7時半、起床。
チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。
9時半に家を出る。今日は2限(10時40分から)の授業がある。
電車の中でスマホを家に忘れてきたことに気づく。たまにそういうことがある。研究室にはパソコンがあるからメールはそこでできる。スマホがなくて困ることはLINEができなことである。仕事関係の連絡はメールで来るが、プライべーとな連絡はLINEで来る。インスタグラムもスマホで見るが、馴染みの店のインスタ情報を見る程度あるから(個人のインスタはほとんどフォローしていない)支障はない。スマホは買物には使わないので困らない(スイカがあればよい)。スマホを外で紛失したら大いに慌てるけれども、家に忘れ来たということであれば、慌てることはとくにない。
ただし、いまは、期間限定で困ることがある。デジカメを修理に出しているので、その間はスマホで写真を撮っている。私のブログは「写真+文章」というスタイルなので、写真を撮れないとその日のブログの骨格が定まらない。ブログを始めた当初(もう20年も前のことである)は、文章のみのブログだったが、現在のgooブログに移行してからは、一日を写真でスケッチし、それに文章を付けるというスタイルになった。昔のブログを読み返すと、あれはあれでよかったと思うが、昔のスタイルに戻ることは難しいだろうと思う。私のように一日を時系列的に記述するブログでは写真は一日を再構成するために有効である。また、ブログを離れても、カメラを持つことで世界を「見る」という意識が高まるのである。カメラを持っていなければ見なかった、さほど気をとめなかったであろう事物に目が向くようになるのである。カメラはたんに見たことの記録ではなく、見ることの拡張なのである。
電車はJR京浜東北線も地下鉄東西線も、遅延というほどではないが、運転間隔の調整を各駅で行って、大学に着いたのは授業の5分前であった。
2限は演習「現代人と孤独」。報告は3件。特定の作品を取り上げて、登場人物の孤独について考察するシリーズ。
『魔女の宅急便』の中の孤独についてー自立した若者の孤独ー
少年スポーツ漫画における孤独ー孤独への招待、孤独からの脱却ー
『ソロ活女子のススメ』五月女の“一人”とはーハンナ・アレンとの“一人”観からー
昼食は研究室でコンビニおにぎり2個(鮭と昆布)。木曜日の定食なり。
3限は大学院の演習。私の「社会学的評伝における時間の諸相ー清水幾太郎研究を事例としてー」をテキストにしたディスカッション(おしゃべり)。
受講生には私の書棚にある本は差し上げる(ごく一部を除いて)といってある。今日もIさんがパットナム『孤独のボウリングー米国コミュニティの崩壊と再生ー』(柏書房)を持って行った。なかなかの目利きである。Nさんは「今度、キャリーケースを持ってきます」と言った。「爆買い」か(笑)。タダだけど。
4限は修論の指導(オンライン)。
すべての授業を終えて(5時を回っていた)、まだ書いていなかった昨日のブログを書いてアップする。ブログの常連の読者は毎週木曜日のブログの更新は夕方になるというパターンに気づかれていることだろう。
6時に大学を出て、7時に帰宅。ここから写真が復活。
夕食は豚しゃぶ。妻はロース肉(右)、私はバラ肉(左)。
食事をしながら『プレバト』を追っかけ再生で観る。ネットでは「浜ちゃんの体調不良」が話題になっているが、そう言われてみると、表情がお疲れ気味のように見えなくもない。
今日、妻は阿佐ヶ谷の「蒲重」に親戚のお歳暮用に薩摩揚げを買いに行った(その場で発送も依頼)のだが、ランチを「tonttu」というパンと焼き菓子の店で食べたそうで、そこでお土産に買ったクッキー。
ハリネズミのクッキーを食べる。
「もしかして、私よりかわいいのでは?」
大量のレビューシートのチェック。『村上TADIO』(録音)を聴きながら。こういう作業のときは音楽中心のものがいい。
作業を終えて、風呂に入る。ふぅ。
明日のゼミの発表予定者のレジュメがムードルにアップされているのを待ちながら、今日の日記を付ける。なかなかアップされないので、寝ることにする。
1時半、就寝。