フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月25日(火) 晴れ

2011-01-26 02:02:50 | Weblog

  8時半、起床。目玉焼きとご飯の朝食。ブログを更新し、10時半に家を出る。少し歩き出してからマフラーをしてくるのを忘れたことに気づく。引き返そうかと思ったが、時間がないので(11時半からの会議にぎりぎり間に合うかどうか)今日はマフラーなしで行くことにする。工学院キャンパスに木を植える作業は今日も続いている。その写真を撮っていたら、「先生!」と声をかけられる。歯科衛生士の武蔵村山さんである。12月末で退職した職場の鍵を返しに今日は来たのだという。もしマフラーを家に取りに帰っていたらここで彼女と再会することはなかったろう。当然のことながら、お腹はまた一段と大きくなっている。最近はお汁粉を家で作って毎日のように食べているそうだ。妊婦さんは体重が増えないようにしないといけないと聞いているが、大丈夫なのと尋ねたら、そうなんですよ、お医者さんからも叱られてしまいましたと言って、武蔵村山さんは笑った。

  11時半から基本構想委員会。「たかはし」のお弁当を食べながら1時過ぎまでやる。次の会議まで1時間ほどあるので、「フェニックス」へ行って珈琲を飲む。会議から会議へ少しの空き時間もないままに渡り歩くことが多いので、こういうひと時があるとホッとする。忙中閑有りというやつである。持参した中村光夫編『私小説名作選』(集英社文庫)の中の尾崎一雄「虫のいろいろ」を読む。尾崎の代表作として有名だが実は未読で、今回初めて読んだ。タイトルは「ファーブル昆虫記」みたいだが、蜘蛛や蚤や蠅といった身近な虫たちの観察から人間の生死ということに考えが及んでいく、たとえていえば志賀直哉の「城崎にて」の庶民版といった趣がある。

  2時半から主任会・教授会打合せ。その後、夕方まで細かい打合せをいくつかこなして、夕食を「maruharu」にとりにいく。野菜サンドと珈琲を注文し、生協で購入した小沼丹の短編集『銀色の鈴』(講談社文芸文庫)の中の表題作を読む。主人公の大寺さん(小沼の分身)が最初の妻を亡くしてから再婚するまでを描いた味わい深い作品。いい文章というのは、同語反復だが、本当にいい。

  10時半、帰宅。サッカーのアジアカップ準決勝、日本対韓国戦を観始めたら、目が離せない展開になり、最後まで観る。1点リードの延長後半終了直前に失点してPK戦になるという悪い流れを断ち切って、よくぞ勝った。敗れた韓国の選手が日本の選手と互いの健闘をたたえあう姿はとてもよかった。


1月24日(月) 曇り、夜雨降る

2011-01-25 09:51:01 | Weblog

  9時、起床。カレーライスの朝食。ブログの更新をして、メールを何本か書いて、お昼に家を出る。昨日の写真の大きな穴に植える木が横たわっている。

  昼食は蒲田駅で購入したカツサンドとミルクホールで購入したあんぱんと珈琲。1時半から教務的会合。引き続いて4時からカリキュラム委員会の打合せ。6時過ぎまでかかる。今日は日直なので、夕食をとりに外出しようと考えて、今日は火曜日(日直の日)ではなく、月曜日であることに気づく。曜日の感覚がおかしくなっている。妻に電話して、いまから帰ると伝える。ついでに今夜の献立を聞く。マーボー豆腐とブロッコリーと卵の炒めものとのこと。そばで私たちの電話のやりとりを聞いていた肥田先生が、「大久保先生は事前に夕食の献立を聞くタイプですか」とニヤリとして言った。それをせずに、玄関のドアを開けるまで、夕食の献立は何だろうとわくわくする楽しみもあるということをおっしゃっているようだ。なるほどね。私の場合、わざわざ夕食の献立を聞くために電話をするわけではなく、いまから帰りますという電話をするついでに聞くわけだが、それは一種の挨拶、君が作ってくれる夕食の献立に関心をもっていますというアピールなのである。
  夕食後、録画しておいた(はずの)「冬のサクラ」の2回目を観ようとリビングのソファーに腰を下ろしたが、なんと録画し忘れていたことに気づく。ガーン、私としたことが、何たる失策。
  方針を変更して(娯楽から勉強へ)、片桐先生からちょうだいしたばかりの『自己の発見 社会学史のフロンティア』(世界思想社)を読むことにした。社会学が「自己」というものをどう扱ってきたかという視点から社会学の歴史を考察した意欲作である。来年度のゼミで読む文献の一冊に加えようと思う。


