今日という日の風がぼくの皮膚をなでて吹き通っていく。さっき出てきたばかりの路地の奥へと。ぼくはその路地の奥で ある人びととの密会を愉しんでいた。そう・・・すでにこの世を去った人びととの。あるいは去ろうとしている人びととの。彼らの大半は幽霊ではない。いや もしかして 一人二人の幽霊もまじっているだろう。ホトケノザがゆれる。「さあここへきて小さなピンクの花弁をのぞきこんでごらん」奥の奥に小さな格子のはまった青い窓が見えるだろう。そこにはすてきな図書館があるのに
ぼく以外にはその存在は見えないのだ。うっすらとほこりが積もっている。
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物心ついたころには、わが家に犬がいた。犬が好きだった。それから、いったい何匹の犬を飼ったことだろう。犬は人間に比べたら短命だから、彼らの死には、何回となく立ち会ってきた。わたしが最後につれそったのは、ムクという白い雑種で、白内障におかされ、盲目となってしまった。その犬が散歩から帰ったとたん、わたしの腕の中で突然息をひきとった。
そのときのショックを、いまでもはっきり覚えている。はずかしい話だけれど、わたしは号泣した。息子がもらってきた犬だった。千葉にいた息子に、ムクの死を報告しながら、涙が、いつまでもとまらなかった。
ムクの思い出は、ムクとすごした時間の思い出だった。いっしょに歩き、いっしょに走った。朝の村や、夜の国道。サクラ吹雪が舞う日や、寒風吹きすさぶ夜。あるひとつの出来事の向こうに、ずいぶんいろいろな出来事が、積み木のように重なりあっている。
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ヤシカマット124Gの短期使用レポートをまとめようかと考えていたが、やめておこう。あまりにマイナーすぎる。ローライなら読んで下さる人もいるだろう。しかし、ヤシカの二眼レフに関心をもってくれる読者がいるとはおもえない。あとで、気が向いたら、また書くこともあるだろう。
むろん、それでいいのである。世の中とは、そういうものであるから。
しかし・・・わたしは少々へそまがりだから、ベストセラーには、あまり興味がない。ベストセラーよりは、ロングセラー。
そう考えないかぎり、鴎外だの漱石だの中島敦だの永井荷風だの――そういった日本の「近代文学」とはおつきあいはできない。最新のデジタルカメラも同じ。
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今日は午前中、M公園をカメラ散歩してきた。昨日は一日中雨降り。だから、今日、日曜日のM公園周辺が人出で混雑することは予想されていた。
十時過ぎだったが、駐車場さがしに手間取った。遊びにやってくる市民をもてなすため、熱気球のデモ(試乗会)がおこなわれ、長蛇の列。東京の盛り場は別として、こういう雑踏は苦手。昨年も、平日に撮影に出かけている。しかし、サクラの見頃は短いから、今日を逸したら、どうなるかわからない。まあ、地元なので、脇道も心得ている。渋滞を避け、回り道をして、イベント会場のようなにぎわいのM公園へ。 . . . 本文を読む
へんてこりんなタイトルをつけてみた(^_^)/~ここでいうRさんとは、ローライフレックスのこと。また、Iさんとは、写真家市橋織江さんのこと。
要するに、カメラとフォトグラファーの頭文字なんであ~る。4月10日を境に、ようやく繁忙期に一区切りついた。今年度からは、隔週で週休2日をとることにしたので、いままでよりは写真に裂くための時間がふえるニコッ(^^)/。売り上げの落ち込みは最小限に食い止めることができたので、ホッと胸を撫で下ろしているところ。そこそこの売り上げがあったから、このころが、一番のお金持ち(笑)。夏は不動産業は典型的な「夏枯れ」現象に入るから、油断してお金をつかいすぎると、冬のキリギリスみたいに、アリさんに無心にいかなくてはならなくなる。「まあ、このくらいなら・・・遣ってしまおう」そんな小市民的な逸楽のようなもので気晴らしをし、溜まりにたまったストレスを発散!!それが、わたしの場合、Rさん、Iさんというわけである。
