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牛黄とは
「牛黄」と書いて 「ゴオウ」と読みます。
さて、それでは牛黄とは何かと言うことになりますが、一言でいえば牛の胆嚢などにできた結石、すなわち胆石です。
なんだ牛の胆石かというなかれ、この胆石、牛千頭に一頭の割合でしか発見できない大変な貴重品なのです。
中国・明の時代の偉大な本草学(生薬学)者である李時珍(リジチン)の著した
『本草綱目(ホンゾウコウモク)』 にも 「薬物として高価なることこれ以上のものはない」と記されているのも、その効きめだけではなく、現在のように大量に牛をすることのなかった時代では入手がきわめて困難であったためではないでしょうか。また近年、衛生管理が行届いた牧場が増えたため、胆石を持った牛が少なくなり、牛黄は益々貴重な生薬となってきています。 牛黄は約一センチメートル~四センチメートルの不規則な球形、または角のとれたサイコロのような形をした赤みがかった黄褐色の物質で、手に取ってみると意外に軽く、割ってみると、木の年輪のような同心円状の層があります。また口に含むと心地好い苦みと微かに甘みのあるものが良品とされています。値段が高いため古来ニセ物が多く、カレーの黄色の素として有名なウコンを練固めたものや、白泥に牛の胆汁を混ぜて作ったものなど色々あったようです。現在は科学的な分析法で品質評価をするため、このようなものは殆ど輸入されなくなりましたが、ニセ物がなくなったわけではありません。特に粉末にしてしまうと区別が難しくなるため『日本薬局方(ニホンヤツキヨクホウ)』では粉末にしたものは適合品とは認めていません
牛黄の歴史
牛黄は日本最古の法典である「律令(リツリョウ)」に、 「凡(オヨ)そ官の馬牛死なば、おのおの皮、脳、角、胆を収(ト)れ、若し牛黄を得ば別に進(タテマツ)れ」と記さ れています。これは、国の所有する馬や牛が死んだら皮や角などは集めておかなければならないということと、もし牛黄が見つかったら必ず中央政府に献上しなさい、という意味です。またこの「律令」の注釈書にも牛黄が何であるかの説明がないことから、
日本でも7世紀頃には、すでに牛黄が牛の内臓中にあって薬用になるものだということが多くの人々に知られていたと考えられます。中国最古の薬物書『神農本草経』には三百六十五種類の薬物が、上薬、中英、下薬と3種類に分けて記載されていますが、
牛黄は上薬として収載されています。上薬というのは 「命を養う薬」という意味で、毒が無く、量を多く飲んだり、続けて服用しても副作用などの吾がでない薬で、飲み続 けると代謝機能が円滑に営まれるので、体の動きは軽くなり、元気を増して老化を遅らせ寿命を延ばすという概念の薬です。
また、5世紀頃北インドで成立した大乗仏教の主要な経典である『金光明経(コンコウミョウキョウ)』にもサンゴロカナスクリット語で牛黄のことである崖庭折郷という名の記載があります。これらから推察すると、多分、牛黄は中国かインドで薬として使われ始め、仏教と共に朝鮮半島を経て、奈良朝以前に我が国へ伝来したものと考えられます。
このように東洋では古くから知られていましたが、西洋へもペルシャを通じて紹介されたようで、英語でbezoar、フランス語で bezoardと呼ばれていますが、これらはみなペルシャ語のpadzahrから転じた言葉のようです。Padは「除く」zahrは「毒」という意味で、すなわち解毒剤ということです。
西洋に伝わった牛黄は、16世紀に入るとポルトガル人やオランダ人によってふたたび我が国へもたらされました。ポルトガル人はこれをぺドロ・ベゾアルと言っていましたが、日本人はこれをへイサラバサラと聞きなし、牛黄とは別の物だと思ったようです。しかし、江戸時代の百科事典である寺島良安の 『和漢三才図会(ワカンサンサイズエ)』を見ると、鮓莟(サトウ)という項が牛黄と並んでいます。この鮓莟の別名にヘイサラバサラとへイタラバサルとでています。説明によると、この二つの呼び名はオランダ語であるとしています。
