フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月24日(金) 晴れ

2019-05-26 21:22:53 | Weblog

8時、起床。

ハムトースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

10時に家を出て、大学へ。この週末は暑くなりそうだ。

研究室にカフェ仲間のアヤカさんがやってくる。かつてわれわれは馬場下のバス亭の近くにあった「maruharu」というサンドウィッチのお店の常連だったのである。 アメリカの社会学者レイ・オルデンバーグは『サードプレイス』(みすず書房)の中で「常連」の重要性ついてこう書いている。

「サードプレイス」の魅力は、座席の数や、出される飲み物の種類の多さ、駐車場が使えるかどうか、値段といった特徴にあまり左右されない。固定客をサードプレイスに引き寄せるものは、店側が提供するのではなく、客仲間が提供する。サードプレイスは、しかるべき人々がそこにいて活気づけてこその空間であり、その「しかるべき人びと」とは常連である。常連は、その場所に特色を与え、いつ訪れても誰かしらの仲間がいることを確約してくれる。(84-85頁)。

「マルハル」が閉店した後も、かつての常連たちはゆるやかな社交を続けている。アヤカさんと会うのは昨年の12月以来だから5カ月振りである。長男のコウノスケ君はバレエを辞めて野球を始めたそうだ。

「タビビトの木」にランチを食べに行く。 

ときどき写真展が大なわれているが、いまはそうではなく、壁に掛かっているのはマスターが撮った写真作品だ。 

ランチのタシの豆のカレーを注文。 

ライスの上にのっているのは、ナンではなく、ババドという豆の粉で作ったせんべい。これがなかなかいける。

ほうれん草のカレーもついてきた。本体の豆カレーよりもこちらの方が辛い。 

ドリンクはアイスカフェラテをチョイス。 

先日、信州旅行で彩雲を観たが、アヤカさんのアヤは「彩」で、これはお父様が彩雲から採った名前なのだそうである。それはなかなかロマンチストなお父様ですね。

彼女はアメリカのテレビドラマをよく見るそうである。『ER』なんかは大ファンだそうだ。ところが映画はほとんど観ないという。テレビドラマ好きは、必ずしも映画好きでないというのは、意外なことである。「なんででしょう?」と私が質問すると、「なんでなんでしょう・・・」と彼女はしばし考え込んだ。そのことについてこれまで考えたことがなかったそうである。そして「長いものが好きなのかもしれません」と言った。映画は2時間前後のものがほとんどだ。それで終わってしまう。しかし連続テレビドラマは、1話1話は1時間未満だが(『ER』の場合45分)、何話も(『ER』の場合1シーズン22話)、そして(人気シリーズは)何シーズンも続く(『ER』の場合15シーズンまで行った)。長期にわたって楽しめるわけだ。ちなみに「小説は短篇と長編どちらがお好みせすか?」と聞いたら、「長編小説ですね」とのことだった。

店を出で、別れ際に彼女からこんな話を聞いた。「はるさん姉妹が筑波で開いたお店、閉店してしまったようです」。えっ、そうなんですか?「maruharu」を閉めた後、店主のはるさんと妹さんが郷里の筑波で「sis.de.maruharu」を開店したので、いつか行こうと思っていたのだが・・・( あとからネットで確認したら、今年の2月24日に閉店していた)。「いつか行こう」というのはこういうことになりがちである。思い立ったが吉日主義でないといけない。改めてそう思った。 

 大学に戻る。

5限・6限はゼミ。 

今日も拙著『日常生活の探究』(左右社)をテキストにしたディスカッション。 

来週も続けるが、来週で読み終わるので、その後はポピュラーカルチャの作品(映画、TVドラマ、歌など)に見られる人生の物語の分析をグループ単位でしてもらう。今日の授業の最後のところで、グループ決めと発表の順番を決めた。グループは3年・4年が混合になるようにした。今年度は3年・4年合同ゼミという特質をできるだけ生かすことを心がけている。 

 6月14日、トップバッターで発表する班。

6月21日の発表の班。 

6月28日に発表の班。 

7月5日に発表の班。 

7月12日に発表の班。 

7月19日、ラストに発表する班。 

ポピュラーカルチャと人生の物語の関係の分析は、私が講義「日常生活の社会学」や「ライフストーリーの社会学」の中に取り入れている手法である。それを真似るもよし、それとは別の手法でやるのもよし。力を合わせて頑張って下さい。いいものがあれば、私の講義で使わせてもらいます。

