フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

4月2日(土) 晴れ

2011-04-03 00:58:09 | Weblog

  8時、起床。炒飯の朝食。
  10時に自宅を出て、大学へ。今日は新任教員・助手との懇談会がある。
  11時20分から26号館(大隈タワー)の会議室で新任教員との懇談会。浦野学術院長が場所を間違えて(戸山キャンパスでやるものと勘違いされていたのだ)15分ほど遅刻される。教務のメンバーが各自の担当分野に基づいてレクチャーを行う。私は教務担当の教務主任として、教員の3つの仕事、すなわち教育・研究・学内行政について話をした。教育に関しては、授業をされる教室の場所(研究室からのルート)をまずは覚えてください。○○号館○○教室と言われてそれがどこであるかが分かるようにしてください。たとえば、26号館は戸山キャンパスではなく本部キャンパスにある建物であることを知っておいてください。研究については、個人研究費の使い方を覚えてください。事務所のNさんが担当なので、まずNさんのお顔を覚えてください。一番お世話になる方だと思いますので。学内行政については、とりあえず教室会議(所属の論系・コースの会議)と教授会にはちゃんと出席してください。そして、徐々にいろいろな会議体のメンバーになっていただくことになると思いますが、よろしくお願いします。もっとも、あまり熱心に取り組むと、教務主任にさせられたりしますから、ほどほどがよろしいかと思います。有意義な話だったと思う。
  引き続き、12時半から、昼食をとりながら、新任教員のうち必修基礎演習を担当される方にレクチャーを行う。
  戸山キャンパスに戻り、1時半から教務戦略会議。震災に関連した学生へのサポート体制について話し合う。
  2時半から、教務戦略会議を中断して、再び26号館の会議室で新任の助手との懇談会。私の担当ではなかったので、黙って座っていた。眠かった。
  3時半から、戸山キャンパスに戻って、教務戦略会議の続き。
  その後、事務方との打合せが一件、新任教員からの相談が一件。
  7時に大学を出る。会議漬けの一日だった。

  震災後、Twitterに興味が出て、ゼミの学生たちのつぶやきをときどき見ている(私自身はTwitterはやっていない)。140文字の文字制限の中でどんなことがいえるのか。また、どんなふうに語るのか。これまで見たところでは、Nさんのつぶやきが一番洗練されている。

  「天国に持っていくには、身体は重すぎる。」

  「さみしい想いも冗談であってほしい。」

  「自分の身体に切手を貼って投函して遠くに行こう。」

  「私は私の部屋をこんなぐちゃぐちゃにした人に対して苛立っている。」

  「よく晴れた3月の日のベランダに干してあるのは私の抜け殻」

  なかなかの才能の持ち主だ。Twitter文学賞自由律俳句・短歌部門というものがあれば入選は間違いない。散文的表現もいい。

  「こんな社会が変わろうとしてるときに、賢い人たちが旧体制の社会の象徴みたいな企業にしがみつきに行こうとすんのなんかおかしい。」

  「そして賢くもなく自分で学んで切り開く勇気も気力もないわたくしは、しがみつこうと必死なわけですが。」

  「ああーーくそっ」

  「ひとつひとつは取るに足りないような事なのにちょっと重なっただけで頭に血がのぼってるこの状況を鑑みるに、平気なふりしてやっぱり私しんどかったのかもしれないとか思ったりして取り敢えず泣きそうなのを噛み殺してる電車のなか。」

  海原純子が『ツイッター幸福論』の中で書いていたTwitterによる自己客観化の好例がここにある。「賢くもなく」なんて書いているが、聡明であることは一目瞭然である。ゼミで再会するのが楽しみだ。


小雀もさえずっている 私もつぶやいてみようか