鮓莟は牛黄を含む獣類の胆石の総称で、それぞれ牛のものを牛黄、鹿のものを鹿玉(ロクギョク)、犬 のものを狗宝(コウホウ)、馬のものを馬塁(バボク)などといって薬用に供するとの解説がありますから江戸時代の人々は正しい認識を持っていたようです。
牛黄は何に効くか
さて、このように牛黄は洋の東西を問わ ず珍重されてきた薬物ですが、一体何の治 療に用いられたのでしょう。 現代では牛黄は『日本薬局方』という医 薬品の公定書に収載され、滋養強壮薬、強 心薬、小児用薬、かぜ薬や胃腸薬など様々 な医薬品に使用されていますが、現在の利 用法のもとになった文献には一体どのよう なことが書かれていたのでしょうか。 牛黄に関する最も古い記載は 『神農本草経(シンノウホンゾウキョウ) 』にあります。そこには「驚痛寒熟(キヨウキヨウカンカンネツ)、熟盛狂痙(ネッセイキヨウケイ) 。邪(ジャ)を除き、鬼(キ)を逐(オ)ふ」と記されています。これは主として急に何物かに驚いて卒倒して人事不省になってしまった者や、高熱が続き、痙撃を起こしたり、そのた めに精神に異常をきたしたりした者の治療に使用し、死人のたたりの鬼気を逐い払う作用があるとしています。これは即ち邪や鬼といったもので現される病気を駆逐したり、病気にかからないようにするといったように治療のみならず予防医学的にも使われていたようです。
中国の梁の(5~6世紀) の時代の陶弘景(トウコウケイ)の著した『神農本草経集注(シンノウホンゾウキヨウシツチユウ)』には、漠の時代の『名医別録(メイイベツロク)』の引用として「小児の百病、諸癇熱(カンネツ) で口の開かぬもの、大人の狂癲(キョウテン)を療ず。久 しく服すれば身を軽くし、天年を増し、人を して忘れざらしめる」 と記されています。
これは子供の病気ならどんなものでも、高 熱を発して歯をくいしばって口を開かなく なってしまう者や、大人なら精神錯乱を治 し、長期間にわたって服用すれば新陳代謝 を盛んにし、寿命をのばし、物忘れしなく なるということでしょうか。ところでこの 『名医別録』にも記載されていますが、牛黄の面白い作用に「人をして忘れざらしめる」 というのがあります。これは宋の時代(10世紀)に大明が著した『日華子諸家本草』とい う書物にも「健忘」としてあげられており、
いわゆるボケの予防または治療に用いられてきたと考えられます。現代の中国では、 牛黄を芳香開寮薬というカテゴリーに分類し、脳卒中や脳梗塞などの脳血管障害に よる意識障害に用いているところをみると、 古い書物の臨床適応も十分納得がいきます。 牛黄の薬理作用の一つに末梢の赤血球数を 著しく増加させるといった報告があります が、これなどもボケなどの脳血管障害には 有効に働くものと考えられます。
牛黄にはこの他、時代が下って行くにしたがって様々な臨床適用が付け加えられ、 ますます重要な薬になってきています。中国では、その何物にも替え難い薬効を、な んとか多くの患者に利用しょうと、人造牛黄まで作って臨床に応用しています。
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● これを読めば分かるように既に東洋医学では、ほぼ万病の薬として知られています。
万病ですよ、万病!!!!! これで、ダストレディーが、精神を悩み最後は
癌で死んでいったのが、タウリンで治ったであろうというのが分かりましたか?
● 東洋では、これは既に1000年以上も前から分かっていたのです。それをすべて破壊してのが、
化学合成の薬の始まりである、近代医学である。全てを儲けで考える仕組みが、
病気の治療を遅らせているのです。わかるかな?
● 昔の超高価な薬は、今は水並の値段となって手に入ります。これ程恵まれた環境が
あるのでしょうか? 問題はその超貴重な情報が、庶民の耳まで届かないと
いうことです。
● どうです、これでタウリン=牛黄を信用できるようになりましたか?
ただしいつも書いているように、量の加減が重要です。お忘れなく。
まだ、信用できない?! お前は馬鹿だ!! 日本政府並みだ!!
