チームの寿命が近づいてくると、過去を振り返ったり、技術公開などをするのが流行っているようですので・・・
(寿命が近づいた・・・ではなく、すでに寿命が終ってた・・・笑)
「M&Y」は、レスキューA(当時は単なる「レスキュー」)とレスキューB、そして CoSpace Rescue を経験しました。
その前に、杉並区の「ロボットすぎなみ21」のロボットコンテストがあります。これが無かったら、ロボカップにも参加していないし、「M&Y」も存在していませんでしたね。
流れとしては、レスキューA ⇒ (レスキューB ⇒) CoSpace Rescue ⇒ レスキューB という感じになります。
レスキューAでは、基本はライントレースでしたが・・・特に苦労していたのがレッドゾーンでの動きですね。でも、これが、後にレスキューBの基本になりました。
レスキューAをやめてしまったのは、単にレスキューAのルールが変わって、被災者が缶になったのですが、缶を持ち上げる機構を作ることができなかったからです。 しかし、このレスキューA時代に築いた技術が、CoSpace Rescue やレスキューBに引き継がれました。
じゃあ、CoSpace Rescue は!?
ソフト屋さんである「M&Y」には、ソフトだけで勝負する CoSpace Rescue は、なかなか面白い競技でした。
2011年のイスタンブル世界大会で、レスキューAの技術を使って、ライントレースをする(高度な!?)プログラムで挑戦したのですが・・・中国チームをはじめとする、単純なプログラムの方が高得点を出せる、という事実に、興味を失ってしまいました。「M&Y」のプログラムは CoSpace スタッフには好評だったのですがねぇ。
しかし、この CoSpace Rescue で超音波センサーの使い方をマスターしました。これが、レスキューBに大変役立ちました。
(そして、このときに築いた人脈が後の時代に大きく影響します。)
さて、レスキューBについてですが・・・
ハード屋ではなくソフト屋である「M&Y」には、大変マッチした競技でした。
2010年のデモ競技(エキシビジョン)から参加しているので、世界一長く競技に参加しているチーム(のうちの一つ)だと思います。
ただ、近年は迷路抜けよりも障害物競走の要素が大きくなってきたので、段々と苦手な方向に向かっているように思います。
それでは、こんな流れを踏まえて、チームやロボットの遍歴などを振り返ってみたいと思います。
続きの記事はこちら → M&Yの履歴を振り返って その2 2007年