フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月3日(木) 快晴

2007-05-04 00:39:44 | Weblog
  目が覚めたらお昼だった。朝食兼昼食はハヤシライスのルーとトースト。GWも後半である。昨日一昨日と大学の授業のあった息子に言わせると「GW第二弾」ということになる。基礎講義(オンデマンド授業)の他の先生方の講義を視聴。こういうことは普段はなかなか時間に追われてできないが、視聴してみると、いろいろと得るところが多いし、質問してみたいこともでてくる。ジョイント・コンサートならぬジョイント・レクチャーをやってみたい先生もいる。わが文学学術院には160名ほどの専任教員がいて、あれこれの委員会でよく顔を合わせる方も少なくないのだが、お互いの研究や授業の内容はほとんど知らない。考えてみると、もったいない話である。ここ数日、基礎演習の教材論文や基礎講義のコンテンツを集中的に閲覧してみてとくにそのことを強く感じた。外見はただのおじさん、おばさんたちだが、ツボにはまるととっても面白い話ができそうだ。これからは廊下や教員ロビーでお会いしたときにただ会釈をするだけでなく、社交的な会話を心がけることにしよう。ちなみに「社交」は儀礼的無関心がただの無関心に堕落してしまった現代の都市生活から人々が脱出するための有効な方法論であると、私は前回の「現代人の精神構造」(現代人間論系総合講座1)の授業で学生たちに語ったのだが、まず隗より始めよだ。
  ずっと書斎にこもっていたら、妻が「こんなにいい天気なのに散歩に行かないの?」と言ったので、いい天気であることに気がついて、遅まきながら散歩に出かけることにした。携帯電話を上着のポケットに入れるとき、卒業生のTさんからメールが届いていることに気がついた。近況報告といった内容のメールで、彼女はポプラ社という出版社で働いているのだが、最近手がけた仕事はグレッグ・ライティック・スミスの青春小説『ニンジャ×ピラニア×ガリレオ』で、書店に行く機会があったら探して見て下さいと書いてあった。グッド・タイミングである。最初に行ったくまざわ書店にはなかったが(在庫をパソコンで調べてもらったら一冊入っているはずだが見つからなかった)、次に行った有隣堂にはあった(ただし棚の下の抽斗の中に)。手にとって、思わず「おお」とうなったのは、訳者が英文学の小田島恒志先生と奥さんの(ですよね?)小田島則子さんだったからだ。教え子が手がけた同僚の先生の本とくれば、これは購入するほかあるまい。レジに持っていく前に、その場で冒頭のところを読む。

  チェロの音がする、ヤバイな。
  バッハ。『無伴奏チェロ組曲第六番 ニ長調 作品番号一〇一二』
  わが家では全員小さいころから音楽を習って、音楽といえばクラシックだと教えこまれる。ぼくは五歳になるまでクラシック以外の音楽があることを知らなかった。七歳になるまでカントリー・ミュージックは「人の五感に対する下品で極悪な攻撃である」と世界中の人が思っているわけじゃないって知らなかった。
  とにかくパパが組曲を練習するなんて、『だれにもわからない物理に関する論文集』に掲載される論文を書くのがいやで、助成金の申請書を書くのにいそしんでいるときか、あるいは、わが家のペット-血統書つきワイマラナー犬-のビーストマスター七世をいたぶりたいときだけだ。
  このときぼくは、ベッドにごろんと横になって数学の宿題を-まあ、一応は-やっていた。シカゴのペシュティゴ校ではだれもが「一にも二にも数学主義」だ。だからベッドに横になって、電話でショーヘイと数学の問題(いや、答え)についてああだこうだと話し合っていた。電話のショーヘイの方から二十分前にかかってきた(「早く、イライアス、七番の答えを教えろよ」)。
  ショーヘイとは、二年生の途中でショーヘイがパロ・アルト校から転校してきて以来のつきあいだ。彼はずかずかとぼくの隣の席まで来てすわると自己紹介した。「やあ、オレ、ショーヘイ」それからリュックに手をつっこんで、「こっちはマチルダ」と言った。
  ショーヘイのペットのヘビ、ボアコンストリクター。
  その二分後にはショーへイは校長にも自己紹介していた。
  で、そのショーヘイとスピーカーフォンで「二年前に妹の年の二乗の二倍だったビリーは、今は何歳か」という問題について話しあってたら、パパのチェロがエアダクトを通って流れてきたというわけだ。ビーストマスター七世はすわったまま首を上げ、うなるような太い声で対位旋律を奏でている。
 「なんか、ヤバイじゃん」ショーヘイは言った。ショーヘイはこれが何の前兆か知っている。
  ぼくは電話を切ると階段を駆けあがった。パパは三階の書斎で、チェロに弓で攻撃をしかけていた。チェロの弦をまっ二つぶっちぎろうとしてるみたいだ。
  ドアのフレームをノックして中に入ると、パパは弓の先端をぼくの胸に向けた。
  「お前は」宣告が下る。「今年サイエンス・フェア(科学発表会)に参加するんだ」(3~5頁)

  ここまで読んだだけで、ユーモアと知性にあふれた小説であることはわかる。日本の作家の中では、高橋源一郎の作風に近いものを感じる。話はここから、サイエンス・フェアに参加した主人公たち3人の同級生が、彼らの実験結果について疑惑をもたれ宗教裁判ならぬ学校裁判にかけられるが、一致団結してそれを戦い抜くという展開に進むらしい。230ページだから、4時間あれば読めるかな。GWの残り時間の中からそれくらいなら調達できそうだ。ところで、二年前に妹の年の二乗の二倍だったビリーはいま何歳なんだろう。