牛黄とは
「牛黄」と書いて 「ゴオウ」と読みます。
さて、それでは牛黄とは何かと言うことになりますが、一言でいえば牛の胆嚢などにできた結石、すなわち胆石です。
なんだ牛の胆石かというなかれ、この胆石、牛千頭に一頭の割合でしか発見できない大変な貴重品なのです。
中国・明の時代の偉大な本草学(生薬学)者である李時珍(リジチン)の著した
『本草綱目(ホンゾウコウモク)』 にも 「薬物として高価なることこれ以上のものはない」と記されているのも、その効きめだけではなく、現在のように大量に牛をすることのなかった時代では入手がきわめて困難であったためではないでしょうか。また近年、衛生管理が行届いた牧場が増えたため、胆石を持った牛が少なくなり、牛黄は益々貴重な生薬となってきています。 牛黄は約一センチメートル~四センチメートルの不規則な球形、または角のとれたサイコロのような形をした赤みがかった黄褐色の物質で、手に取ってみると意外に軽く、割ってみると、木の年輪のような同心円状の層があります。また口に含むと心地好い苦みと微かに甘みのあるものが良品とされています。値段が高いため古来ニセ物が多く、カレーの黄色の素として有名なウコンを練固めたものや、白泥に牛の胆汁を混ぜて作ったものなど色々あったようです。現在は科学的な分析法で品質評価をするため、このようなものは殆ど輸入されなくなりましたが、ニセ物がなくなったわけではありません。特に粉末にしてしまうと区別が難しくなるため『日本薬局方(ニホンヤツキヨクホウ)』では粉末にしたものは適合品とは認めていません
牛黄の歴史
牛黄は日本最古の法典である「律令(リツリョウ)」に、 「凡(オヨ)そ官の馬牛死なば、おのおの皮、脳、角、胆を収(ト)れ、若し牛黄を得ば別に進(タテマツ)れ」と記さ れています。これは、国の所有する馬や牛が死んだら皮や角などは集めておかなければならないということと、もし牛黄が見つかったら必ず中央政府に献上しなさい、という意味です。またこの「律令」の注釈書にも牛黄が何であるかの説明がないことから、
日本でも7世紀頃には、すでに牛黄が牛の内臓中にあって薬用になるものだということが多くの人々に知られていたと考えられます。中国最古の薬物書『神農本草経』には三百六十五種類の薬物が、上薬、中英、下薬と3種類に分けて記載されていますが、
牛黄は上薬として収載されています。上薬というのは 「命を養う薬」という意味で、毒が無く、量を多く飲んだり、続けて服用しても副作用などの吾がでない薬で、飲み続 けると代謝機能が円滑に営まれるので、体の動きは軽くなり、元気を増して老化を遅らせ寿命を延ばすという概念の薬です。
また、5世紀頃北インドで成立した大乗仏教の主要な経典である『金光明経(コンコウミョウキョウ)』にもサンゴロカナスクリット語で牛黄のことである崖庭折郷という名の記載があります。これらから推察すると、多分、牛黄は中国かインドで薬として使われ始め、仏教と共に朝鮮半島を経て、奈良朝以前に我が国へ伝来したものと考えられます。
このように東洋では古くから知られていましたが、西洋へもペルシャを通じて紹介されたようで、英語でbezoar、フランス語で bezoardと呼ばれていますが、これらはみなペルシャ語のpadzahrから転じた言葉のようです。Padは「除く」zahrは「毒」という意味で、すなわち解毒剤ということです。
西洋に伝わった牛黄は、16世紀に入るとポルトガル人やオランダ人によってふたたび我が国へもたらされました。ポルトガル人はこれをぺドロ・ベゾアルと言っていましたが、日本人はこれをへイサラバサラと聞きなし、牛黄とは別の物だと思ったようです。しかし、江戸時代の百科事典である寺島良安の 『和漢三才図会(ワカンサンサイズエ)』を見ると、鮓莟(サトウ)という項が牛黄と並んでいます。この鮓莟の別名にヘイサラバサラとへイタラバサルとでています。説明によると、この二つの呼び名はオランダ語であるとしています。
