8時、起床。
チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。
昨日のブログを書いてアップする。
神棚の掃除をして、新旧のお札を入れ替え、注連縄を新しいものに付け替える。
1時過ぎに家を出る。
昼食は「松家カレー」で食べる。
鳥もも塩焼きカレー。このところこれが私のここでの定番。
ラッキョウと福神漬は好きなだけ。
大学へ。金曜日はゼミの日。
本日のゼミは3年生だけ。ゼミ論提出を来週に控えた4年生は自宅でゼミ論を書いている(はずである)。
4人が発表。
プロポーズにおける規範
地域のなかで「横丁」はどのように機能しているのかー柏の森かけだし横丁を題材に考えるー
手紙について
現代人とソロ活
来週は4年生のゼミ論提出(および書式のチェック)と打ち上げ。打ち上げは3年生にお願いする。
夕食を「ごんべえ」で食べていく。
釜揚げうどん(+かやくごはん)。
「カフェゴトー」に寄っていく。チョコレートタルトと紅茶。
チョコレートタルトは作りたてで、チョコレートが柔らかくほのかに暖かい。ラッキー。作り立てを食べられるのは何回かに一回しかない。
キンドルで小沼丹『椋鳥日記』を読む。「椋鳥」は「むくどり」と読む。最近は都会でもよく見かけるが、昔はそうでもなかった。『椋鳥日記』が出たのは1974年。著者が半年間ロンドンで生活した日々を書いたものである。私が本書を最初に読んだのはその翌年、大学3年生のときではなかったかと思う。その年の夏休みにヨーロッパを一カ月ほど旅行して、ロンドンでも何日かを過ごした。なので『椋鳥日記』のロンドンの街の描写は実感としてよくわかった。公園でもたくさんの椋鳥を見た。小沼丹は早稲田の文学部の英文学の先生で、スロープを歩いている姿をときどきお見かけした。仕立てのいい背広を着て、ステッキを持ち、いつも帽子(ハット)をかぶっておられた。
『椋鳥日記』を読んだのはロンドンのことが書かれていたからだけではない。とにかくその文章に魅了されたからである。たとえば「クラブ・アップルの花」の中の一節を引こう。
或る日、横町の横町を歩いていたら白い木蓮に似た花が咲いていて、その下の歩道のベンチで老人が一人眼鏡を掛けて新聞を読んでいた。これがマグノリアと云う奴かもしれない、と思ったが自信は無い。失礼だが、この花の名前は何と云うのか? と訪ねたら老人は眼鏡を外すと顔を挙げて黄色い声で、
ーマグノリア。
と云った。それから、眼鏡を持った手で少し先方に見える多少赤味がかった白い花を指して、
ーあれはクラブ・アップルだ。
と教えて呉れた。アップルと云うから林檎の一種らしい。序(ついで)だからその辺の木の名前を二、三訪ねたら、爺さんはよく知っていて教えて呉れたが、その后(あと)で、
ーお前は植物学者か?
と云って片目を瞑ったから、これには閉口した。云い替えると、お前さんは植物のことはちっとも御存知無いね、と云うことだろと思う。
ーいや、動物学者だ・・・。
と答えれば良かったと思ったのは、爺さんに礼を云って歩き出してからだから、何にもならない。しかし、マグノリアの下のベンチで新聞を読む老人は、一枚の画となって頭のなかに残っていて、想い出すと、ひっそりとした往来に落ちていた柔らかな陽射しの色も見えるようである。
淡々とした力みのない文章である。こういう文章は書けそうで書けないものである。対象との距離感が絶妙なのだ。達人の文章である。小沼丹は寡作の人で、その全集は5巻で足りている。
「カフェゴトー」を出たのは閉店時間(9時)の少し前。
10時、帰宅。『いちばんきれいな花』(録画)を観るには少し遅い。明日にしよう。
レビューシートのチェックをしてから風呂に入る。風呂場ではチャイが待機していた。
「ちょうどいい湯加減ですよ」
風呂から出て、今日の日記を付ける。
1時過ぎに就寝。