ホールとホールの間の道) の余興には、竹の子が屹立していて奇景なり。アハハ。


 お天気に恵まれ、お友達夫婦と4人楽しくGWの1日を過ごしました。これが最高ね  例によってスコアは言えないけど、初めてのところにしては良かったかも。あの~100切ったら報告しますので~。 (一生無理かも)
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COMの中の女流まんが家 ① 飛鳥 幸子 「キリスト正伝」

2007年05月07日 17時25分06秒 | まんがエリートのための雑誌 COM
 GWにCOMをひっくり返し、女流まんが家さんの記事を書くぞ!と張り切って、まずはCOMに女流で最初に登場した 矢代 まさこ氏 をと思ったのですが・・・、COM掲載作品数が多くその充実度も凄いのに圧倒されてあえなく挫折中。ただいま草稿中ですので、しばらくお待ちくださいませ。

 で、「COMの女流といえば、」 と以前の記事コメントで夜さんが覚えていて書いてくれた 飛鳥 幸子氏 の 「キリスト正伝」 を引っ張り出しました。(短編だし)
 
 飛鳥 幸子氏はCOMに

1968年 2月号 ほほえみをあなたに
1968年 6月号 キリスト正伝
1969年10月号 誰がためにベルは鳴る
1970年10月号 エルシノア城奇談

 の4作品を発表されていますが、夜さんと同じく私もこの 「キリスト正伝」 しか憶えていませんでした。他の作品はまだ再読していないのですが、よっぽどこの短編がお互いの記憶に刻まれていたものでしょう。これ、ギャグ作品なのですがキリスト教関係者が読んだら漏れなく激怒しそうな内容でして・・・。いや、当時カソリック系の小学校を卒業して3年しか経っていない私は大笑いしましたけどね~。(ばちあたり)

 あらすじ

 西暦元年 (当たり前) ベツレヘム―。ヘロデ王の代 処女マリア聖霊により身ごもりてイエスを生みたもう。
 マリアの婚約者ヨセフ (大工さんね) は 「この子はいったい誰の子だ!」 と詰め寄ります。しかしマリア、あわてず騒がず 「神の子です。口を慎みなさい。」 と。東方より来た3博士の薦めもあって、?????? ながらもヨセフはマリアと結婚します。イエスは成人となり、神の子であることを民に告げ布教活動に入ります。
 
汝 盗むなかれ! 汝 殺すなかれ! 汝 姦淫するなかれ!

 おかげでこの地方の出生率大幅低下 (爆笑) 総督のピラトは原因がイエスの教えと分かると困ってしまいます。イエスが神の子だと信じている民衆の騒ぎが怖かったりして捕まえるのを躊躇してうだうだ言ってるんです。しかし、イエスは本当は神の子じゃないと耳打ちされ、民衆をだました罪で捕らえる理由が出来たとばかりにマリアの家に証拠固めに出かけます。
 ところがマリアの前で誰も彼もがイエスは俺の子だと騒ぎ始め、実のところマリア本人にも誰の子か分からないという始末。

 かくも世の中の女の不実なるをイエスはしみじみと泣き、十字架に架けられたのであった・・・。  まんがの画像はこちら↓

 
 十字架に架けられるイエス・キリスト 飛鳥さん、面白すぎ


 最後はSFちっくに終わります。実は宇宙人が地球征服の為に仕掛けた事だった (人口を減らしてから攻めるとか) だが、失敗した。それは人間のバイタリティーによるものだ、二千年たっても救いようのないハレンチな連中ばかりだ、我々植物系の生命体には分からん、とあきれて帰って行くUFOの絵。

 飛鳥氏は聖書読み込んでますね。ピラトが逡巡するところなんか内容はずれてるけど、元の通りのような。(ずいぶん前に読んだのでウロだけど)
 去年公開の映画 「ダ・ヴィンチ・コード」 はイエスが結婚していたというところが欧米では論争になったそうですが、これはそれどころじゃないでしょ。イエスはどこの誰の子とも分からない、マリアの姦淫の果ての子、だと言うんですからねぇ。私、夜さんから聞いたときはギャグだったよな、としか憶えてなかったんですが、再読して納得でした。
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ヒュー・グラント 「ラブソングができるまで」

2007年05月06日 16時22分34秒 | 映画
 ラブソングができるまで - goo 映画

 結末が容易にわかるラブコメで有ります。いいんです、ヒュー・グラント好きだから。あのしわっぽい目のあたりがたまりませんわん ! 
 
 80年代アイドルグループ (これがまたスタイル、曲ともによく出来てる) のツインボーカルとして活躍したアレックスはすっかり忘れられた元スター。一方彼の部屋の植え木係をしに友達の替わりにやってきたソフィーは、ひどい恋を経験して傷ついたことのある、元詩人で姉のエステ会社を手伝っている女性。この二人がトップアイドルスターのコーラ・コーマンの新曲を作るハメになり、云々、かんぬん、ドタバタあって、というお話です。

 このトップアイドルちゃん役の子が、ちょう可愛くて日本人好み。浜崎あゆみを髣髴とさせる (ごめんね 本当のあゆは知らないの) このアイドルスター、よく作られててこのまま日本でデビューさせても人気出ると思われるほど。ベイビーフェイスにナイスパディ、結婚披露宴に9時間、別れるのに3時間じゃブリちゃん (ブリトニー・スピアーズ) も真っ青 ? 写真を出したかったのだけど、フォトギャラリーにはヒューとドリュー・バリモアしかないのよね。
 コーラちゃんが出ている間は私、釘付けで見てました。名前が分からないのです。見た方いたら、どなたか教えて。
 又映画に出てくるかしら。ファン一名できましたよ~、来日して頂戴。
コメント (2)
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