7時半、起床。
トースト、サラダ(ツナ、トマト、レタス)、紅茶の朝食。
今日もいろいろ回る一日。
郵便局、区役所、(母が入院していた)病院へ。
昼食は病院の近くの「宝来」で。
肉野菜炒め定食。
蒲田駅に戻る途中、auショップに立ち寄る。
ボロボロのいまのケータイを新しいケータイにする。スマホ全盛のいま、ケータイ(ガラケー)の選択肢は少なく、高齢者用のものを別にすると、2機種しかなかった。京セラ製のグラティーナ2とマーベラ2で、上位機種である後者を購入することにしたが、在庫がホワイトしかなかったので、ブラックを取り寄せてもらうことにした。利用プランはこれまでどおり「Sシンプル」(月々2688円)。
スマホに移行することもチラッと考えたが、やはり、どう考えても、自分には不要である(あれば便利なのかもしれいが、なくても困らない)という結論になった。電話とメールができればそれで十分。自宅の書斎と大学の研究室にPCがあるから、通勤時間にインターネットはしなくていい。電車の中で音楽を聴いたり、ゲームをしたいとも思わない。通勤時間は基本的に読書タイムだ。何より、電車の中で、ホームで、階段で、改札を通るときでさえ、スマホの画面から目を離さない人たちの姿(ゾンビに似ている)を見ていると、「ああはなりたくない」と思ってしまうのである。きっとそれだけの魔力があるのだろう。クワバラ、クワバラ。
研究室で使用する食器に先日購入した清水直子さんの新作が加わった。
夕方まで雑用をして、帰る。
東京ステーションギャラリーで開催中の「鴨居玲 踊り候え」展をのぞく。初めて聞く名前だが、昭和3年の生まれ(母より1つ下)で、昭和60年(1985年)に57歳で亡くなっている(自殺だったそうだ)。
スペインの村に住んでいたときに描いた、酔っ払いや老婆の絵、そして晩年の自画像が有名なようで、一見すると醜い人たちが見せる一瞬の奥行きのある表情(そこにその人の人生が凝縮されているような)を好んで描いたようである。
自画像は醜いが、実際の彼は俳優の川口浩に似た美男子だった。今回の没後30年の企画展に合わせて彼の伝記を書いた長谷川千恵子(日動画廊代表取締役副社長)はこう書いている。
「本書を書くにあたり、改めて鴨居のことを思い起こすと、作品の印象に反して彼自身には、「格好いい」という形容詞しか思い浮かべることができない。そが彼の美学でもあった。身長はスラッと高く、日本人離れした彫の深い顔。それを嫌味に見せないよう、三枚目を演じてみせる様や照れたような笑み。それらすべてが、稀代の格好よさを印象づけていた。」(1-2頁)
「鴨居は「魂の放浪者」である。いつも何かを求め、失望したり、これで良かったと安堵したりの繰り返しであった。その生活の中で女性に求めるのは、あくまで鴨居の独走に優しく付いてきてくれることだったのだろう。女性から何かを「求められる」ということは彼には負担でしかなかった。・・(中略)・・・鴨居の優しさに接した女性は、鴨居を仮想恋人としてしまう。しかし鴨居はそれ以上、絶対に誰も自分の世界には踏み込ませない。それゆえ、誰にも仮想恋人以上の場所はない。それでも、鴨居の甘い雰囲気に接するだけで女性は満足感を得る。そこが鴨居の憎いところであった。」(44-45頁)
蒲田に到着。すでに午後6時半だが、まだ十分に明るい。
電車の中で読んでいた本を切りのよいところまで読もうと「テラス・ドルチェ」に入る。
アイスコーヒーを注文。
7時半、帰宅。
夕食はピーマンの肉詰め。
デザートは小玉スイカ。