誰がどんなにあがいても、時代は変えられぬ。
ただし270年間だけ。
天皇神輿を担ぐのは、戻らぬ過去。
日本精神も、お金の前では、かすんでしまう。
時代は資本主義。口だけでは勝てぬ世界。
金のない口撃は、単なる犬の遠吠え。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和2年(2020)11月28日(土曜日)
通巻第6715号 <前日発行>
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「日本に拡がる精神の曠野、的中した三島の予言」(三島事件から半世紀)
宮崎正弘
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あの驚天動地の衝撃となった三島事件から半世紀を経て、当時の全共闘世代は後期高齢者に近付き、60年安保世代の多くは鬼籍に入った。
歳月の流れは速い。「昭和元禄」といわれた経済の高度成長は峠をこえて、バブル崩壊後の日本は右肩下がりのGDP。国民から活気は失われ、詩の精神は枯渇し、草食系男子が蔓延り、伝統的な価値観は鮮明にひっくり返った。伝統文化は廃(すた)れた。
日本に唾する人々が論壇とメディアを壟断し、自虐史観は拡大再生産され、改憲は一歩も前に進まず、歴代首相の靖国神社参拝もはばかれるようになった。
諸外国から莫迦にされ、とくに中国に対して「位負け外交」に埋没した。民族にとって何が一番大事な価値であるかを真剣に考える人々が少なくなった。
日本に拡がるのは精神の曠野である。
米国では熾烈な大統領選挙と左右への分裂、中国の軍事的覇権の拡大を前にして、無力なばかりの日本。
市ヶ谷台の激憤から五十年後のいま、三島由紀夫の予言の多くが的中していることに私は慄然としている。
空っぽで、無機質で、ニュートラルな経済大国が極東に残っているだけで武士道精神はもぬけの殻になっているだろうと三島は現在の日本を見通していた。
最後の矜持だった「経済大国」の位置さえ諸外国の猛追により失われ、日本が誇った匠たくみ)の技術も激減した。
三島が檄文で訴えたクーデターを現在の自衛隊に望むことは妄想である。体験入隊を通じて三島はいやというほど体得していた。
「三島の死も森田の死も、大津皇子の死と同じ意味を持つであろう。それは速須佐之男命、倭建命から為朝、そして二二六事件の青年将校へと続く系譜に、三島、森田が連なる」と三島研究家の井上隆史(白百合大学教授)は指摘する。
現在の日本の寂しさをも三島は予言していた。五十年目を迎える「憂国忌」。人々の胸裡を去来するニヒリズム!
「ひとたび叛心を抱いた者の胸を吹き抜ける風のものさびしさは、千三百年後の今日の我々の胸にも直ちに通うのだ。この凄涼たる風がひとたび胸中に起った以上、人は最終的実行を以ってしか、つひにこれを癒す術を知らぬ」(三島由紀夫「日本文学小史」)。
(『夕刊フジ』、平成二年十一月二十五日号から再録)
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