32年ぶりにT工務店の同窓会に出席、最も古い本部(P1)であり、東京からはM下さんが社長に、現在は大阪からN波会長、S木社長を輩出している。
といっても10年(うち2年は留学)だったが、当時は朝起きて会社に行くのが楽しみだった。
今回、登録有形文化財になる御堂ビル(基準階面積875坪 1965年竣工、御堂筋で最も間口が大きい)の見学もできた。驚いたのは、
①オフィス内連絡階段:床を抜くのと構造の補強など申請が面倒
②天井高さ確保:昔は31mに9階を入れるのが定石、そのため1階は掘り下げ(旧三菱T/Bが入居していた)
③フリーアドレスと固定席の混在:業務により区分、なお家具などはコクヨ
懐かしい先輩方とお会いできたのは楽しかったが、年齢を感じた方、変わらない方、まったく変わりあれっと思う方だった。
どこでも同じだが、慕われない方は出席されない、その裏話もお聞きしたがやっぱりなぁと思った。
尊敬する先輩はゴルフを続けておられるが、昔一緒に楽しんだテニスはもうやらないと聞き、寂しかった。(今なら勝てると思ったのだが)歩く時も手すりに手を添えていたのにも驚いた。
昔のとんがった時代の当方のあり方を色々覚えている方がいて、赤面するしかなかった。
現在の経営状況として伺えたのは
①ゼネコンは10年周期で収益が替わる、今は冬の時期、経費が高騰している
②開発計画が仕事を取らなくても受注は多い、利益確保に傾注を
③ゼネコン他社とのCMなどの比較(イメージ形成)など
があったが、経済のマクロ動向を踏まえたものではなく、業界の比較優位を述べたものであった。
楽しい「怪獣集団」だった開発計画本部の変容を感じた。
今でも、都市の創造を考え、オフィスの論文を世に問えたのは幸せだ。かつての開発計画本部の矜持がある。しかも、オフィス・マーケットはリモート・ワークに慣れたため需要が減少している中、大阪でも東京でも新規ビルの供給が続く。その反動は賃料水準の低下となり、これからの建設受注にも影響すると考えている。なぜなら、安いコストでビルができないと投資採算が見込めないからだ。
色々感ずることもあり、土建屋から保険屋の不動産部に替わったのも良かったかなと思った