昼から大学へ。支度に手間取って家を出るのが遅れ、このままだと3限の授業(社会学演習ⅡB)に10分ほど遅刻しそうだったので、電車の中から幹事のK君にメールをして、グループワークを始めていてくれと指示する。講義だとこういうわけにはいかない。よかった、演習で。教室に到着し、7つのグループの間を回って調査の進行状況を聞き、アドバイスをする。作業の進んでいるグループと、堂々巡りをしているグループとがある。しかし、面白い結果が出るかどうかは、現時点での進行状況からは予測できない。そこがグループワークの醍醐味なのである。合宿まであと4週間。4限の授業(大学院の演習)の後、遅い昼飯を食べに出る。「てんや」に入り、期間限定メニューの一つ、するめイカ天丼を注文。生姜風味のアサリのかき揚げがけっこういける。6限の授業(社会と文化)の後、学生が今日の授業で使ったビデオはどうやって入手したのですかと聞いてきたので、「それはだね、秋葉原あたりを歩いていると、売人が寄ってきて、旦那、いいビデオをありますよって…」と答えたら、笑っていた。嘘だと思っているらしい。
帰路、東京駅のキオスクで本日発売の『週刊文春』を購入し電車の中で読む。「文春図書館」のコーナーで柴田元幸が自身初の小説集『バレンタイン』について語っていた。
「アメリカ文学って、他人のことにあまり興味がない文学ですよね。普通だったら、自分と世界の間に社会や他人があるわけだけど、そこがすっとんでいて、自分と世界の関係をいきなり見つめる。そこがぼくとアメリカ文学がなじむところなんです。メルヴィルみたいに七つの海に出るか、ポーみたいに内面の闇に行くか。とにかく自分の周りの社会と健全な関係を結ばない。ぼくも教師やってて、学生の面倒見はかなりいいほうだと思いますけど、最終的には他人に無関心なんだろうなと思います。」
「最終的には他人に無関心なんだろうなと思います」か。こういうことはなかなか言えないものである。『アメリカン・ナルシス』の著者だけのことはある。でも、こうも思うのだ、彼は、もっとはっきりとこう言うべきだったんじゃないか、「ぼくはぼくに関心をもってくれる他人にしか関心がないのだと思います」と。
帰路、東京駅のキオスクで本日発売の『週刊文春』を購入し電車の中で読む。「文春図書館」のコーナーで柴田元幸が自身初の小説集『バレンタイン』について語っていた。
「アメリカ文学って、他人のことにあまり興味がない文学ですよね。普通だったら、自分と世界の間に社会や他人があるわけだけど、そこがすっとんでいて、自分と世界の関係をいきなり見つめる。そこがぼくとアメリカ文学がなじむところなんです。メルヴィルみたいに七つの海に出るか、ポーみたいに内面の闇に行くか。とにかく自分の周りの社会と健全な関係を結ばない。ぼくも教師やってて、学生の面倒見はかなりいいほうだと思いますけど、最終的には他人に無関心なんだろうなと思います。」
「最終的には他人に無関心なんだろうなと思います」か。こういうことはなかなか言えないものである。『アメリカン・ナルシス』の著者だけのことはある。でも、こうも思うのだ、彼は、もっとはっきりとこう言うべきだったんじゃないか、「ぼくはぼくに関心をもってくれる他人にしか関心がないのだと思います」と。