7時半、起床。
テレビを点けて、日本対コロンビア戦の結果(1-4)を知る。2大会ぶりの予選リーグ敗退だ。試合であるから、敗北はつきものだが、今回の場合は、これまでやってきたことの正しさを証明できずに負けてしまったことで、方向性の喪失という深い痛手を負ってしまった。
朝食はとらず、10時に家を出て、大学へ。途中、山田時計店で腕時計の電池を交換してもらう。前回が去年の1月だったから、1年半しか持たなかったわけだ(通常は2年)。30年以上使っている時計なので、電池の消耗が早くなっている。「でも、いい時計ですから大切にして下さい」と店の人(ご主人夫婦の娘さんだろうか)に言われる。はい、そのつもりです。
11時から面談を一件。
12時半に論系ゼミ一期生のKさんがやってくる。彼女は今月末で3年3か月勤めた会社を辞めて、8月から1年間、ドイツに語学留学に行く予定である。以前からそういう気持ちをもっているということは聞いていた。今回、それを実行に移したわけだが、いまの世の中で、安定した職業を手放すことには周囲の反対もあったようだが、彼女が歩みたいと考えている人生は現在の生活の延長線上にはないのである。安定よりも夢を優先した選択ができるということが若さの特権である。
「風薫るひとすじの道を歩きたし」―この句は、4月の終わりに彼女が研究室に来たときに、彼女の決意を聞いて作ったものであるが、気に入ってもらえたようだったので、はなむけに愉笑さんに書いてもらったものを額に入れて贈った。留学中、部屋の壁に掛けて大切にしますとのこと。
昼食は彼女の希望で「すず金」に鰻を食べに行ったのだが、「本日は終了しました」(鰻が売り切れ)の札が出ていた。残念。研究室でおしゃべりをしすぎたか。
それではということで「五郎八」へ行く。 私は今日最初の食事だ(鰻を食べるつもりだったから、朝食は抜いていた)。天丼とせいろのセットを注文。Kさんは天せいろを注文。
食後のお茶は、宙太さん夫婦への報告を兼ねて、「SKIPA」で。
お互いの次の予定までまだ時間があったので、「花」へ行って、私はかき氷(あずき)、Kさんはお汁粉(田舎)を注文し、おしゃべりの続き。
夕方からドイツ語の学校へ行くKさんは九段下で下車した。たぶん日本を離れる前にもう一度会うだろうから、お別れの言葉は言わずにおいた。
いったん自宅に戻り、再び外出。
仕事終わりの娘と7時に鹿島田駅で待ち合わせて、「パン日和あをや」へ行く。
今夜伺うことは事前にお知らせしておいたので、平日はお店に出ていないご主人も、会社の仕事を終えてからお店に来てわれわれを迎えてくださった。
まずはビールで乾杯(私はすぐにアップルサイダーに移行)。
本日のスープは豆入りの豆乳スープ。
娘を「あをや」さんに連れて来たのは初めて。いろいろな場面で、私と娘はそっくりだと言われるのだが、「あをや」のご夫妻にはそうは見えないらしい。意外な反応に、娘は、「そっくりだと言われても傷つきませんので、思ったままをおっしゃてください」とか言っている。失礼な奴だ。「では、誰に似ていますか?」と私が奥様に尋ねたら、「山口百恵さん」との答えが返ってきたのでびっくりする。「山口百恵似」というのはこれまでずっと妻について言われてきたことだったからだ。そうすると、娘は私ではなくて、母親似ということになるが、それは「自分は父親似である」という娘のアイデンティティの一部を揺るがすものである。
さて、今夜のお目当ての国産黒毛和牛のすね肉から作った自家製コンビーフをふんだんに使ったサンドウィッチ。コンビーフというと缶詰入りのものしか食べたことがないように思うが、コンビーフというのはこういうやわらかな味わいのものであったのか。奥様には数日前から準備していただいた。ありがとうございます。
続いて、サーモンとアボカドとクリームチーズのサンドウィッチを注文。
夏場はパン屋さんは商売あがったりという話は前回にお邪魔した時に伺ったが、「この夏はお店をお休みしようかしら」と奥様が言ったので、それはなりませぬと申し上げる。カレースープをメニューの前面に押し出すとか、かき氷を始めるとか、夏場対策はいろいろと考えられるので、ぜひ通常通りの営業を続けて下さいとお願いすると、「そうおっしゃていただけるなら、やります」と奥様は意外にあっさりと前言を撤回した。
夏休みに入ったら、「あをや」訪問の頻度を高めようと思うが、このブログの読者でお近くにお住まいの方も、この夏は、「そうだ、あをやに行こう」と思っていただきたい。
帰り際に二階の和室を見学する。
営業時間は8時までだが、30分ほど長居をしてしまった。ごちそうさまでした。
帰りは鹿島田駅ではなく、矢向駅まで歩いた。話をしながら歩くと、すぐに着いてしまう。