9時半、帰宅。

夕食は「ちよだ鮨」で買ってきた寿司(30%引き)。 

帰宅したときに妻が観ていた映画『キングコング』を観ながら食べる。 

風呂から出て、昨日の『プレバト』(録画)の俳句のコーナーを観る。

2時、就寝。


5月23日(木) 晴れ

2019-05-26 08:35:35 | Weblog

8時、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

昼前に家を出て、大学へ。

蒲田駅のいつもの場所に立っていると、前のビルの自衛隊大田出張所の垂れ幕が目に入った。 

 自衛官募集中の「守りたいものを、守れる人に。」の標語。「守りたいもの」とはある時期までは「日本国」を意味していた(国防)。それがある時期から「大切な人」の意味に転じたように思う。

 3限は大学院の演習。今日とりあげたのは、成田龍一「茨木のり子ー女性にとっての敗戦と占領」と中村秀之「黒澤明ーアメリカとの出会いそこない」。前者は戦中と戦後の連続性・不連続性の問題、後者はアメリカへの愛憎の問題、どちらも戦中戦後を生きた日本人にとっての重要な(深く考えてみるべき)問題であったが、実際には、戦後復興、高度成長の中で、あまり問い詰められることなくきた問題である。

茨木の詩の中で一番よく知れているのは「私が一番きれいだったとき」だと思うが(成田の論稿の中でも紹介・分析がされていた)、私が茨木のり子という詩人を知ったのは「六月」という作品によってだった。

 どこかに美しい村はないか
 一日の仕事の終わりには一杯の黒ビール
 鍬を立てかけ 籠をおき
 男も女も大きなジョッキをかたむける

 どこかに美しい街はないか
 食べられる実をつけた街路樹が
 どこまでも続き すみれいろした夕暮れは
 若者のやさしいさざめきで満ち満ちる

 どこかに美しい人と人の力はないか
 同じ時代をともに生きる
 したしさとおかしさとそうして怒りが
 鋭い力となって たちあらわれる

私が初めてこの詩を知ったのは、高校生のころ観ていた森田健作主演の『おれは男だ!』という青春ドラマの中でである。高校生活を描いたドラマで(森田は剣道部の主将であった)、国語の授業中にこの詩が生徒たちによって朗読されたのだ。詩人の名も作品の名も知らなかったが、とても印象に残った。

演習を終えて、おにぎり2個(鮭と昆布)の昼食。

3時に来客。他大学の教員の方で、研究上の相談を1時間ほど。

5限は講義「日常生活の社会学」。今日の38AV教室は冷房の効きがよかった。決して私の授業中に発する冗談が「寒かった」わけではあるまい。

 6時半頃、卒業生のメグミさん(論系ゼミ5期生)が仕事終わりにやってきた。彼女と会うのは3月2日の彼女の結婚式以来である。

本当はもっと早い時期に約束していたのだが、彼女が体調を崩して、2度延期になったのだ。彼女はこの1年で3度食あたりを経験した。しかもそのうちの2度はノロウィルスにやられたのである。呪われているのではないかしら。でも、今日は体調万全とのこと。 

研究室で少しおしゃべりをしてから食事に出る。

途中で新学生会館(早稲田アリーナ)を見学する。 

 初めて見る卒業生はみな感激するようである。

キャンパスの入口付近の風景が1年前とはだいぶ違う。間口が広くなり、モダンに(無機質ともいう)なった。「郊外の大学みたいですね」という感想をよく聞くが、「病院みたい」というのが私の感想である。 

「すぎうら」に行く。 

海鮮サラダ。 

活き穴子の天ぷら(塩で)。 

豚の角煮。ご飯と味噌汁をここで注文。 

鴨肉の塩焼き。 

お腹いっぱいになったので、「カフェゴト―」でケーキとお茶というのはやめておく。

結婚式からは2か月半だが、一緒に暮らし始めて1年以上が経っているので、新婚気分というのはないそうである。多少はあってもいいように思いますが(笑)、一緒に暮らすことがすっかり日常になったということですね。ここからが大事ですよ。共働きで、それぞれ大変なお仕事をされているわけですが、どれだけ相手の大変さを思うことができるかどうか。それが今後の長い夫婦関係のパターンを決めていくのです。普通の言葉でいえば、「思いやり」です。私自身、えらそうなことは言えませんが、反省、自戒の気持ちを込めて、そう言っておきます。しっかりね。そして健康管理に気を付けて。 

一緒に東西線に乗り、彼女は九段下で降りた。

9時半、帰宅。

1時、就寝。