都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

集合論としての多様性:パラドックスと必要・十分条件

2021-11-11 01:21:12 | 世情

 LGBTを認めるのが多様性の証だ。と思われる論調があるが、これを認めないという意見も認めるのが多様性ではないかとの疑問を考えた。

 

 集合論では、自分自身を含む集合はパラドックスがある( https://manabitimes.jp/math/935 )と証明されている。ここで、多様性を認めるとすると、LGBTを認めないのも多様性になる。

 

 しかし、多様性を認めないものが、一つの多様性になるのはパラドックスだ。つまりは、多様性を認める「規範」があると考える。事例として、LGBTを多様性として認める。しかし、多様性といっても、偏向した政治活動は独裁につながった歴史がある。犯罪につながる幼児愛好(チャイルド・ポルノ)、幼児虐待は社会制度から多様性とは言えない。

 多様性を認めるには必要条件(受け入れる)と十分条件(社会・法的に問題がない)の両方があるように考える。

 我が国でも、留学生や専門職など国際的な多様性が創造的社会に向けて欲しい。その時の必要条件と十分条件、そしてアファーマティブ・アクション(優遇措置 https://en.wikipedia.org/wiki/Affirmative_action )も整備すべきだ。現に、ラグビー日本チームや相撲では国際化が進んでいる。街行く外人と言わず、International Tourist(s)の方が良いと思う。

 個人的だが、幼児愛好(チャイルド・ポルノ)、幼児虐待には怒りを覚えるとともに取締・対応が欲しい。特に再婚での幼児虐待が繰り返されているように思い涙を禁じ得ない。幼児虐待は拷問に近い、唾棄すべきものだ

コメント
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