フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

6月7日(日) 晴れ

2015-06-08 02:39:54 | Weblog

7時半、起床。

サラダ(人参、トマト、コーン、レタス)のみの朝食。食生活が不規則になっているので、矯正しなければならない。

「家族の死」という出来事は臨終の当日だけの出来事ではない。それは「看病の期間」、「葬儀の(準備を含めて)期間」、「事後処理の期間」という連続する3つの期間に起こる出来事のプロセスである。「事後処理」とは、大きくは3つあり、第一に、役所や銀行やその他の機関(年金・電気・ガス・水道・電話・NHKなど)への届出、第二に、香典返しや死亡通知や四十九日の準備、第三に、相続関係である。父が亡くなったときに一度経験しているとはいえ、これがなかなかの一仕事なのである。気力を維持して取り組まねばならない。一般に親の死の忌引きは7日間が相場であるが、7日間というのは「葬儀(準備を含めて)期間」に相当するだろう。「事後処理」は日常の仕事と同時並行して進めねばならないのである。

しかし、今日は日曜日なので、「事後処理」のスタートは明日である。今日は完全休養日とする。横になると、とめどなく眠れる。身体がというよりも、神経が疲れ切っている。

昼食はコンビニでおにぎりを買ったが、空を見上げると陽光が輝いているので、思い直して、散歩がてら「宝来」に食べに行く。

「看病の期間」に自宅と病院の往復でこの道を何度歩いただろう。

今日でしらばらくこの店に来ることはないだろう。

ラーメンと半チャーハンのセットを注文。

食後のコーヒーを「あるす」に飲みに行く。行けば、当然の成り行きとして、母の死について知らせねばならない。本音をいえば、「ご愁傷様でした」「お悔やみ申し上げます」的世界からはもう離れたい。その世界は神経が疲れる。でも、そういうわけにもいくまい。昨日、葬儀を終えたばかりなのだから。

モカを注文する。「先生、お忙しいですか?」とマダムが聞いてくる。「ええ、実は・・・」と答える。マダムがびっくりする。マスターもびっくりする。ひとわたり母の死について説明する。どこかの時点で話さなければならことだ、今日、話そう。

帰り際に、マダムがお庭の紫陽花を切って持たせてくれた。ありがとうございます。

夕食は豚しゃぶ。最初、冷しゃぶにするつもりだったらしいが、夜は涼しくなったので、鍋にする。

炊いたご飯ではなく、昼間に買って食べずにおいたコンビニのおにぎりを食べる。

昼間、たくさん寝たせいで、この時間(深夜2時半)になっても、それほど眠くない。