フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

6月11日(日) 雨

2006-06-12 02:21:24 | Weblog
  朝寝坊をして、朝食と昼食を兼ねた遅い食事の後、昼寝。日曜日はいくらでも寝られてしまう。昼寝から目覚めて、『文藝春秋』7月号を拾い読みする。中野孝次「ガン日記」が読みたくて購入し、それはもう昨日読んでしまったから、古新聞古雑誌の束に加えてしまってもよいのだが、外は雨で、散歩に出るのも億劫だし、かといって本格的な読書にはエネルギーの回復が十分とはいえないので、櫻井よしこ・平沼赳夫・鳩山由紀夫・保坂正康・池内恵・寺脇研「愛国心大論争」、石原慎太郎「若者がこの国を愛するために」、佐藤優「21世紀最大の発見『ユダの福音書』」、斉藤孝「子供に『退屈力』をつけよ」、坪内祐三「人声天語」、一応、これだけ読めば、定価710円の元は取ったように思えて、頁を閉じかけたとき、清岡卓行の詩が目に飛び込んできた。

     ある日のボレロ

   パンツ一丁で ピアノの弾くのだ!
   いいか わかったか
   それがおまえのいのりのかたちだ
   目をひらくと 果てのない空は鏡
   おまえは青春の管弦楽舞曲の着手に熱狂する
   ひとつの旋律は変幻をくりかえし
   傍らにいる親友たちにおまえはきく
   デカダンスに溺れるか それを超えるか

   わたしには不幸にもそんな思い出がない

  清岡卓行(83)が亡くなったのは今月3日である。ということは、この詩は彼の遺作ということになるのではないか。編集後記に何も触れられていないのは、彼の死が、すべての原稿が印刷所に回った後だったからだろう。「パンツ一丁で ピアノを弾くのだ!」と読者をびっくりさせておいて、「わたしには不幸にもそんな思い出がない」か…。最後まで詩人のエスプリは健在だった。合掌。