鮓莟は牛黄を含む獣類の胆石の総称で、それぞれ牛のものを牛黄、鹿のものを鹿玉(ロクギョク)、犬 のものを狗宝(コウホウ)、馬のものを馬塁(バボク)などといって薬用に供するとの解説がありますから江戸時代の人々は正しい認識を持っていたようです。
牛黄は何に効くか
さて、このように牛黄は洋の東西を問わ ず珍重されてきた薬物ですが、一体何の治 療に用いられたのでしょう。 現代では牛黄は『日本薬局方』という医 薬品の公定書に収載され、滋養強壮薬、強 心薬、小児用薬、かぜ薬や胃腸薬など様々 な医薬品に使用されていますが、現在の利 用法のもとになった文献には一体どのよう なことが書かれていたのでしょうか。 牛黄に関する最も古い記載は 『神農本草経(シンノウホンゾウキョウ) 』にあります。そこには「驚痛寒熟(キヨウキヨウカンカンネツ)、熟盛狂痙(ネッセイキヨウケイ) 。邪(ジャ)を除き、鬼(キ)を逐(オ)ふ」と記されています。これは主として急に何物かに驚いて卒倒して人事不省になってしまった者や、高熱が続き、痙撃を起こしたり、そのた めに精神に異常をきたしたりした者の治療に使用し、死人のたたりの鬼気を逐い払う作用があるとしています。これは即ち邪や鬼といったもので現される病気を駆逐したり、病気にかからないようにするといったように治療のみならず予防医学的にも使われていたようです。
中国の梁の(5~6世紀) の時代の陶弘景(トウコウケイ)の著した『神農本草経集注(シンノウホンゾウキヨウシツチユウ)』には、漠の時代の『名医別録(メイイベツロク)』の引用として「小児の百病、諸癇熱(カンネツ) で口の開かぬもの、大人の狂癲(キョウテン)を療ず。久 しく服すれば身を軽くし、天年を増し、人を して忘れざらしめる」 と記されています。
これは子供の病気ならどんなものでも、高 熱を発して歯をくいしばって口を開かなく なってしまう者や、大人なら精神錯乱を治 し、長期間にわたって服用すれば新陳代謝 を盛んにし、寿命をのばし、物忘れしなく なるということでしょうか。ところでこの 『名医別録』にも記載されていますが、牛黄の面白い作用に「人をして忘れざらしめる」 というのがあります。これは宋の時代(10世紀)に大明が著した『日華子諸家本草』とい う書物にも「健忘」としてあげられており、
いわゆるボケの予防または治療に用いられてきたと考えられます。現代の中国では、 牛黄を芳香開寮薬というカテゴリーに分類し、脳卒中や脳梗塞などの脳血管障害に よる意識障害に用いているところをみると、 古い書物の臨床適応も十分納得がいきます。 牛黄の薬理作用の一つに末梢の赤血球数を 著しく増加させるといった報告があります が、これなどもボケなどの脳血管障害には 有効に働くものと考えられます。
牛黄にはこの他、時代が下って行くにしたがって様々な臨床適用が付け加えられ、 ますます重要な薬になってきています。中国では、その何物にも替え難い薬効を、な んとか多くの患者に利用しょうと、人造牛黄まで作って臨床に応用しています。
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● これを読めば分かるように既に東洋医学では、ほぼ万病の薬として知られています。
万病ですよ、万病!!!!! これで、ダストレディーが、精神を悩み最後は
癌で死んでいったのが、タウリンで治ったであろうというのが分かりましたか?
● 東洋では、これは既に1000年以上も前から分かっていたのです。それをすべて破壊してのが、
化学合成の薬の始まりである、近代医学である。全てを儲けで考える仕組みが、
病気の治療を遅らせているのです。わかるかな?
● 昔の超高価な薬は、今は水並の値段となって手に入ります。これ程恵まれた環境が
あるのでしょうか? 問題はその超貴重な情報が、庶民の耳まで届かないと
いうことです。
● どうです、これでタウリン=牛黄を信用できるようになりましたか?
ただしいつも書いているように、量の加減が重要です。お忘れなく。
まだ、信用できない?! お前は馬鹿だ!! 日本政府並みだ!!