フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

10月8日(月) 曇り

2018-10-09 11:12:09 | Weblog

9時半、起床。

予定ではもっと早くに起きるはずだった。いったん7時に目が覚め、あと1時間は寝ようと思ったのだが、それが2時間半になってしまった。あらま。昨日、就寝前に立てた一日のスケジュールがスタートからつまづいてしまった。

ソーセージ&エッグ、トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

今日の『まんぷく』。萬平が福子に交際を申し込んだ。結婚を前提の交際の申し込みだから半分プロポーズのようなものである。福子はあっさりとこれを受けた。現代であれば、告白→交際(恋愛)→プロポーズ→結婚というのが通常の段取りであるから、ずいぶんと短縮されていたものであるが、そのころは結婚年齢が早かったから、恋愛に長い時間をかけてはいられなかったのである。大切なのは恋愛というプロセスではなく、結婚というゴールだった。このバランスが変化したのは、高学歴化によって、在学中の恋愛(それは結婚とは切り離され恋愛それ単独で存在していた)が普及したためである。まず恋愛ありき。それが結婚につながるかどうかは、二次的なことがらになったのである。

「今日は生垣の剪定と草取りをしましょう」と妻が言った。逆らうことは難しい。

「私は中腰の姿勢は腰に悪いから剪定の方をします。草取りはたかじさんがやってね」と妻が重ねて行った。そうするしかない。

野良猫のナツが「お疲れ様です」と言いたげな顔で私を見ている。

作業は1時間半ほどで完了。

草取りをやった後は、すっきりした気分と、殺生をしてしまったという気分が相半ばする。

昼食は、「phono kafe」で購入した玄米ラーメンに豚肉と白菜とエノキを炒めて入れた。玄米ラーメンはこれで終わりだ。

食後に一昨日ユミさんからお土産にいただいたクッキーを食べる。

昨日とは一転して、曇り日の涼しい一日。庭仕事には持って来いだった。 

夕食は外に食べに出る。庭仕事をやった日はたいていそうなる。

「梅Q」の前を通ったら松茸釜飯がメニューに出ていた。これにしよう。

梅Qサラダ。

お新香。

焼き鳥(8本)。釜飯は注文してから出てくるまで時間がかかるので、焼き鳥を食べながら待つことが多い。

塩で4本。

タレで4本・・・のはずが一本足りない。 

つくねがちょっと遅れて運ばれてきた。

焼き鳥をたくさん注文したこともあり、釜飯は1つだけにした。1つでお茶碗二杯分あるので、2つ注文するとお腹がパンパンになってしまうのだ。

松茸はたっぷり入っている。これで秋刀魚、カキ、松茸の秋の三大味覚を賞味したわけだが、松茸の土瓶蒸しも食べたいな。

帰りに東急プラザの「くまざわ書店」に寄って行く。

本と雑誌を3冊購入。

沢木耕太郎『銀河を渡る』(新潮社)

帯びに「移動する精神、25年を束ねた全エッセイ」とあるので、「春の背広」という好きなエッセイを探したら載っていなかった。あれ?と思ったが、考えてみると全エッセイならもっとずっと厚い本になるはずである。「あとがき」を読んだら、これは「3冊目の全エッセイ」で「2冊目の全エッセイ」以降の25年分だとわかった。

「二十五年という、そう短くはないこの年月の中で、変わらなかったことがひとつある。それは、私が常に移動をしてきたということだ。ここではないどこかを求めて、というほど初々しくはないいにしても、こことは異なるどこかへ行きたい、という好奇心が消えうせたことはなかった。それが私に繰り返し海を渡らせた。/こことは異なるどこかの旅をしても、やはりしばらくすればここに戻ってくる。しかし、それは、ここが離れがたい宿命の土地と感じられているからではなかった。どこかに行き、ここに戻ってくるたびに、ほっとするということはある。しかし、同時に、ここが、他のどこかとほとんど等価になっていくような感覚が生まれてくるのを覚えつづけてもいたのだ。ここが常に帰るべき場所というのではなく、単に出発すべき場所として存在するようになったということでもある。」(「銀河を渡る」-あとがき)

沢木耕太郎は今年で71歳である。なんという若々しい文体だろう。「あとがき」の末尾で彼はこう書いている。「果たして、この小さな放浪者はこれからどこに行こうとしているのだろう・・・。」

嵐山光三郎『老いてますます官能的』(新潮社)

20年前、「不良中年」という言葉を流行らせた彼も今年で76歳であるが、「世間を気にし、優等生的に生きて、何が面白い」という反骨精神は健在である。タイトルにある「官能的」とは性的な意味よりも広く、見るもの、聴くもの、嗅ぐもの、触れるもの、味わうもの、五感のすべてを研ぎ澄まして日々を生きることをいう。彼は本書でそうした生き方を女性の先人たちの生き方に学ぼうとしている。

『ダ・ヴィンチ』11月号(KADOKAWA)。

『半分、青い』の「マー君」こと中村倫也が表紙に出ていたので思わず手に取った。彼も朝ドラで人気の(さらに)出た俳優の一人である。今月号から彼の連載エッセイ「やんごとなき雑談」がスタートするのを記念して、ロングインタビュー、北川悦吏子との対談などの記事が載っている。読み応えがありそうだったので購入した(そうしたら澤田瞳子さんの『龍華記』が著者へのインタビューとともに紹介されていた)。ちなみに次号は星野源がクローズアップされる予定。『ダ・ヴィンチ』ってこういう雑誌だったのか。

深夜、久しぶりにウォーキング&ジョギング。室内でのスロースクワットもよいけれど、やっぱり外の方が気持ちがいい。

今日から始まった織田裕二主演のドラマ『スーツ』を3分の1ほど観る。途中で止めたのは、初回は時間が1時間半で、いまから全部見ていると寝不足になりそうだったからだ。アメリカのドラマが原案だけあって、切れのいい導入部分であった。ただし、類型的な感じもしなくはない。これからも見続けるかは一話目を全部見てからでないとわからない。

2時半、就寝。