8時ちょっと前に起床。今日から10月だ。『皇帝のいない八月』という映画があったが、それをもじっていえば、『半分、青い』と「phono kafe」のない10月だ。
台風一過の青空が広がっている。「いやくなったわけやない。ここにおる」(by 弥一)
新しい朝ドラ『まんぷく』の初回をリアルタイムで観る。主人公のキャラクターと主要な登場人物のお披露目。終わってしまった『半分、青い』のことを考えながら、表層的なまなざしで観ている。半分、心ここにあらず。まるで好きな人がいるのに親のすすめる人とお見合いをしている女性みたいな気分だ。そういうまなざしでは大した感想も述べられないが、主人公の福子(安藤サクラ)は、天真爛漫な女性、良くも悪くも典型的な「NHK大阪版朝ドラ的主人公」である。二人の姉、咲(内田友紀)と克子(松下奈緒)と比べると器量は落ちるが、本人は気にしていない。万人受けするキャラクターとは思うが、私は少々苦手だ。陰影に乏しく人造人間みたいな感じがするのだ。戦前の大阪のセットはよく出来ている。
『あさイチ』の最初のところで台風の被害状況を映像で紹介していた。暴風とはすごいものである。朝食のパンをコンビニに買いに行きがてら近所の様子をみて歩く。
お向かいのお宅の木が折れていた。
コンビニの前の通りが封鎖されていた。
「イルカ整骨院」のお隣の店舗の屋根だか庇だかが飛ばされて道路に転がったらしい。電線も垂れ下がっている。
専門学校のビルの谷間の普段から風の強い道では木が倒れていた。
ロールパン、ハム&エッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。コンビニには売り切れたのか、入って来ないのか、食パンがなかった。
郵便局に用事があり、玄関を出ると、「phono kafe」の大原さんとバッタリ会った。お店の片付けの途中だが、これから予約してある大岡山の歯科医院へ行くところだそうである。今月の半ばまではこちらにいるので、またどこかで会うかもしれませんね。
駅の方の郵便局は混んでいるので、西蒲田一丁目の郵便局に行く。
今日が申し込みの締め切りのNHK全国俳句大会。三句一組の投句料3,000円を振り込み、作品を書いた申込み用紙に領収書を貼りつけて、投函する。句会仲間のあゆみさんに「出しましたよ」とLINEをすると、彼女はまだ産みの苦しみの最中で、「いいなあ。ああ、苦しい。早く楽になりたい」と返事が来た。もう数時間がんばってみるそうである。
花屋で仏花を買い、
酒屋でお神酒を買って、帰る。
昼食は下丸子の「喜楽亭」に食べに行く。月1ペースで行くことにしているが、9月は行けなかった。1日遅れてしまったが、今日は9月の分。
蒲田駅ではすぐになくなってしまうが、東急沿線情報誌『SALUS』の最新号が下丸子駅にはまだあった。
「喜楽亭」は真四角の箱のような建物だが、昔は二階は宴会場として使われていたそうだ。「洋食屋」というものがハイカラだった時代の話だ。いまはレトロな響きがある。「喜楽亭」の周辺には昭和的雰囲気が漂っている。
メニューはたくさんあるが、お勧めはこのホワイトボードに書かれた定食である。私はいつもチキンカツ定食を注文するが、メンチカツ定食もなかなかである。
すでに2時を回る頃で、客は私だけ。
今日もチキンカツ定食。ご飯は軽めで注文すべきだったが、今朝の体重は目標値をクリアーしていたので、たくさん食べても大丈夫。
月初めだからということもないだろうが、油が新しいのか、衣の色がいつもより白っぽい。
まずは味噌汁を一口。ここの味噌汁は好きな味である。
最初にカツ2切れでご飯を食べたあたりで、小鉢の厚揚げと大根の煮物に箸を付ける。
お新香は白菜、たくあん、奈良漬の3種。これも中盤から端を付ける。
若い人なら最初に食べるサラダも中盤から端を付ける。定食の楽しさは中盤からの盛り上がりにある。おかず一品とご飯と味噌汁という最低限の構成の「定食」にはこの楽しさがない。
