フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月25日(木) 晴れ

2016-08-26 09:28:22 | Weblog

9時、起床。

3日遅れの台風一過の青空だ。8月も残すことろ7日間となったが、青空が望めるのは今日と明日くらいらしい。FMラジオから行く夏を惜しむようにサマー・ソングが流れている。

トースト、サラダ、紅茶、オレンジゼリーの朝食。

6枚切りの食パンを1枚食べて、残りは冷凍にする。

こうすると鮮度を保つことができる。食べるときはトーストにするので、サクサクで食べられる。

4週間が書き上げる予定の原稿は、私の近年の関心である「ライフスタイル論」と長年の関心である「清水幾太郎研究」を架橋するテーマで、「清水幾太郎における孤独と社交」というタイトルのものになるだろう。清水幾太郎の最晩年の著作である『「社交学」ノート:世紀末に生きる』(ネスコ、1986年)が考察の中心となるテキストである。

「私は、「社交の勧め」という意味で、この小さな本を書きました。とにかく忘れられている社交というものを本気で考えて、それを堂々と始めて戴きたい、そういう願いをこめて、この本を書きました。それは、少し工夫すれば、誰にでも出来ることなのです。」(5頁)

「世の中には、さあ、二十一世紀だ、と浮足立った極楽蜻蛉のような人たちもいますが、真面目に考えれば、この日々、私たちが生きて行くのは大変なことなのです。世紀末の今日、益々大変になって行くでしょう。また、或る意味で、私たちは、一人残らず、それぞれの「孤独」に苦しんでいるのです。/私の言う社交は、この辛い淋しい生活を、ただ誤魔化すのではなく、多少なりとも有意味なものにする、一段でも二段でも自分を高める、少数ながら信頼できる友を得る、そのための機会、そのためのスモール・グループのことなのです。」(6頁)

「幸いなことに、私自身、十三年に亙って、そういう社交を経験して参りました。われながら、貴重な経験であったと思っております。即ち、偶然の事情によって、私の清水研究室に、談話会というものが生まれ、図らずも、それが一種の社交の場になり、そこで、私たちはインフォーマルな形で色々な情報を交換し、愉快な談話を交わすことなりました。/それに私は参加し且つ享受しながら、しかし、同時に、一個の社会学者研究者として、その模様を観察し且つ分析して来ました。この経験があるために、読者に向かって、「社交の勧め」を書く勇気が出て来たのです。併せて、私の経験の一部を披露して、みなさんのお役に立てようと決心することになったのです。」(6-7頁)

「勿論、赤提灯も社交の場でしょう。居酒屋も社交の場でしょう。私は、それを夢にも軽く見るものではありませんが、しかし、私はもっと明るい場所へ社交を引き出したいと思うのです。また、万事がもっと計画的であるべきだと思うのです。大きなことを言うようですが、そこに、現代に生きる智慧の一部があるように考えられるのです。」(7頁)

「私は自分の経験に忠実であろうとしたため、勢い、私たちの談話会に材料を得て書くことになりました。しかし、私たちの社交は、飽くまでも一つのケースであって、モデルではありません。各人は各人の状況の中にいるのです。読者が身辺を注意深く見渡せば、多種多様な形の社交の可能性があるのに気づく筈です。どうか、それを生かして戴きたいと思うのです。そして、その際、私たちの経験が必ずや何かのご参考になると信じております。」(7頁)

わずか3頁ほどの「まえがき」だが、私の思考を刺激する文章に満ちている。刺戟されて展開した思考の内容はいまここに書かないが(このブログは研究ノートではないので)、400字詰め原稿用紙50枚にうまくまとめられたらと思う。

午後3時を回った頃、遅い昼食をとりに外に出る。

この時間にしっかり食べてしまうと、夕食までにお腹が減らない恐れがある。妻との無用な衝突は避けたい。

「そば新」でうどんを食べることにした。

天玉うどん(390円)。何度も書いているが、立ち食い蕎麦屋ではあるが、ここは汁が美味しいと思う。関東風と関西風の真ん中よりもいくらか関東よりといったところだろうか。辛すぎず、甘すぎず、コクがあって、切れがある。掻揚げと卵がベストマッチする。

駅の方に歩く。

晩夏の陽射しを惜しむ人たち。

食後のコーヒーは「グッディ」で飲むことにする。

「テラス・ドチェ」のようにサイホンを卓上にもっては来ないが、ここもサイホンで淹れるコーヒーである。

窓からの光がちょうどよい加減だ。

帰宅する目に花屋に寄って仏花を買っておこう。 

大城通りにある「紅葉花園」は「あるす」の並びにある「紅葉花園」はどちらが本店でどちらが支店なのかわからないが、姉妹でやっていると女主人に聞いたことあある。

西方浄土からの陽射しを背中に浴びながら、花束を持って帰る。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・。

玄関先でなつが出迎えてくれた(餌をもらいに来たのである)。

夕食はジンギスカン風の肉野菜炒め。

オリンピックが終わっても、夜更かしは止まらない。

3時半、就寝。