フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

12月19日(火) 曇り

2006-12-20 01:16:03 | Weblog
  終日、会議。午前10時半から来年度開講の「現代人間論系総合講座1」の担当者4人の打合せ。前期の金曜日の授業で全14回。コーディネーターである私が5回、あとの3人(田島先生、大藪先生、安藤先生)が各3回。ところで同じ金曜日でも後期は11回しかない。後期の方が前期よりも時間が経つのが早い気がするが、たんなる気のせいではなくて、実際、後期の方が短いのだ。
  続いて午後11時半から社会学専修の教室会議(たかはしの二重弁当を食べながら)。そして午後2時から教授会。この教授会が今日はべらぼうに長かった。終わったとき、午後9時になろうとしていた。延々7時間である。当然、途中で何度か会議室を抜け出して息抜きをする。ずっと座ったままではエコノミークラス症候群に陥る恐れがあるから。自分の身は自分で守らなければならない。それにしても、あの人とあの人とあの人、ホント、よくしゃべるよな。もしも彼らがいなかったら(仮定法過去)、わが家で夕食が食べられたのになあ、と思いつつ、「ごんべえ」でかつ丼を食べる。
  さあ、明日から鴨川セミナーハウスで2泊3日の合宿である。いま頃、どこかの班は徹夜覚悟で報告の準備をしていることだろう。
  

12月18日(月) 晴れ

2006-12-19 03:02:28 | Weblog
  図書館で雑誌のバックナンバーを調べる必要があって、午後から大学へ。途中、丸善丸の内店に寄って、研究室用の一枚もののカレンダーと、ロディア・ボックス(3種類のロディア4冊とロディア製鉛筆2本が入っている)、それから川村湊『村上春樹をどう読むか』(作品社)を購入。
  早稲田に着いて、五郎八で腹ごしらえ(力うどん)をして、ひとまず研究室に行って荷物を置き、生協文学部店で買い物をしていたら、同僚の長谷先生がいたので声を掛ける。顔を会わせるのは一週間ぶりくらいであったが、長谷先生は私のフィールドノートの愛読者なので、「毎日会っているような気がします」とのこと。そして「フリップの件は大変でしたね」と先日のフィールドノートの話題に言及され、「自分だったらガックリ落ち込んでしまって、とてもブログで失敗談を書く気になれません」と妙な感心のされ方をしてしまった。長谷先生に言わせると私のブログはストレスフルな日々の生活の中での一服の「精神安定剤」なのだそうだ。なるほど。確かにブログの中の「私」は人格のブレが少ない。実際の私は、たぶん長谷先生に負けず劣らず、日々、気分の浮き沈みがあるのだが、ブログを書くことによってそれを制御しているのであろう。たとえば、ガックリ落ち込んだときに、「ガックリ落ち込んだ」と書くことで、ガックリ落ち込んだ気分は言語化=対象化され、そのガックリ落ち込んだ気分からいくらかの距離を置く(抜け出す)ことができるのである。よく「話せば楽になる」と言うが、書いても楽になるのである。ブログにはそういう効用もあるのだ。セルフ・セラピーとしてのブログ。長谷先生と立ち話をしながら、そんなことを考えた。頭のいい人と話をすると、こっちの頭の回転もよくなるような気がする。
  中央図書館ではちょっとした発見があったが、ここでそれを書くわけにはいかない(企業秘密ってやつです)。発見を祝って(というわけではないが)、本部の生協でセールの電子辞書(音声機能付き)を購入した。

      
                  メタセコイア落葉

  帰宅すると、有斐閣から岩田正美・小林良二・中谷陽明・稲葉昭英編『社会福祉研究法:現実世界に迫る14のレッスン』という本が届いていた。稲葉先生が手配して下さったのだ。社会福祉の入門書はたくさんあるが、この本は研究法に重点を置いて書かれているところがとてもユニークだ。
  夕食後、『のだめカンタービレ』を観る。今回はたっぷりピアノ曲が聴けた。この秀逸なTVドラマも来週で最終回。しかし、これだけ話題になったのだ、きっとスペシャルないし続編が作られるに違いない。…その一方で、心は早くも冬の新作ドラマに向けられている。現時点での視聴候補は以下の5本。

  月曜 (なし)
  火曜 今週、妻が浮気します(脚本:吉田智子、主演:ユースケ・サンタマリア)
  水曜 ハケンの品格(脚本:中園ミホ、主演:篠原涼子)
  木曜 拝啓、父上様(脚本:倉本聰、主演:二宮和也)
  金曜 (なし)
  土曜 演歌の女王(脚本:遊川和彦、主演:天海祐希)
  日曜 華麗なる一族(脚本:橋本裕二、主演:木村拓哉)
  

