8時半、起床。
チーズトースト、目玉焼き、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。
チーズトーストのチーズをスライスタイプからシュレッドタイプに替えてみた。トロリ感が増した。
チャイをベランダに出すときは傍で見ていないとならない。
昨日のブログを書いてアップしてから、一階(和室2、洋室1)の窓の掃除。最初に網戸を取り外して、玄関先で水洗いする。外に出さなくてもやれないことはないのだが、「年末の大掃除」感を演出しているのである。
網戸を乾かしている間に窓ガラスを拭く。
部屋の中からチャイもシンクロする。
門松もセッティング。
窓掃除を終えて(今日のミッションは終了)、昼食を食べに出る。
「喜楽亭」に行く。
注文するものは決まっているのだが、一応、メニューは見る。
チキンカツ定食。
いつものようにご主人とおしゃべりしながら食べる。店には電話があるが、いまや絶滅危惧種のダイヤル式である。「何かの問い合わせの電話をするときに困るのは、問い合わせの内容によって何番を押してくれと応答されるときです。プッシュホンではないとダメなんです。1を押せといわれて、ダイヤルの1を回してもダメなんです(笑)」。そういうときは駅前の公衆電話を使うのだという。店の隣が駅なので「離れの電話」のような感覚なのだろう。
「よいお年を」の挨拶をして店を出る。
どこかで珈琲を飲んでかえろうかと思ったが、「よいお年を」の挨拶をしてしまった店に行くのは何だか変なので、帰宅して珈琲を入れて、池波正太郎『散歩のとき何か食べたくなって』を読むことにした。1977年に出た本で、折にふれて何度読み返したかわからない。東海林さだお『あれも食いたいこれも食いたい』がB級グルメ本だとすれば(それも特定の店の話ではなく食べ物の話)、こちららA級グルメ本である(特定の店の話)。ただし、庶民には手の届かない超A級グルメではなく、街角にあるいい店(池波が気に入った店)の話である。
「外神田・花ぶさ」の章を読む。父が浅草の生まれで(菩提寺は下谷)、勤務先も千代田区役所だったので、神田の周辺は何となく土地勘がある。池波正太郎は父と同じ大正12年の生まれで、やはり浅草の生まれだったが、父が池波の本の読者であったかどうかはわからない。
私は、幼少の頃から第二次大戦の戦災で家を失うまで、浅草の永住町に居住していた。ここは浅草も下谷の境に近く、上野と浅草の盛り場へは、それぞれ十五分で行けるという絶好の土地だ。
小学校は、下谷の西町にあったので、上野公園を私たちは、自分の庭のように思っていたのである。
それでいて、上野から紙一重のところになる本郷や神田へ足を伸ばすことは、私たちにとって、
「一つの旅行・・・・・・」
だといってもよかった。そこには私たちの町にはない風景と人々と、町中の匂いがあった。
〔花ぶさ〕へ、はじめて入ったのは、やはり、このあたりを散歩していて、
(こんなところに、こんな店があったのか・・・・・・)
と、折しも夏のことで、しきりに冷たいビールがのみたかったのだとおもう。迷わずに入った。
以来、もう十四、五年も、この店で酒飯しているわけだが、はじめて入ったときから現在まで、この店のおかみさんをはじめ店の人たちの扱いは全く変らぬ。
つまり、通りがかりに入った、はじめての客への親切が、いまも変らぬということで、たとえば、この店で出している〔花ぶさ膳〕というのは・・・・・・。
海老のコノワタ漬・芝海老の揚げしんじょ・鰆の黄金焼・わかさぎの昆布巻などが、レモンや青唐や柚子などをあしらって箱膳におさまり、これに、マグロとカンパチを盛り合せた刺身を別の皿につけて出す。
さらに、卵の栄養椀という吸物と、熱々の穴子の蒸しずしが出る。
そして、酒が一本に、白玉ぜんざいというデザートまでついて、これが金三千円なのである。この〔花ぶさ膳〕は三年前からはじめたのだが、依然、値段を上げないのだ。
ここのおかみさんは、
「何とか、その日その日がやっていければいいのですから・・・・・・ええ、それで、お客様にたくさん来ていただいて、にぎやかにやって行きたいんですの」
というが、私は、これで、ほんとうに算盤が合うのだろうか、と、つくづくそう思う。
この文章が書かれたのは1970年代の半ばである。それから50年近い歳月が経っている。ネットで「花ぶさ」を検索したら、お店は健在で(人気店のようである)、「花ぶさ膳」は4620円になっていた。
お店のホームページにはこういう一文が載っている。
「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛け人・藤枝梅安」「真田太平記」などの名作を残した、戦後を代表する時代小説・歴史小説家である故池波正太郎氏は、創業当時からのお客様でした。
今では名物料理となった「千代田膳」の料理の構成とその名前を命名したのも池波氏。ほかにも「生芝海老揚真丈」など、氏が自ら考案しお気に入りだったメニューも多くあります。
店舗では暖簾、書画等、当店のために残された池波氏の作品もご覧頂けます。
『散歩のとき何か食べたくなって』を読んでこの店を訪れる客は少なくないでろう。その期待を裏切らいという覚悟がないとこういつ一文は書けないものである。
今日は雲の多い一日。
頼まれている原稿に取り掛かる。
夕食はミートドリア、スープ、サラダ。
食事をしながら『時をかけるな恋人たち』の最終の二話(録画)を観る。タイムトラベルものは辻褄合わせが大変である。
原稿の続き。明日には書き上げて送信したいと思うが、できるかな。
「なんとかなるものです」
風呂から出て、今日の日記を付ける。
1時半、就寝。