★ http://www.sankei.com/premium/news/150522/prm1505220009-n1.html
「世界征服のための戦争だった」 荒唐無稽な「共同謀議」史観
20日の党首討論を聞いて耳を疑った。共産党の志位和夫委員長が、日本に降伏を求めた1945年7月のポツダム宣言を引用し、安倍晋三首相にこう迫った場面でのことだ。
❶ 「(宣言は)日本の戦争について、世界征服のための戦争だったと明瞭に判定している。宣言の認識を認めるのか認めないのか」
確かにポツダム宣言第6項には、志位氏の指摘のように「日本国民を欺瞞(ぎまん)しこれをして世界征服の挙にいづるの過誤を犯さしめたる者の権力および勢力は永久に除去せられざるべからず」とある。とはいえ、志位氏はこの認識が絶対だと本当に思っているのか。
志位氏は討論後、記者団にまるでポツダム宣言が民主主義の聖典であるかのようにこう称揚もした。
❷ 「日本の戦後民主主義の原点中の原点がポツダム宣言だ」「ポツダム宣言は戦争認識の原点で、誰も否定できない」
だが、戦前の日本は果たして「世界征服」など目指していたのだろうか。対英米戦は両国などの対日禁輸政策に追い詰められた日本が、窮余の策として選んだ道ではないか。
政府高官は討論終了後、周囲にこう苦笑していた。
「どこの国の政治家ですか、という質問だった。日本が世界征服をたくらんだなんて、どれだけリアリティー(現実味)のない話なんだ。テレビを見ていた国民もそう思っただろう」
ポツダム宣言は、戦いを有利に進めていた日本の戦争相手国が出したものであり、日本を「悪者」として位置付けるのは当然だといえる。また、昭和2年に田中義一首相(当時)が天皇に上奏したものとされ、日本の世界征服計画を記した「田中上奏文」が米英などの対日認識に大きく影響していた可能性もある。
❸ 田中上奏文については、東京裁判でも取り上げられたが、日本側弁護団によって中国側が作った偽書であることが立証されている。
東京裁判は、先の大戦は日本の軍国主義者たちの「共同謀議」に基づく侵略計画に沿って実行されたという見方を前提にして始まった。検察側は、それを裏付ける証拠として田中上奏文を持ち出したが、裁判途中で偽書と気づいて追及をやめたのである。
志位氏が引用したポツダム宣言第6項は、この東京裁判でもインド代表のパール判事らから数々の反論がなされた荒唐無稽な「共同謀議」史観に貫かれている。どうして今さら、そんな珍妙な認識を日本が認めないといけないのか。
ここで思い出すのは、これまで国会で繰り返されてきた「日本は東京裁判を受諾したのだから、その歴史判断も受け入れなければならない」という議論だ。
国を個人に置き換えて考えてみたい。裁判を経てある判決を言い渡された場合、法治国家の一員である以上、当然、その刑に服さなければならない。
だが同時に、❹ 外形的に刑を受け入れても、内心で裁判官の判断を不服に思うのも、自身は実は無罪だと考えるのもその人の自由であるはずだ。憲法19条「思想および良心の自由」を持ち出すまでもない。
東京裁判を受け入れたからといって、その思想や歴史観、政治的背景、各国の都合や思惑を全部ひっくるめて引き受けることなどできようはずもない。
それが可能だと考える人は、❺ 他者の内心に容易に手を突っ込み改変できると信じる危険な傾向を持つ人物だということにはならないか。(政治部編集委員)
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● 彼ら共産主義者に見られる精神構造は、
❶ 絶対服従を要求する精神構造。
❷ 妄想と責任転嫁と反省のない精神構造。
❸ 唯我独尊の妄想と逃げ道のない精神構造。
● 勿論❶はスターリンや毛沢東などに見られた精神構造でもあります。従わない場合は勿論
完全な肉体的抹殺と言うのが、共産主義独裁の精神構造です。これは犯罪でいえば、
シリアルキラー≒連続殺人犯に見られる精神構造です。
● 共産主義こそが、世界革命や世界政府や、世界連続革命などを目指していたことは、歴史から
サルでも分かります。今でも世界各国に共産党などと名のつく共産主義の団体が
あるのは、まさに共産主義だけです。かれらこそ世界征服の妄想を持つのです。
● これだけでも、今でも諦めずに彼らは世界革命を目指して言うのが分かります。つまり、自分が
そのような欲望をを持ったり実行してきたので、相手もそうであろうと思い込む❷責任転嫁の
反省のない精神が同時に存在するのです。精神病でいえば妄想です。
躁病にもみられる、責任転嫁の精神高揚≒オイホリーです。
議席が増えて、少しそう状態になっているのでしょう。
● 更に❸が最も厄介ですが、150年以上前の古い経済分析≒マルクス主義を絶対と思いこむ、
絶対妄想です。神の存在を絶対と思いこむ精神構造にも似ていますが、
似て非なるものでしょう。
● 神を信じるものは神の絶対的な存在と同時に他の平和的共存の精神・平和や愛や許しを唱える
所が少し異なります。そうでない宗教的原理主義者もいますが、共産主義の許しのない
絶対服従と抹殺と愛の欠如は人間性に大いに反します。
正に人間性への大反動と言う事なのでしょう。
● 共産主義こそ、歴史の大反動を齎し、更に巨大なカタストロフィーを齎す存在なのです。