10時半、起床。今日は墓参りに行くかどうかを母に尋ねたら、血糖値が低くて少しふらふらするからやめておくとのこと。夕食の残りの天ぷらを甘辛く煮てご飯の朝食。
午後から東京都写真美術館に鬼海(きかい)弘雄写真展「東京ポートレイト」を見物に行く。
昨日から始まったばかりで、今日は午後2時から鬼海のトークイベントがあるという。午後1時過ぎに美術館に着き、写真展を観て回る。実に面白いと思った。浅草で出会った印象的な人たちのポートレイトなのだが、背景が同じ壁なのである。ストリートスナップではないのである。カタログ『東京ポートレイト』を会場で購入したら、受付の人が「サインはどうされますか?」と聞いてきたので、「えっ?」と聞き返したら、「こちらに作者の方がいらっしゃいます」と傍らの男性の方に顔を向けたのでびっくりした。トークイベントまでまだ30分ほどあるが、すでにスタンバイされていたのだ。「は、はい。お願いいたします」と言うと、さらさらと書いてくださった。「ポートレイトはどれも背景が同じですが、スタジオで撮影されたのですか?」と尋ねたら、「いえ、スタジオではなく、浅草寺の境内の清掃事務所の壁のところで撮りました」と答えられた。なぜストリートスナップにしないのだろうという疑問は、作品の本質にかかわるものだから、おそらくトークイベントのときに言及されるはずと考えて、控えておいた。トークイベントが始まる前に館内のカフェで食事をすませる。
高菜とチェダーチーズのホットサンド(マッシュポテト付)とオレンジジュース
トークイベントは1時間ほどだったが、写真の道を志した頃の話から始まって、会場を回りながら、個々の展示作品のエピソードを交えて写真論を語るという興味深いものだった。山形のお生まれで、東京に出てきた頃は意識して標準語を話していたが、ある時期から方言の表現の豊かさに目覚めて、以来、山形弁で話すようになったそうだ。
最初は浅草の風景を背景にストリートスナップで人物を撮っていたのだが、それでは一過性(表層的という意味か)の表現になってしまうと考え、人物を風景から切り離して、より普遍的なもの、人物のこれまでの人生を表現したいと考えたそうだ。写真は一瞬を切り取るとよく言うけれど、横断的な切り口ではなく、縦断的な切り口を鬼海は志向しているのだと思った。縦断的とは、別の言い方をすれば、物語的ということである。「男の顔は履歴書」と言われるが、鬼海が写真を撮らせて欲しいと声をかける人は男性が多い。女性もいるが、若い女性はほとんどいない。そのことをトークイベントの後で尋ねたら、「若い女性の顔は一過性のものがほとんどですから」とのことだった。男性が多いことについても、「やはり職業経験が顔に出るのでしょうね」とのことだった。鬼海のポートレイトが物語的なのは、そういう顔つきの人物を選んで声をかけているということのほかに、作品に付けられたキャプションの力によるところも大きい。鬼海は文章の才もある人で、それがキャプションにも現われている。たとえば、今回の写真展のポスターになっている作品には「皮装束の男」というキャプションが付いている。他にこんなキャプションの作品がある。
腕時計を買わないかという男
夜勤明けの職工
目が乾くという婦人
自動販売機で買った酒を飲む、50円玉をネックレスにしたアパッチと名乗る男
煙草をめぐんでくれ、という男
仕事を求めて温泉場へ行くというマッサージ師
人形に話しかけながら歩いていた男
帰りの電車賃がないという男
昔は、ちょっとした商売をしていたという男
「高そうなカメラだな」と呟いた男
7年前、5人のうち4人が死んだ交通事故で生き残ったと語る男
「もちろん本物よ・・・」という女 注:太腿の鯉の刺青をスカートを捲り上げて見せながら
4個の時計をした男
丹羽文雄全集を持つ男
48回、救急車で運ばれたと語る男
遠くから歩いてきたと語る青年
私の東北訛りに、死んだ友人を思い出して泣き出した男
28年間、人形を育てているというひと
人形と一緒に28年間暮らしている人の夫 注:鬼海は相手が夫婦でも単独で撮影する。
製パン工場で働いていると話す黄色いリボンの娘
ゆっくりとまばたきをする男
喉が渇いたから小銭をくれという女性
物静かな労務者
何年かぶりで会った物静かな労務者 注:15年前に撮影した人だとすぐに分かったそうだ。
たくさんのカメラを持っていると自慢する旋盤工
当分、晴天が続くという女性
街の角で背中を掻いていた男
青森刑務所で服役中、短歌を詠むことを覚えたという男 注:自分の母親のことを詠んだ短歌が多いらしい
1000年以上由緒ある家柄の出だという婦人
どうだろう。個々の作品を観てみたいと思わないだろうか。評判の料理屋の品書きを見るときのような欲望をかきたてられないだろうか。いや、品書きというよりも、キャプションを並べるだけで、谷川俊太郎の詩のように見えてこないだろうか。
大いに満足して写真美術館を後にする。恵比寿ガーデンプレイスでは何かのコンサートが開かれていた。「サンジェルマン」で一服。
いい写真展を観た後は、写真を撮りたくなる。大森で途中下車して、山王の商店街を歩く。
大森駅のホームで
山王方面に出る
駅前の風景
新井宿第一児童公園にて
警備員の休憩時間
どうしてこんなにたくさん・・・
コーヒー焙煎の店先で
昔からある眼鏡店
たばこ屋のおばさん
大森駅のホームで電車を待ちながら
蒲田に戻り、「緑のコーヒー豆」で一服
書き忘れたが、写真展は鬼海の2つの仕事から構成されている。一つは浅草の街で出会った人たちのポートレイト。もう一つは、東京の街の風景。ちょうどポートレイトから切り離された街の風景が、「地」ではなく、それ自身を「図」として撮られている。そこに人々の姿はないが、人々の生活は感じられる、そういう写真である。ちょうど下の写真のように。
ラブホテル街を通る
この写真を撮った直後に一組の男女が出てきたのであわてて儀礼的無関心をよそおう。男女はホテルの前で「じゃあ」と言葉を交わして、互いに背中を向けて歩き出した。どうも恋人同士というわけではないようである。女は私の前を歩いていたが、路地の端まで行ったところで、立ち止まり、こちらを振り返り、男の姿がないことを確認してから、いま来た道を引き返した。そしてホテルの近くのビルの中に消えた。
自宅の向かいの家の玄関の屋根の上に「なつ」がいた。ただいま。