8時、起床。書斎で朝飯前の作業をしていると、妻がやってきて、「ドライカレー食べる?」と聞く。私は原則として朝はパンである。なのであまり気乗りしない口調で「そうねえ・・・」と答えると、再び「ドライカレー食べる?」と聞いてきた。テレビのリプレイを見ているようである。その勢いに押されて「うん」と答える。ほどなくして「できたわよ」と妻が言うので、テーブルにつくと、「なんじゃこりゃ?!」と思わず言ってしまったほどの大盛りドライカレーがそこにあった。昨夜、息子がロボコンの作業で大学に泊まりになったためご飯が炊飯器に大分残ってしまった。その残飯処理のためにドライカレーを作ったとのこと。私は残飯処理係か。「朝からこんなに食べられないよ」と言って、半分だけ食べる。
授業は午後1時からだが、教室が変更になったので、昼休みの時間にAV機器のチェックをするべく、早めに家を出る。キャンパスの桜はまだまだ見頃だ。

水しぶきのような桜
廊下を歩いていたら、心理学の豊田先生に声をかけられる。「大久保先生、今度、ご一緒に『おっぱいバレー』を観に行きましょう。」豊田先生は映画好きで、しかもときどき私のブログをご覧になっていて、いつかのブログで私が『おっぱいバレー』というタイトルについて、チケット店で女性の店員に「『おっぱいバレー』1枚」なんて言えないと書いたのをご存知なのである。私は、「豊田先生がチケットを買ってくださるなら」と答えたが、映画館で二人が並んで『おっぱいバレー』を観ている情景を思い浮かべると、朝から大盛りのドライカレーみたいな満腹感がある。やっぱり、かんべんしてください。

第二研究棟裏の桜
3限は、36号館681教室で「現代人間論系総合講座1」の初回の授業。今日は私の他に安藤先生、長田先生、木村助教も勢ぞろいして、講義全体の概要について話をする。各先生には「10分程度でイントロを」と事前にお願いしてあったのだが、みなさんしっかり準備してこられて、最後、定刻の2時半ちょうどに終る(というか、コーディネーター権限で強制終了する)。180名ほどは入る教室も何人か立見の学生がいて、冷房を入れようかと思ったくらいだった。今年度は出席カードの配布はやめて、授業の後(次回の授業までに)コースナビのBBSに授業の感想を書き込んでもらうことにした。出席カードの配布・回収・出席簿への転記の手間がいらないし、教員と学生、あるいは学生同士の相互作用の場にもなるし、一石二鳥と思う。金曜3限の「日常生活の社会学」でも同じ方式を採用する。
教員ロビーで非常勤の山下先生と鶴岡先生にご挨拶。とくに鶴岡先生には田島先生が特別研究期間でご不在の1年間、ゼミの代講をしていただくので、ゼミ予算の使い方などを説明し、事務所の会計処理担当のNさんにお引き合わせする。
5限は研究室で卒論演習。一文のK君とH君、二文のNさんとFさんの4名。各自の研究テーマの説明をしてもらう。今後は原則として隔週で、毎回2名に報告をしてもらう。つまり学生の立場からは月に1回報告をするペースになる。しばらくは先行研究のレビューを課題としてやっていってもらう。
8時、帰宅。夕食は、焼き魚(鮭)、筍ご飯(鶏肉と油揚げ入り)、筍と若布の味噌汁。妻はこの筍ご飯を作りたいがために電器釜を空っぽにしたかったのである。食事をしながら『踊る!さんま御殿』を観る。爆笑問題とクリームシチューの登場した二番目の組が面白かった。やはり腕が違う。
今日、大学のメールボックスに金沢在住の男性から手紙が届いた。名前を存じ上げない方であったが、私のブログを毎日ご覧頂いているという。私と同じ1954年の生まれで、東京のご出身で、高校は私と同じ学区の都立九段高校で、大学も早稲田(学部は法学部)とのこと。同じ時代に同じ街の空気を吸って生きてきた方である。息子さんが今春早稲田の第一文学部を卒業されたそうで、私の授業を1年生のときに受講したことがあるという。縁は異なものという表現は男女の仲について使われるが、どこでどう結ばれているかわからないというのは男女の中に限らない。ブログの見知らぬ読者の方からメールをいただくことはたまにあるが、手紙は初めてである。アナログ感覚といおうか、古風であるが故に新鮮である。それにしても読者は私の日常を仔細に知っているが、私は読者の方についてほとんど何も知らない。対面的なコミュニケーションとは違う、ブログを媒介としたコミュニケーションの最大の(かどうかはわからないが、大きな)特徴といえる。その不均衡は、読者の方の自己開示によって緩和される。見知らぬ方はもやは見知らぬ方ではなくなっていく。「一度も会ったことはないが、知っている方」になる。今日の「現代人間論系総合講座1」の授業で、私は、脱近代的集団の特徴としてネットワーク的性質ということを話したが、ブログを媒介とした人間関係はまさにその一例といえよう。
授業は午後1時からだが、教室が変更になったので、昼休みの時間にAV機器のチェックをするべく、早めに家を出る。キャンパスの桜はまだまだ見頃だ。