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わたしなりに、新しい写真を模索する。サクラの名所ではサクラが満開で、ところによっては花見客でごったがえしている。カメラをさげて歩きまわってきたのだが、普通のサクラを、普通に撮影したのでは、おもしろくもなんともない。まず、引き立て役・・・脇役が必要であるが、ここは奈良でもないし、京都でもない。都市や都市公園に、歴史的な景観のようなものが存在しない。わたし自身が過去にたくさん撮影してきているので、いささか飽きてしまって、感動がうすれている。そこで、サクラはひとまずおいて、その周辺に眼を転じ、もう少しフレッシュな視覚をさがす。昨日はヤシカ124Gで、120のロールフィルムを5本撮影した。
シャッターチャンスには極めて弱い(慣れてくれば、速写も可能だろうが)カメラ。でも、それをメインで使用し、PENデジをサブで使った。ここにピックアップしたのは、すべてPENデジのショットから。
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昭和という時代の後ろ姿。ありがとう。お世話になりました。ぼくはきみたちのことを、決して忘れない。あんなとき、こんなとき。ぼくは忘れない。きみたちが元気だったころ。若々しく、溌剌としていたころ。
人は人を信頼していたし、“将来への夢”には、ちゃんとした形があった。コンビニ化していく日本の社会の貧しさを、真に恐れる。
巨大資本にのみ込まれ、街の中心部が、年々崩壊していく。ぼくもそれに、手をかしている。ごめんね、その通りなんだ。めんどうなことはしたくない。何者かから、解放されたい・・・とおもっている。
リビングからTVを追放したら、いま、家のそばを通過していく風の音が聞こえるのに、人はそれを望んではいない。アカデミー賞だとか、日本レコード大賞だとか、あなたには何の関係もないってことが、なぜわからないのだろう。
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これといった用事のないぶらり旅。いや、旅というほど遠くへ出かけるわけではない。4、5キロでもいいし、7、8キロでもいい。すぐそこに、未知の世界・・・ワンダーランドが存在している。6×6判の空間や被写体の把握力は、35mmサイズとはずいぶん違う。トップに掲げた一枚を見てなにを感じる?わたしはこの写真から、あらためて「見る」ことを学んでいる。
その場にいたら、人はこんなふうにディテールを認識できないはずである。ところが、その場にあるものを撮影し、しばらくたって写真として眺めるとき、人の眼は、そのディテールの隅々を認識できる。これは写真の不可解な効用だろう。
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やれやれ、ようやくスキャンに成功した。誤りを訂正し、おわびしておこう。スキャナはキヤノン8200Fで、このスキャナで6×6判は正しくスキャンできるのである。たんにわたしの操作のやり方が誤っていた(^^;)
原稿(この場合は富士フィルムのネガカラー)のセットが正しくなされていなかったのである。まあ、ごく初歩的なケアレスミス・・・といったところか。露出は経験と勘で決めているが、ネガカラーはラチチュードが±4EVはあるはずだから、ほとんど心配はいらない。なにしろ、トイカメラ(プラスチック製のおもちゃカメラ)であれほどよく、しかも、おもしろく写るのだから。原稿は現像だけラボ(キタムラ経由)に依頼し、ネガカラーに設定して150dpiでスキャン。ここにあげた写真はフォトショップでほんの少し、レタッチしてある。
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今日は風のあまり吹かない、おだやかな日曜日となった。とはいえ、うらうらしたお天気のわりには、日陰にはまだまだ油断できない冷気がひそんでいる。ヒマがあったので、さきほどS公園を一回りし、公園スナップを愉しんできた。子どもたちが元気! 元気!愉しげな歓声があっちからも、こっちからも聞こえてくる。「桜、まだ早いねえ。水曜日ごろにはお花見できるかなあ」そんなことをいいながら、若いカップルがすれ違っていく。前橋では、気象台から今日、昨年比8日遅れてソメイヨシノの開花宣言が出たところだ。河川敷公園には、草野球のグランドが4面ほどあり、少年野球のチームが、真剣なおももちでゲームにのぞんでいる。だれもが待ちかねた春が、ここ前橋にもやってきたのだ。
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