8時、起床。ウィンナーとキャベツの炒め、トースト、オレンジジュースの朝食。
空模様が怪しい。間違いなく一雨来そうである。
昼前から雨が降り出し、見る見るうちに土砂降りになる。家中の窓を閉めたり、ベランダの洗濯物を取り込んだり、おおわらわ。
気温がいっぺんに下がる。昨日までの猛暑が遠い昔のことのように思える。夏の終わりは突然にやってきた。でも、梅雨明け十日の猛暑の後に涼しい日々がやってきて、その後に連日の猛暑がやってきたわけだから、この涼しさの後に、もう一度くらい猛暑がやってきても不思議ではなかろう。しのぎやすくはあるが、そうあっけなく夏が終ってもらっては困る。まだ「甘味あらい」のカキ氷が食べたいから。
居間のテーブルで事務的な作業をしながら高校野球をTV観戦した。日大三高が猛打で決勝進出を決めた。この打線を止める投手なんて高校生でいるのだろうか。でも、打線というのは、突然沈黙することがあるから、どうなるかわかない。
夕方、雨が止んだので、散歩に出る。
猛暑に終止符が打たれたとたんに街角の真夏の広告が季節外れのものに感じられる。
ナンの夏が、去っていく。(南方だろうか)
いまからエアコンを買う人っているのか?
夏の終わりの花火ってけっこう切ない
「テラス・ドルチェ」で一服。日誌と読書。
涼しくなると確かに読書ははかどる。「読書の秋」というのはそういう意味合いがあるのだろう(夜が長いからということであれば冬の方がもっと長い)。でも、個人的は、やはり「読書の夏」である。
帰りに有隣堂で文庫本を5冊購入。
江國香織『思いわずらうことなく愉しく生きよ』(光文社文庫)
角田光代『さがしもの』(新潮文庫)
内田樹『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(角川文庫)
吉田修一『あの空の下で』(集英社文庫)
『谷崎潤一郎マゾヒズム小説集』(集英社文庫)
「江國氏の小説で、登場人物が全速力で走る姿がこれほどありありと目に浮かぶものは珍しいのではないだろうか。描写の巧みさ、美しさ、言葉づかいの独特の香気はあいかわらずだが、新しい世界を見せてくれたという印象が今回はとても強かった。」(栗田有起「解説」)
「「人間は本を読むために生まれてきた動物である」/単行本時のタイトルが『この本が、世界に存在することに』だった。角田光代さんの本をめぐるこの短編集を読んでいて、そんな感想を持った。」(岡崎武志「解説」)
「森の中をこっちにこちっにって誘導されて、気がつくといつのまにか自分の足で見晴らしのいいところに立っている。ふんふんふんふんと内田先生の文章を読んでいると、そういうことがよくあります。」(銀色夏生「解説」)
「ANAグループ機内誌『翼の王国』人気連載をまとめた、懐かしくもいとおしい、旅情を誘う作品集」(『あの空の下で』のカヴァーの宣伝文)
「明治末期から大正初期、あの時代にしてすでに「変態」に着眼し、それを文学に載せて奏でた谷崎潤一郎。だから今でもスゴイ。/さらに僕がここで言いたいのは、変態とは愛だ、愛とは変態だということだ。愛とはそもそも常識を逸脱した状態にあるもの。愛が深まれば深まるほど常識から激しく逸脱していくわけだから、つまり究極の愛というものは究極の変態のことなのだ、と僕は思う。」(みうらじゅん「鑑賞」)
集英社文庫の「ナツイチ」の広告も季節外れになってしまった