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2007年
まず、なんと言っても、ロボカップジュニアに参加するきっかけを作ってくれたのが、杉並区のロボットコンテストで、この競技ルールをロボカップジュニアのレスキューに合わせてくれたことです。そして、その練習会でP1、P2のお二人にお会いしたこと・・・これらがなければ、こんなブログを書いてませんでした。このロボカップジュニアに参加したことが、M&Yのすべての始まりでした。
2007年に初めて参加したときのロボットは LEGO MINDSTORMS の RCX でした。
当時は NXT が発売されていたかもしれませんが、そんな(高価な)ものは我が家にはありませんでした。
RCX のセットは1組だけ持っていたと思いますが・・・光センサーだとかの数が足りなくて・・・杉並区立科学館から、いくつか借りてたんじゃなかったかなぁ。
参加した競技はもちろんレスキューAです。(当時はA、Bの区分は、まだ無くて単に「レスキュー」)
杉並区のロボットコンテストではロボカップジュニアレスキューの2006年ルールに準拠していたので、スタートからゴールまで、黒線をたどれば良かったのですが・・・
2007年ルールで、黒線の無い部屋「レッドゾーン」が登場しました。
これまで、参加していた殆どのチームも「(黒線の無い)レッドゾーン」の対応に苦労したようです。
このように、たまたま初めて参加した時に大きなルール変更があったので、新参者の「M&Y」も経験者と同じスタートラインに立てたのだろうと考えています。本当に良いタイミングだったなぁ。
で、ロボットの方ですが・・・
あんまり書くことがありません。
「シンプル」の特徴のとおり、特殊なことをしていません。
あえて書くと・・・
傾斜路を判定するのに水銀スイッチを使っていました。
(この水銀スイッチって、現在でも購入可能なのでしょうかねぇ。)
ガラス容器に封印された水銀が動いて2つの電極をONにしたりOFFにするスイッチですね。これは、安くて単純な割には、確実に機能してました。
たまに、ロボットの振動などで、傾斜路でもないのにスイッチがONになる場合があります。これをソフト的に判断(ONが3回続けば傾斜路と判断)するなどのノイズの対応などをするようになりました。
それから、LEGO用の電球を1個しか持っていなかったので、LEDでランプを自作しました。
そして、最後に・・・
電源を安定化(もどき)していました。
ロボットは電池で動作します。電池が新しいとモーターは元気に回ります。電池が古くなると(容量が減って、電圧が下がると)モーターの回転は遅くなります。ロボットの回転をタイマーを使って制御するのですが、電池の状況によって回転が足りなかったり、回りすぎたり・・・
これを解決するためには、コンパスセンサーやジャイロセンサーなど、ロボットがどれだけ回転したかを計測したり、ロータリーエンコーダーでタイヤの回転数や回転角を計測する必要があります。しかし、当時のRCXではそんなことは困難でした。
当時・・・師匠(P2)のロボット(NXTでしたが)には、電源の安定化装置が搭載されていました。乾電池を8本に増設して得た12Vを9Vの3端子レギュレータで安定化していました。これによって、モーターの回転やセンサーの値が電池の状況に(多少)影響されなくなったそうです。
よし、これをパクろう・・・(笑)
しかし、外付けで電池を増設するのは大変です。
そこで、「M&Y」が取った方法は・・・
乾電池はRCXにセットできる6本のままにして、RCXの外に増設することはしない。使用する電池をオキシライド乾電池にする。低損失の3端子レギュレータで降圧する。
こんな感じです。
オキシライド乾電池を6本を使えば、1.7v×6本で10.2Vになります。低損失3端子レギュレータであれば、0.5V位の電位差があれば機能しますので、電源電圧が9.5Vくらいになるまで、9Vを供給してくれました。これで、ある程度安定化(のような感じが)しました。
このため、大量に(特殊な)オキシライド乾電池を購入する必要がありました。(今でも、結構な本数が残っています・・・使えるかなぁ!?)
さらに、RCXの電池交換をすると、必ずファームが飛ぶので、(電池を交換する度に)ファームの転送が必要でした。(もちろん、プログラムも飛ぶ)電池交換係のYは大変でした。(笑)
ソフト的には・・・
レッドゾーンでロボットの姿勢制御をするために、ロボットの機体を壁に押し付けるようにしてました。 これは・・・ジャパンオープンでもアトランタ世界大会でもやっているチームが無かったので「M&Y」オリジナルだと思います。アトランタでもスタッフの人たちから「素晴らしい!」と、褒められていました。2008年の蘇州世界大会のときも、オーストラリアチームのGraeme博士が関心してくれてましたねぇ。
それ以外は、どうということの無い、普通のLEGOロボットでした。
続きの記事はこちら → M&Yの履歴を振り返って その3 2008年