1月23日(日) 晴れのち曇り

2011-01-24 11:35:15 | Weblog

  8時半、起床。今日はやらねばならない仕事がたくさんある。朝食抜きで早速机に向かう。午前中は『社会学年誌』の自分の原稿のゲラの校正と「編集後記」の執筆。
  午後、出版社に原稿を送ってから、外の空気を吸いに出る。舗道の脇に木を植えようとしているのであろう、大きな穴がいくつも開いている。怪獣の足跡みたいでもあり、UFOが離陸した跡みたいでもある。

   東急プラザの「シビタス」でホットケーキと珈琲の昼食。腹ペコだったので、ソーセージ付きのセットを注文。持参した『新・日本文壇史』を読む。小林多喜二の最初の妻だった田口タキは102歳まで生きて、去年の6月に亡くなったことを知って、びっくりする。また、二番目の妻だった伊藤ふじ子は、1981年に70歳で亡くなったが、晩年、蒲田の東急プラザの6階にあったカルチャースクール(東急産経学園)の俳句教室に通っていたと知り、当時、私と彼女は6階の本屋あたりですれ違っていたかもしれないと考えて、不思議な感覚を覚えた。

残されし鬼つ子一人墓洗う

  帰宅して、再び机に向かう。ゼミ論集のための書式(マニュアル)を作って、学生に送信。風呂、夕食の後、明日の会議用の資料の作成で深夜に及ぶ。きりのいいところまでと思ってやっていたら午前4時になってしまった。


1月22日(土) 晴れ

2011-01-23 00:34:26 | Weblog

  8時半、起床。ブログの更新してから、鶏鍋(夕食の残り)でご飯の朝食。今日は義父の七回忌。10時に家を出て一家で横浜三ツ沢の観音寺へ。法要をすませてから新しい卒塔婆を持って三沢墓地へ。 

  昼食は予約しておいた「美善」という蕎麦屋で懐石料理を食べる。前菜からボリュームがあり、途中でお腹いっぱいになる。


蟹とイクラと大根おろし、数の子、あんきも、黒豆、出汁巻き卵、蒲鉾、ブロッコリー

  食事を終え、みんなでタクシーで横浜駅まで行き、そこで解散。私はそのまま大学へ。実は、昨日、ゼミをやった教室にケータイを忘れてきてしまい、警備の方に電話して回収しておいてもらった。それを受け取りに行くためである。ついでに教務室に顔を出し、学部要項のゲラ(再校)をチェックする。
  帰りがけに「maruharu」へ寄り、来週のゼミの打ち上げ用にサンドウィッチとケーキ(ガトーショコラ)を予約する。3年生と4年生で36名。2年生(来年度のゼミ生)にも声をかけたら10名が参加できるとのことなので、私を入れて全部で47名である。忠臣蔵がやれる。もちろん大石内蔵助は私だ。おのおのがた、打ち上げでござる。お腹は空いていなかったが、「maruharu」に来て、予約の注文だけして帰るわけにはいかないので、珈琲を飲みながら、『社会学年誌』のゲラの校正をする。

  あゆみブックスで、川西政明『新・日本文壇史』第4巻「プロレタリア文学の人々」を購入し、帰りの電車の中で読む。「小林多喜二の愛と死」の章が面白くて、蒲田について、「シャノアール」で続きを読む。 小林多喜二は1903年(明治36年)の生まれ。清水幾太郎より4つ年上だ。ほぼ同世代の人間といってよい。多喜二は30歳で死んだから、81歳まで生きた幾太郎と同世代だということをうっかりしやすいが、多喜二は立派に『清水幾太郎と彼らの時代』の登場人物のひとりなのである。  


さらにココアも追加注文して読みふける


1月21日(金) 晴れ

2011-01-22 00:58:40 | Weblog

  8時、起床。昨日、夜食(ライ麦パン)を食べてしまったので、今朝は食事を抜く。ブログの更新をすませて、9時半に家を出る。10時半から教務的会合。コンビニで購入したおにぎり(鮭と昆布))を食べながら。次の会議までの時間が15分しかないので、ミルクホールで菓子パンと珈琲を買って来て食べる。あれこれの打合せが断続的に続く。
  4時半から研究室でS君の卒研論文の口述試験。一年間、きちんと取り組んできた。お疲れ様でした。
  「maruharu」でサンドウィットとスープで一服してから、6・7限のゼミに臨む。先週に引き続いて今週も3・4年生合同ゼミ。「善い社会」をテーマにディスカッション。来年度は合同ゼミの機会を増やそうと思う。


本日のスイーツはワッフル