フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

6月6日(土) 晴れのち雨

2015-06-07 09:13:56 | Weblog

告別式。

本日は、母榮のためにお集まりいただき、まことにありがとうございます。

母は昭和2年の生まれで、今年の3月の末に88歳となり、米寿の祝いをいたしました。本当はもう数年生きるつもりだったようですが、残念ながらそれは叶いませんでした。

母は親戚づきあいを大切にする人でした。私も母の遺志を継いでゆきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。

今日は東京ガス時代のご友人にもお越しいただいておりますが、家庭の外にそうした場所をもっていたことは母の人生に広がりを与えてくれたことと思います。ありがとうございました。

終戦の年を18歳で迎え、25歳のときに父と結婚をして、群馬の田舎から東京に出てきて、この蒲田の町で所帯をもちました。以来、63年間、ずっとこの町で暮らしてきました。昨日今日とたくさんのご近所のみささんにお越しいただきましたが、60年来のお付き合いの方もいれば、かつては小学生だった方が、成長されて、結婚し、ご自身の家族を持ち、小さなお子さんを連れてお越しいただいた方もいらっしゃいます。母は人の世話をするのが好きでしたが、父が死んで、子供も母の世話を必要とする年齢ではなくなって、最近では、家にやってくる野良猫の世話をしておりましたが、老人会で役割を与えて頂けたことは、そんな母の生活のハリになっていたと思います。ありがとうございました。

母は亡くなってしまいましたが、母が大切にしていた人とのつながりは遺された私たちも大切にしてまいりたいと思いますので、どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします。

昨日の通夜、今日の告別式とも受付の仕事は孫と孫のお嫁さんが担当してくれた。母もきっと喜んでいることだろう。ありがとう。 

葬儀と初七日法要を終えて、帰宅。

予定にはなかったが、ご住職には家まで来ていただいて、お経をあげていただいた。ありがとうございました。

妹は、御香典や生花代やお見舞金などの金銭管理をして(若いころ妹は郵便局で働いたので会計的な仕事は得意なのである)、香典返しのプランまで考えてくれた。遅くまでありがとう。

喪主というのは思いのほか神経が疲れるもので、表向きは穏やかににこやかに応対しているものの、裏では側に入る妻にイライラをぶつけてしまった。ごめんなさい。

お母さん、なんとか葬儀を終えることができました。きっとご不満な点は多々あると思いますが、御勘弁ください。