フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月12日(火) 曇り時々晴れ

2013-11-13 09:55:24 | Weblog

    9時、起床。

    残り物のハンバーグとカレーとご飯のワンプレートと牛乳の朝食兼昼食。

   窓ガラスに映る影は柔らかだが、気温は低い。

   お昼に家を出て、大学へ。

   大手町のホームの売店で今月号の『文藝春秋』を購入。村上春樹の小説「ドライブ・マイ・カー」がお目当てである。   

    3限は選択基礎演習。コメンテーター役の学生の中に、エドガーアランポーの短篇小説「群集の人」に言及した学生がおり、なかなか興味深かった。そいうことができるためには、まずその小説を読んでいなくてはならず、そして、その小説と授業で読んでいるテキストとを関連付る想像力がなくてはならない。そいういうコメントに接すると、なかなかやるじゃないかと頼もしい気持ちになる。

    4限は演習「ケーススタディの方法」。今日の報告(自伝の分析)は、マルコムX、田原総一郎、赤塚不二夫、長嶋茂雄の4本。

    授業を終え、「maruharu」でチーズケーキとコーヒーで一服。

    帰りの電車の中で、村上春樹「ドライブ・マイ・カー」を読む。主人公の初老の俳優がおかかえ運転手になって間もない女性に自分が長年抱えてきた(しかし誰にも話すことのなかった)人生の問題を語るという話。話の前半は、孤独な二人の間に対話が成立するまでの過程が描かれる。話の後半は、彼と、彼の死んだ妻と、妻の愛人(の一人)の物語が語られる。誰かに語るという形で主人公の人生が語られるというのは、村上春樹の作品にはときどき見られる構造で、たとえば「プールサイド」などがそうである。語る相手は、長年の親友とか、恋人とかではなく、互いの人生に深入りしていない人間で、しかし、ある種の信頼がそこに存在している相手というのポイントだろうと思う。

    「ドライブ・マイ・カー」という作品タイトルに添えられた「女のいない男たち」というのは、今後、書かれるのかもしれない一連の作品の全体に付けられるタイトルなのだろうか。

   今日は「phono kafe」は休業日だが、数人の常連客が大原さんに購入を依頼していた「虎屋」のういろうを受け取りにいく。「虎屋」は羊羹で有名な「とらや」とは別の店。伊勢に本店があり、大原さんは池袋の東武デパートで買ってきてくださった。

   今夜が妻の帰宅が遅かったので、駅ビルで待ち合わせて、「洋麺屋五右衛門」で食事をする。

  

   帰宅してからういろうを食べる。いろいろな種類のういろうがあるが、私が購入したのは基本の小倉。羊羹と普通のういろうの中間にあるようなういろう。あっさりとした甘さともちもちした食感。羊羹的なういろうだ。ちなみに日本橋「長門」の切り羊羹はういろう的羊羹だ。羊羹的ういろうと(虎屋)、ういろう的羊羹(長門)は、あっさりとした甘さという点は共通だが、羊羹的ういろうの方がもちもち感が強く、ういろう的羊羹は小倉ではなくこしあんが使われているので舌触りが滑らかである。 

   深夜、ここ数日の「ごちそうさん」をまとめて観る。め似子は悠太郎の大阪の実家に行ったが、大正12年の設定だから、いずれ関東大震災ということになり、それを期に「帝都復興」の仕事で悠太郎は再び上京することになるのだろうか。「あまちゃん」同様、ここでも震災が大きな役割を果たすのだろうか。