午後、有楽町の日劇で「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」を観た。最新作だが、懐かしい映画だった。シリーズ第一作となる「レイダーズ 失われたアーク」を映画館(たぶん東銀座の東劇だった)で観たのは1981年の年末である。私は27歳でまだ独身だった。博士課程の2年生で、前途洋々などという気分は微塵もなかったが、「高学歴ワーキングプア」などという言葉はまだなくて、なんとかなるだろうという気持ちが強かった(そうでなければ2年後に結婚などできなかったに違いない)。開演時間ぎりぎりに映画館に飛び込んで、満席に近い状態であったが、一人だったので、席は確保できた。「やっぱり映画は一人で観るに限るな」と思った記憶がある。この信念はいまも変わらない。「レイダーズ 失われたアーク」はとにかく痛快な映画だった。劇場全体が息を飲んだり、ハラハラしたり、声を上げて笑ったりしていた。その後、シリースは「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」(1984年)、「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」(1989年)と続き、もう新作はないのだと思っていたところに、今回の新作である。私は54歳で妻子がおり、上の子は社会人、下の子は大学2年生だ。映画の主人公ヘンリーと同じく大学で教鞭をとっている。今回の時代設定は1957年。1899年生まれの主人公は58歳になっている。私と大して違わないが、独身のままだ。ハリソン・フォード自身は1942年の生まれだから今年で66歳。早稲田大学ならあと4年で定年だ。よく頑張るよな、まったく。1957年のアメリカは懐かしい。それは「オールウェーズ三丁目の夕日」の世界(昭和33年=1958年)が懐かしいとの同じ意味で懐かしい。アメリカ人には自信にあふれたアメリカであり、日本人には憧れのアメリカである。街角にはロックンロールが流れ、リーゼントの若者たちがたむろしていた。しかし、その一方で、知識人の世界にはマッカーシズムの傷跡が生々しく残っていた。主人公もソ連との関係を疑われ教壇を追われるのである。今回の作品のストーリーはかなりゴチャゴチャしている。そう私が感じるのは主人公たちのたどる地理的移動のルートがゴチャゴチャしているせいもあるかもしれないが、そのためだけではなくて、シリーズ最終作ということで(さすがにそうだろう)、あれもこれもといろいろ詰め込み過ぎているからである。その最たるものは、シリーズ第一作のヒロインだったマリオン(カレン・アレン)の再登場である。あの貨物船の船室のベッドの上での名シーンはいまでも印象に残っている。満身創痍のヘンリーに「痛くないところはどこ?」と尋ね、彼が左腕の肘を示すと彼女はそこにキスをする。次に彼が胸を示すと、彼女はそこにもキスをする。彼が額を指差すと彼女はそこにもキスをする。そして彼が唇を指差して二人はキスをするのである(そのあとのことは知らない)。あのマリオンである。ヘンリーとマリオンは結婚の約束をしたのだが、直前に(結婚式の1週間前に!)ヘンリーが婚約を一方的に破棄して(「結婚生活がうまくいかないことが目に見えていたから」というのがその理由である)、姿をくらましたしまったのだった。そのときマリオンのお腹の中にはヘンリーの子供がいたが、彼はそのことを知らなかった。当然のことだが、映画には若者になったその息子も登場する。そして最後はヘンリーとマリオンは結婚式をあげるのである。エンディングがウェディングなのだ。カレン・アレンは1951年の生まれだから、第一作のときはすでに30歳だったわけで(もっと若いのかと思っていた)、女優さんだから美しいとはいえ、学生時代のとびきり美人の同級生に何十年かぶりで再会したときみたいな感慨があった。・・・というわけで、この映画は二重三重に懐かしさの漂う作品なのであった。