9時、起床。
豚汁(ご飯入り)とサラダの朝食。
書斎の机の上がそろそろ限界点に達している。いまやっている作業が一段落したら・・・と思いつつ、なかなか片付けられずにいる。
12時10分に予約している近所の歯科医院へ行く。先週、左の上の奥から二番目の歯にかぶせてあった金属が外れてしまったので、新しく作り直してもらうためである。
型を取る前に問題の歯の虫歯になっている部分を削る。全然痛くないので、もしかして神経をすでに抜いてしまった歯なのかと思ったら、最後の段階で神経に触れて、ちょっと痛かった。この痛みはあらゆる痛みの中でもかなり上位にくる痛さである。もしこれが拷問であったら、私はすぐに機密をもらしてしまうだろう。
「20分くらいものを食べないでください」と言われたので、自宅に戻って1時間ほど本を読んで、それから本と資料を鞄に入れて、外に出る。今日は昨日よりもちゃんと晴れている。
久しぶりに「吉野家」に入ってみる。たまにこういうファストフード・チェーン店で食事をするのは社会学者として必要なことである。
密かに気に入っていたすき焼き鍋は、売れ行きがよくなかったのか、先月で終了となっていた。肉が並み盛りの1.2倍という「アタマの大盛り」というのを注文する。昔はなかったメニューで、昔は「大盛りでご飯だけ少な目」と注文して、大盛りと同じ金額を払っていたはずである。それが並盛り(300)と大盛り(460円)の間の390円という価格設定になっている。これに「お味噌汁+お新香」のセット(130円)を付けて、計520円はそれほど安いとは思えない。安易にセットを付けるべきではなかったか。水があれば味噌汁はなくてもいいし、無料サービスの紅ショウガがあればお新香もなくてもいいかもしれない。注文時におけるもう一つの後悔は、「つゆ多め」と言うのを忘れたことである。食べ始めてからそのことに気付いたが、食べ始めた丼ぶりを差し出して「つゆ多め」とお願いするのははばかられた。次回(いつになるかわからないが)、「アタマの大盛り、つゆ多めで」と注文するのを忘れないようにしよう。
駅ビルの有隣堂で以下の本を購入。
長田弘『奇跡―ミラクルー』(みすず書房)
古市憲寿『だから日本はズレている』(新潮新書)
「シャノアール」で食後のカフェオレを飲みながら目を通す。
ベルリンはささやいたーベルリン詩篇
ファザーネン通りの小さな美術館で
紅いケシの花を額にのせた
死顔のデッサンを見た。
一九一九年一月十五日の夜、
至近距離から銃で撃たれ、
蜂の巣状にされて路上に捨てられ、
身元不明の死体として
市の死体置場にまわされて
死んでいった男の、額の上の紅いケシ。
画家のケーテ・コルヴィッツが
カール・リープクネヒトの死顔の
木炭画の上に描きのこしたのは、
死者の額から流れ落ちた血の花弁だった。
雨ふりしきるグルーネヴァルトの駅の
十七番線ホームで見たのは、
紅いガーベラの切り花だった。
ベルリンのユダヤ人を運んだ
アウシュヴィッツ行きの
ドイツ帝国鉄道の貨車の始発ホーム。
出ていった列車の数とおなじ数の
鉄板を銘板にして敷きつめた、
それは、いまは、どこへも行かない
人影のないホームだった。
一九四四年十二月七日、
アウシュヴィッツへ三十人輸送。
ただそうとだけ刻まれた
雨に濡れた鉄板の一枚の上に
置かれていた、三本の紅いガーベラ。
死よ、死よ、おまえはどこなの―
ベルリンはささやいた。おまえの足の下だよー
今日はカフェの梯子をしながら本を読むつもりだった。
二軒目は大井町の「pottery」。
しかし、「pottery」には私以外のお客がいなかったので、読書のつもりが、マダムとのおしゃべりに終始することになった。マダムは読書家で、ただし、歴史小説専門で、いまは山岡壮八の『豊臣秀吉』を読んでいるところだった。すでに通読している本の再読で、細部までよく覚えていらっしゃる。誰それの娘が誰それのところに嫁いで・・・という話をされるのだが、私も知っている名前は少ない。それからマダムの趣味のゴルフの話。これも私はゴルフをやらないので、もっぱら聞き役である。一度だけ、ゴルフのプレー中は人を待たせてはいけないという話になったとき、私の趣味である将棋を引き合いに出して、街の将棋道場で将棋を指すときも長考すると嫌われるという話をしたくらいである。
「potttery」には雑誌の類が置いていない。普通の新聞とスポーツ新聞があるだけである。マダム自身が雑誌というものを読まないからである。お客さんが読み終えた雑誌を置いていくことがあるが、すぐにゴミ箱に捨ててしまうそうだ。マンガ雑誌なんかはもってのほかで、いい大人がカフェでマンガ雑誌なんか読むものではないというのがマダムの考えである。そういう客に対しては、自然と対応が冷たくなるらしく、二度とやってこないそうだ。き、厳しい。女性客同士のおしゃべり(いわゆる女子会的トーク)も好ましく思わないそうで、カフェにしては女性客が少ない(2割くらいと言っていた)のもそのせいかもしれない。マダムから見ると、私は「いつも難しそうな本を読んでいる客」というカテゴリーに入るらしく、他にお客がいないと、「今日も難しそうな本をお読みなのね」といいながら、本の内容について質問してくる。向学心が旺盛でいらっしゃるのかもしれない。
というわけで、「pottery」は、他にお客がいるときは「読書カフェ」であり、他にお客がいないときは「おしゃべりカフェ」になるのである。今日は後者だった。
三軒目は蒲田に戻って「読書カフェ」の最高峰である「ルノアール」へ。「pottery」で読書ができなかった分ここでを挽回する。
7時過ぎに帰宅。今夜の献立は豚肉の生姜焼きととろろ汁。昼は牛肉、夜は豚肉。
先日の土曜日のゼミ4期生のAさんとWさんの研究室訪問がきっかけで、卒業3か月目に入った4期生の面々とメールのやりとりをしている。元気でやっている者もいるが、「朝早いのがつらいです」とか「4キロ痩せました」とか、全体として梅雨入り気分の文面である。去年の3期生もそうだった。そういう時期なのである。これから夏休みらしい夏休みのない夏という、小学校以来の初めての夏を彼らは迎えることになる。一日の中でのオンとオフの切り替え。平日と週末のオンとオフの切り替え。そういうものをきちんとやって初めての夏を乗り切ってください。ちゃんと食べて、ちゃんと寝て、おしゃべり(ストレス発散)できる相手がいれば、大丈夫でしょう。でも、この三拍子がそろうといのは簡単ではないようである。
一方、就職2年目に入ったさ3期生は、「もう新入社員ではない」という目で職場では見られるから、仕事上のストレスは大きくなるだろう。健康管理と人間関係のメンテナンスがますます大切になる。
では、ゼミの1期生や2期生はといえば、そのまま職場に定着する人と、転職する人に分かれてくるだろう。続けるなら続ける、転職するなら転職する、その見極めをきちんとつけることが肝心だ。