フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月5日(土) 晴れ

2007-05-06 00:43:00 | Weblog
  菩提寺(下谷の泰寿院)で父の一周忌法要。食事は今半の仕出し弁当をとってそのままお寺で。最初はみんな静かに食事をしていたが、中盤を過ぎたあたりから、コンパで言えば席替えタイムとなり、あっちでおしゃべりこっちでおしゃべりが始まり、そこに住職のまもなく満一歳になる長男が飛び入り参加し(もちろん美人の若奥さんも)、精一杯の愛嬌を振りまいてくれた。楽しいひとときだった。
  新潟から来てくれた私の従兄(父の姉の長男で、私より一回り上)のユキオちゃんは、今夜は私の家の泊まることになった。ユキオちゃんの父親は街の電器屋さん(東芝)で、彼はその後継者として、昭和32年、中学を卒業して上京、私の家に寝泊まりして、創立まもない蒲田のテレビ学校(現在の日本工学院)に通い始めた。私が保育園に上がる少し前の頃で、蒲田の街から建設中の東京タワー(当時はたんに電波塔と呼んでいた)が見えたそうだ。電気炊飯器、電気冷蔵庫、電気洗濯機、白黒テレビ、電気掃除機・・・・これらの家電製品が日本社会に怒濤のごとく押し寄せた時代を、ユキオちゃんはその販売の最前線でみてきたのである。家業の電器屋は10年ほど前に店仕舞いをし(息子さんは東京でサラリーマンになった)、いまは町内会長をしながら年金生活をしている。お酒が好きで、強い。「噛まなくてよくて美味しいのはお酒だけ」が口癖で、今日は昼の食事のときはずっとビールを飲んでおり、蒲田に来てからはずっと日本酒を飲んでいた。明るいよいお酒で、私はウーロン茶を飲みながら、ユキオちゃんの話に付き合った。ユキオちゃんにはタカヨちゃんという妹がいるが、ユキオちゃんがテレビ学校を卒業して新潟に帰ったのと入れ替わるように、今度はタカヨちゃんが上京してきて、私の家で暮らしながら、会社勤めを始めた。私とタカヨちゃんは顔が似ており、よく姉弟と間違われた。実際、私にとってユキオちゃんとタカヨちゃんは、兄と姉のような存在で、いまでも私は子供の頃と同じように、2人を「ユキオちゃん」「タカヨちゃん」と呼び、2人は私を「タカジ君」と呼ぶ。
  深夜、録画しておいた『時効警察』を観る。いつも以上の小ネタのオンパレード。これでもか、これでもか。来週のゲストは、な、なんと、鶴田真由さんである。万難を排して視聴しなければならぬ。