水しぶきのような桜
廊下を歩いていたら、心理学の豊田先生に声をかけられる。「大久保先生、今度、ご一緒に『おっぱいバレー』を観に行きましょう。」豊田先生は映画好きで、しかもときどき私のブログをご覧になっていて、いつかのブログで私が『おっぱいバレー』というタイトルについて、チケット店で女性の店員に「『おっぱいバレー』1枚」なんて言えないと書いたのをご存知なのである。私は、「豊田先生がチケットを買ってくださるなら」と答えたが、映画館で二人が並んで『おっぱいバレー』を観ている情景を思い浮かべると、朝から大盛りのドライカレーみたいな満腹感がある。やっぱり、かんべんしてください。

第二研究棟裏の桜
3限は、36号館681教室で「現代人間論系総合講座1」の初回の授業。今日は私の他に安藤先生、長田先生、木村助教も勢ぞろいして、講義全体の概要について話をする。各先生には「10分程度でイントロを」と事前にお願いしてあったのだが、みなさんしっかり準備してこられて、最後、定刻の2時半ちょうどに終る(というか、コーディネーター権限で強制終了する)。180名ほどは入る教室も何人か立見の学生がいて、冷房を入れようかと思ったくらいだった。今年度は出席カードの配布はやめて、授業の後(次回の授業までに)コースナビのBBSに授業の感想を書き込んでもらうことにした。出席カードの配布・回収・出席簿への転記の手間がいらないし、教員と学生、あるいは学生同士の相互作用の場にもなるし、一石二鳥と思う。金曜3限の「日常生活の社会学」でも同じ方式を採用する。
教員ロビーで非常勤の山下先生と鶴岡先生にご挨拶。とくに鶴岡先生には田島先生が特別研究期間でご不在の1年間、ゼミの代講をしていただくので、ゼミ予算の使い方などを説明し、事務所の会計処理担当のNさんにお引き合わせする。
5限は研究室で卒論演習。一文のK君とH君、二文のNさんとFさんの4名。各自の研究テーマの説明をしてもらう。今後は原則として隔週で、毎回2名に報告をしてもらう。つまり学生の立場からは月に1回報告をするペースになる。しばらくは先行研究のレビューを課題としてやっていってもらう。
8時、帰宅。夕食は、焼き魚(鮭)、筍ご飯(鶏肉と油揚げ入り)、筍と若布の味噌汁。妻はこの筍ご飯を作りたいがために電器釜を空っぽにしたかったのである。食事をしながら『踊る!さんま御殿』を観る。爆笑問題とクリームシチューの登場した二番目の組が面白かった。やはり腕が違う。
今日、大学のメールボックスに金沢在住の男性から手紙が届いた。名前を存じ上げない方であったが、私のブログを毎日ご覧頂いているという。私と同じ1954年の生まれで、東京のご出身で、高校は私と同じ学区の都立九段高校で、大学も早稲田(学部は法学部)とのこと。同じ時代に同じ街の空気を吸って生きてきた方である。息子さんが今春早稲田の第一文学部を卒業されたそうで、私の授業を1年生のときに受講したことがあるという。縁は異なものという表現は男女の仲について使われるが、どこでどう結ばれているかわからないというのは男女の中に限らない。ブログの見知らぬ読者の方からメールをいただくことはたまにあるが、手紙は初めてである。アナログ感覚といおうか、古風であるが故に新鮮である。それにしても読者は私の日常を仔細に知っているが、私は読者の方についてほとんど何も知らない。対面的なコミュニケーションとは違う、ブログを媒介としたコミュニケーションの最大の(かどうかはわからないが、大きな)特徴といえる。その不均衡は、読者の方の自己開示によって緩和される。見知らぬ方はもやは見知らぬ方ではなくなっていく。「一度も会ったことはないが、知っている方」になる。今日の「現代人間論系総合講座1」の授業で、私は、脱近代的集団の特徴としてネットワーク的性質ということを話したが、ブログを媒介とした人間関係はまさにその一例といえよう。