ご主人が保管しておられた大田区の古い地名が書かれた地図を話題におしゃべり。下丸子には「平川」姓が多いのだが、これは江戸城が作られるにあたって、当時の平川村の住人がこちらに強制移転をさせられた名残だそうである。現在の千代田区の平河町はお屋敷街だが、「平川」ではなく「平河」となったのは明暦の大火のときで、貧村のイメージを払拭するためだったのだろうか。なお、皇居の「平川門」はそのまま「平川」が使われている。
食後のコーヒーは(カツを食べた後はコーヒーじゃないと)蒲田に戻って「グッディ」で。
入口を入って2階への階段を昇る。「グッディ」に行ってみたいのだが、この階段が敷居が高くて、という人は多い。
落ち浮いた雰囲気のカフェである。
客は私だけ。テーブルが埋まっていたら3階(私はそこが好き)に行けるのだが、めったに行けない。
ちなみに3階はこんな感じ。トイレは3階にあるので、トイレに行ったついでに写真を撮ることはできる。
ブレンド(420円)を注文。
『SALUS』10月号の特集タイトルは「カップ一杯のコーヒーを飲みに」。東急線沿線のいつくかのカフェが紹介されているが(ネットにも掲載されている→こちら)、菊池亜希子が「愛しい喫茶時間」というエッセーを寄せている。彼女は『好きよ、喫茶店』『続・好きよ、喫茶店』(マガジンハウス)という本も出しているほどのカフェ好きだが、去年の秋に出産をされて、1ヶ月ぼどカフェイン断ちの生活をしていたが、気持がいっぱいいっぱいになってしまった頃に、久しぶりの喫茶んで飲んでオレグラッセ(コーヒーのミルクのセパレートコーヒー)のが忘れられないそうだ。
「なんでそんなに喫茶店が好きなのか―それは、そこに流れる孤独な時間が好きだから。仕事に追われていて、考えなきゃいけないこともたくさんあるけれど、喫茶店に入って水を一杯飲んで「ふぅ」と一息つくと〝ひとり〟になれるんです。ほかにもひとりになれる場所ってあるけど、喫茶店はより孤独を感じられる気がします、」
彼女にとっての喫茶店は「もの思いカフェ」(一人の時間を味わうカフェ)である。彼女のいう「孤独」とは「自ら選んだ孤独」「ひとりになれる時間」のことである。「強いられた孤独」=「孤立」のことではない。
「たまに私がコミュニケーションを取りたい空気を醸し出すと、マスターが「今日はこれで仕事終わり?」て聞いてくれて、「まだあるんですよ」と話すと、「じゃあ、ゆっくりしていきな」って。その一言、二言を交わすだけで十分満たされる。孤独の中にいるから、ほんのちょっと人に触れた瞬間が際立つのでしょうね。」
「もの思いカフェ」と「おしゃべりカフェ」の比率は、私は5:5くらいだが(そう心掛けているのである)、 彼女にとっては9:1くらいとお見受けする。それが普通の都市生活者のメンタリティだろう。各人の意識においてはそれでいいとしても、社会の全体がその総和としてそういう意識をもっていることはどうなのだろうというのが私の問題意識なわけで、もう少し比率の偏りを緩和した方がよい(そういうスキルを身に着けた方がよい)のではないかと私は思うわけである。
「グッディ」の向かいにある古本屋「一方堂書林」。主人は高齢の(しかしシャンとした)女性。
入口付近に平積みになっているのはエロ雑誌だが、中に入るとちゃんとした本が並んでいる。吉行淳之介の短編集『がらんどう』(青樹社、1976年)を購入。売値は1,000円で、ちょっと高い気がしたが、「初版」のせいだろう。職人らしい通俗小説。通勤電車やカフェでひとときの時間を楽しむ(そこで読み切る)作品だ。
夕方の空。久しぶりに汗ばむ一日だったが、だんだん気温も下がって(普通の気温に)なってきた。
夕食は鶏鍋。鶏肉、白菜、人参、しめじが入っている。
最初、いただきものの博多の柚子酢で食べてみたが、私には少々甘い。普通のポン酢で食べる。
デザートは葡萄。
2時半、就寝。