フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

7月11日(木) 晴れ

2008-07-12 11:27:00 | Weblog
  朝、居間の東側の窓から入ってくる光で、7時頃目が覚める。一応、遮光カーテンを下ろしているのだが、本当の遮光ではないので、室内が明るくなる。居間と寝室に使っている和室との間には仕切りの引き戸があるのだが、それを閉めると、夜中に猫がガリガリとやるので、開けたままにしてあるのだ。私が朝型人間であれば、室内を満たす朝の光で目覚めるという生活で一向に構わないのだが、あいにく私は夜型人間である。猫ももう子猫ではないから、もう引き戸をガリガリはしないかもしれない。あいかわらずガリガリするようであれば、こっちがアイマスクでもするしかないだろう。昼前に家を出る。今日も蒸し暑い。

         
        東京駅丸の内北口前の横断歩道で信号が変るのを待つ人たち

  3限の「日常生活の社会学」は今日が授業としては最終回。「さまざまな社会的空間の中での相互作用」というテーマで、これまでの授業では取り上げなかった「学校」「病院」「刑務所」「ネット空間」を落穂拾い的に取り上げて、その社会的機能やそこでの人々の相互作用について論じた。これで一応、テキストに書かれている範囲のことは全部やったことになる。木曜日は一度も祝日と当たらなかったので、14回フルに授業をした。毎回、パワポのスライドを一から作ったのでかなり準備に時間がかかった。来年はこの改良版を作ればよいので、今年よりは楽であろう(もっとも来年からゼミが始まるので、全体としては今年より大変なのであるが)。
  授業のあと、TAのI君と昼食。最初、いつもの「メーヤウ」ではなく、今日は気分を変えて「高田牧舎」へ行ったら、パーティーでフロアーが半分貸し切りで混んでいたので、大隈通り商店街の「キッチン ブン」へ行く。ここに来るのは二度目だが、昔ながらの町の洋食屋さんである。私はハンバーグ、I君はオムライスを注文。食後に注文した珈琲は250円であった(サービス価格と思うが、珈琲だけの注文もありなのだろうか?)。ところで「ブン」とはどういう意味であろう。ロケーションからいって文学部の文ではあるまい。ブント(共産主義者同盟)のブンということもまさかあるまい。♪ブンブンブン、ハチが飛ぶ、のブンだろうか。ご主人の名前が「文蔵」とかなのだろうか。とんかつの「鈴文」のときもそうであったが、私は店名の由来が気になる質である。「鈴文」の「文」の意味も完全に解明されたというわけではないので、「キッチン ブン」の「ブン」が加わったことで、二文(ブン)問題と呼ぶことにしよう。
  5限の卒業論文演習は、予定していた報告者3人のうち1名が就職試験と重なって欠席したので、今日は時間通りに終るなと踏んでいたら、2人目の報告者が大幅に遅刻をしてきて(自分は3人目だと思い込んでいたのかもしれない)、結局、いつもと同じくらいの時間に終る。
  研究室を出るとき「いまから帰るから」と家に電話を入れる。スロープを下りていたら、ケータイに妻から「先に食べてていい?」とメールが届いた。これは疑問文の形式をとってはいるが、意味としては、「先に食べてるから」という宣言文である。普段であれば「いいよ」と返す(返すべき)ところだが、ふざけ半分で「ダメ」と返した。当然、「いや、食べちゃう」とかなんとか返信があるものと思ったが、何も返信はない。ケータイの沈黙。沈黙というのは不気味である。その沈黙の空間を埋めようとして、人はあれこれと独言的・妄言的に考えをめぐらすことになる。はたして帰宅してみると、妻と、そしてこれは予想していなかったことだが息子までもが(息子は今夜はてっきり外食だと私は思い込んでいた)、夕食をとらずに私の帰りを待っていた。私が妻に「あの『ダメ』というのはふざけ半分だったんですけど」と言うと、妻は「ふざけ半分なのはわかったいたけど、今日はそれに付き合ってみたのよ」と答えた。上手だ。通常、私は帰宅→風呂→夕食の順番である。しかし、今日は、「じゃあ、風呂に入るから、もう少し待っててね」とは言えない。私は着替えだけをして夕食の食卓に就いた。今夜の献立は、回鍋肉と野菜炒め、卵スープ、ご飯であった。