12月17日(日) 曇りのち晴れ

2006-12-18 03:18:39 | Weblog
  山田昌弘『新平等社会』(文藝春秋)を読む。本書のキーワードの一つは「底抜け」(収入が低く、生活に困難をきたす人が増えること)。不謹慎ながら、60年代の人気TV番組「底抜け脱線ゲーム」をどうしても連想してしまう。
  昼食の後、昨日録画しておいた『たったひとつの恋』を観る。最終回であったが、ずいぶんと杜撰な終わり方であった。視聴率が伸びず、回数を減らされ、北川悦吏子もやる気を失ったのであろう。そうでないとしたら、北川はもう若者を主人公にしたTVドラマの脚本からは足を洗った方がいい。感覚が一昔前のものなのだ。これではどんなに旬のタレントを起用してもレトロなTVドラマになってしまう。
  夕食の後、「NHK音楽祭2006ハイライト」(前編)を観た。3時間15分の番組だったが、飽きることがなかった。ダニエル・ハーディング指揮のモーツァルトのピアノ協奏曲20番(ピアノはラルス・フォークト)が一番印象的だった。そもそもが暗い緊張感の漂う曲ではあるが、まるでベートーベンが編曲を担当したような、力強いモーツァルトだった。12時15分に番組が終了し、それから皮ジャンを着て、娘を駅まで迎えに行った。

12月16日(土) 曇り

2006-12-17 01:20:03 | Weblog
  午前、研究室のドアを開けると、中央のテーブルの上に、昨日提出された卒論が運ばれてきていた。とりあえず冊数を数える。20冊。無事、全員提出したわけだ。タイトルは以下の通り。

  ペルソナが構築する自己
  脱・性別役割分業-男女役割共業へ-
  女性をめぐる規範-他者の選択を尊重し合う社会へ-
  ケータイの社会学的考察-若者の友人関係と「つながり」の行方-
  里親子関係にみる「家族」の成立過程
  スラムダンクの社会学
  クラブ文化に見る若者の今-リスクの中のコミュニケーション-
  「おひとりさま」に憧れる女性たち-ひとりで行動する女性に向けられる社会のまなざし-
  サーファーの社会学的研究
  ブログとSNSにおけるコミュニケーション-現代における「自分探し」と「つながり」の証明-
  若者とロックミュージック-ロックの実践がアイデンティティ形成に与える影響-
  上京する大学生-「東京」へのまなざしの変化について-
  シングル女性の住宅問題-非血縁型住宅にみる今後の住まい-
  東京ディズニーリゾート内における役割と演技
  恋愛ステレオタイプの変遷
  現代日本人の結婚後の人生
  社会的イメージとしての<体育会系>言説の分析
  男のダイエット-ジェンダーから美意識まで-
  日本の家族主義と介護の社会化
  女性総合職の社会学-彼女たちが働き続けるために必要なこと-

          
                  お楽しみはこれからだ

  2限(社会学基礎講義B)、3限(社会学研究10)、ともに実質的に最終回。そのあと早稲田社会学会の理事会に出て、『社会学年誌』の編集について報告をする。社会学情報処理室で来週の合宿へ向けて作業をしている社会学演習ⅡBの学生たちの様子を見にいく。夏の合宿前の状況と同じく、切羽詰まっている雰囲気が漂っている。諸君の高度成長的頑張りを期待する。
  あゆみブックスで神野直彦・宮本太郎編『脱「格差社会」への戦略』(岩波書店)を購入し、シャノアールで読む。どんな戦略かといえば、「本書が脱『格差社会』を構想するということは、市場による所得配分は政府によって是正される必要があるという価値観が前提になる」とあるから、要するに福祉国家論である。
  午後6時から早稲田通りの東寿司で小さな会合。今シーズン初めての蟹を食べる。会合の後、文学部に戻り、研究室で雑用をすませ、それから帰途につく。あゆみブックスで、伊藤誠『資本論を読む』(講談社学術文庫)と天野正子『老いへのまなざし』(平凡社ライブラリー)を購入。

12月15日(金) 晴れ

2006-12-16 09:05:41 | Weblog
  明け方近くまで降っていた雨が上がって、汚れが洗い落とされたような空の青さがまぶしい。午前、今日の「現代人の精神構造」の講義メモ(夕べ作成した)にさらに手を入れる。かなりゴチャゴチャしてきて、自分でもすでに判読が困難な箇所がある。6限まで記憶が持続するだろうか心配だ。

      

  昼から大学へ。今日は卒論提出の最終日だ。午後5時で受け付け所(第一会議室)のドアが閉じられる。1分でも遅れたら1年を棒に振ることになる。そういう場面には遭遇したくないから、その時間にその場所には近づかないことである。

          

  昼休みに演習ⅡBのグループ研究の相談。3限は演習ⅡB。4限は大学院の演習。そして5限は「現代人の精神構造」の講義メモの見直し。やはり判読不能の箇所が増えている。自分が書いた文字だが時間が経過すると他人が書いた文字のようになる。しかも全体として情報過多である。1回の授業で全部消化することは無理であろう。時間があれば簡略版に作り直したいところだが、もうその時間はない。簡略版を頭の中にイメージして、6限の授業に臨む。あとはその場のなりゆきである。…用意したことの半分くらいしか話さなかったが、一応、全体像は時間内に伝えることができたかと思う。次回(年明け)は教場試験である。