フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

6月8日(月) 曇り

2015-06-09 15:36:09 | Weblog

7時半、起床。

ハンバーグ、トースト、サラダ(トマト、コーン、ベビーリーフ)、紅茶の朝食。

母が趣味の会で一緒だった方がお二人、ご焼香に来てくださる。花とお香典をいただく。事前の連絡はなかったが、もし私たちが不在だったらどうされるつもりだったのだろう(花が無駄になるところだった)。お帰りいただくときにお香典の返しの品をお渡しするのを忘れてしまい、自転車であわてて追いかけ、なんとか追いついた。

今日から「事後処理の期間」の始まりだ。

と、その前に腹ごしらえ。妻と「phono kafe」に昼食をとりに行く。

いつものようにおかず6品を全部注文し、シェアして食べる。

妻も私もご飯(玄米)は軽めにしてもらう。

ます、母が借りていた(私たち夫婦も使える)貸金庫に行って、名義変更の手続きをした。あれこれの手続きに必要な書類が入っているので、出して手元にもっておく必要があるのだ。貸金庫の鍵もカードも手元にあるので、本当は名義変更は後回しにして、中のものを取り出すことはできたはずなのだが、妻が銀行に電話をして、「義母が亡くなったのですが、貸金庫のものは取り出せますか」と聞いたため、その瞬間にクローズにされたのである。馬鹿正直というか・・・きっと育ちがよいのだろう。

次に区役所へ行って、年金の受給停止の届出をするために必要な書類(戸籍謄本や住民票)をとったり、介護保険証を返却したりした。後期高齢者の保険証は葬儀費用の領収書が出てきた返却すれば葬祭費がいただけるので、それまでは手元にもっておく。

区役所の窓から見た蒲田駅の駅舎。東急線との連絡通路は古い建築物である。

大田年金事務所に行って、母がもらっていた年金の停止の届出をする。古い記録を調べると、母が結婚する前の勤務先ではないかと思われる厚生年金の記録が2つ残っているのですが、ご存知ですかと聞かれる。はい、おそらく女学校を出て終戦まで半年ほど女子挺身隊として働いていた古河窯業と、終戦から結婚するまでの7年間働いていた粕川村の農協(農業会)のものではないでしょうかと答えると、そうですか、これで記録の不明だった点が明らかになりました、ありがとうございましたと言われる。入院中の母にライフストーリーインタビューをしておいたことが、ここでさっそく役に立つとは思わなかった。

年金は、国民年金と厚生年金のほかに千代田区役所の職員だった父の共済年金を遺族年金としてもらっている分があるが、これは年金事務所とは別のところ(都職員共済組合)なので、明日、問い合わせよう。

今日の「事後処理」はここまで。「スクエアーズ・カフェ」で一服する。

デニッシュのフレンチトーストが美味しそうだったので、紅茶とセットで注文する(妻も同じく)。

夕食は焼き魚と卵と玉ねぎの味噌汁。

デザートはメロン。

夜、明日の授業の準備。

葬儀の疲れは残っているし、事後処理も忙しいから、正直にいえば、もう一週間休みたい。しかし現代社会は人を休ませてくれない。産業社会において「休み」=「生産活動の停止」は反システム的なものなのである。だからこそ人間は、人間として、システムの奴隷にならないために、断固として休まなくてはならないのである。

折衷案として、明日の授業は早めに切り上げることにしよう。