8時、起床。シャワーを浴びて、炒飯の朝食。今日も猛暑日らしい。
9時半に家を出て、大学へ。10時半から研究室でゼミ4年生のインタビュー調査のケース報告を4件聴く。書棚の耐震工事を上の階でやっているらしく、騒音がひどいので、途中から場所を現代人間論系カンファレンス室に移して行った。1時頃に終了し、KさんとTさんと一緒に「たかはし」に昼食をとりにいく。昨日、食べ損なった豚肉生姜焼き定食を注文すると、店の方が「昨日、終ってしまって、食べられませんでしたからね」と言ってニッコリした。Kさんは煮魚(銀むつ)定食、Tさんは肉豆腐定食をそれぞれ注文。二人とも「たかはし」は初めてだったようだが、定食というもののボリュームとバランスのよさに感じ入っていた(二人とも完食だった)。
研究室に戻って(もう工事の方は終っていた)、2時から院生のAさんの研究報告を聴く。お土産に冷やして食べるドーナツというの頂戴する。とりあえず冷蔵庫に入れて、後から開けてみたら、ケーキの生地の上にフルーツ入りのババロアや抹茶のババロアがのったものだった。
夕方まで教務室で仕事をして、帰る。今日は蝉がよく鳴いていた。蝉時雨というのはこういうのを言うのだろうと思った。明日から大学は一斉休業に入り(事務所も図書館も閉まる)、業務の再開は22日(月)から。私もこの間は大学へは来ない。かといって自宅に篭るわけでも、旅行に出かけるわけでもない。午前中は書斎で仕事をし、午後は本とノートとカメラを持って散歩に出る、そういう単純な生活を送るつもりだ。
夜、『わが悲しき娼婦たちの思い出』読了。
「家は瓦礫の中からふたたびよみがえり、私はこれまで一度も経験したことのないほど充実し、幸せな思いを抱いてデルガディーナへの愛に生きていた。彼女のおかげで、九十年の人生ではじめて自分自身の真の姿と向き合うことになった。私は、事物には本来あるべき位置が決まっており、個々の問題には処理すべきときがあり、ひとつひとつの単語にはそれがぴったりはまる文体があると思い込んでいたが、そうした妄想が、明晰な頭脳のもたらす褒賞などではなく、逆に自分の支離滅裂な性質を覆い隠すために考え出されたまやかしの体系であることに気がついた。教育を受けたちゃんとした人間のように見せかけているのは、なげやりで怠惰な人間であることに対する反動でしかなく、度量の小さい人間であることを隠すために寛大な振りをしているに過ぎず、何事によらず慎重なのは、ひねくれた考え方をしているからであり、人といさかいをしないのは抑えに抑えた怒りに身を任せたくないからであり、時間を厳守するのは、人の時間などどうでもいいと考えていることを悟られないためだということに気がついた。そして、最後に、恋というのは魂の状態ではなく、十二宮の星宮の位置によるものだということを発見した。」(74頁)