フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月20日(金) 晴れ

2011-01-21 09:22:18 | Weblog

  6時、起床。ウィンナーのキャベツ炒め、ライ麦パン、紅茶の朝食。7時ちょっと過ぎに家を出る。今日は午前中に所沢キャンパスで会合あるのだ。私は1限(9時から)の授業はもっていないので、普段、めったにラッシュアワーの電車に乗ることがない。なので、たまにそういうことがあると、緊張する。しかし、電車は混んではいるが、本当のラッシュアワーには少し早い時間帯なのだろう、恐れていたほどではなかった。蒲田→品川→池袋→小手指(こてさし)。集合時間の9時より20分ほど前に小手指に着いた。増山先生、岡部先生、事務所の方とスクールバスに乗り込み、9時半に所沢キャンパスに到着。所沢キャンパスに来ることは年に一度あるかないかである。同じ大学のキャンパスとは思えない風景が広がっている。今日は日射しが暖かい。大寒だが小春のようである。

  会合は1時間ほどで終了。来るときは西武池袋線の急行に乗ったのだが、帰りは所沢から西武新宿線の特急に乗り換えて高田馬場まで。350円(特急券)で所用時間が半分になった。

  昼食は「すずきん」の鰻重にしようと思ったが、開店前だったので、「たかはし」の生姜焼き定食にする。岡部先生は「たかはし」に来るのは初めてとのことで(出前のお弁当はよく食べている)、煮魚(銀むつ)定食を注文されて「おいしいですね」と言っておられた。大学周辺の定食家では「たかはし」が一番だと思う。

  4限は大学院の演習。窓から31号館の解体作業用の足場で働く人の姿が見える。西日を浴びて、壁に人影がはっきりと映り、まるで二人一組で息の合った作業をしているように見える。この建物もいよいよ解体される。

  6限の講義「ライフストーリーの社会学」はこれまでの総括と補足。試験向けの話もする。授業の最後に授業評価アンケート(マークシート方式)を実施。コースナビからも任意で出来るシステムになってはいるのだが、それだと回答率は驚くほど小さいので、今年度は教室で実施することにした。もちろん無記名。「何も書いても成績には影響しませんから」とアナウンスする。
  昼間は暖かかったが、夕方から急速に冷えてきて、大寒らしくなった。夕食は「五郎八」でカキ丼(ご飯は少なめで)とセイロのセット。

  あゆみブックスで、サルトル『嘔吐』の新訳(鈴木道彦訳・人文書院)を購入。電車の中で読む。

  「一番いいのは、その日その日の出来事を書くことだろう。はっきり見極めるために日記をつけること。たとえ何でもないようでも、微妙なニュアンスや小さな事実を落とさないこと、とりわけそれを分類すること。このテーブル、通り、人びと、刻みタバコ入れが、どんなふうに見えるのかを言わなければならない。なぜなら変化したのはそれだからだ。この変化の範囲と性質を、正確に決定する必要がある。」(7頁)

  「変化したのはそれだからだ。」の「それ」には傍点が打ってある。人間の存在(実存)そのものを指しているわけだが、「それ」を直接に記述することはできない。記述できるのは「それ」が認識したものだけである。


1月19日(水) 晴れ

2011-01-20 01:21:58 | Weblog

  8時、起床。ライ麦パンと牛乳の朝食。パンは、昨日、大学からの帰り、オアゾビルの地下のパン屋で購入したものである。閉店間際(午後10時頃)になると50%引きになるのだ。ベーグルのようにもちもちした感触で、噛むと味わいがある。軽くトーストにしてバターを塗るだけで十分美味しい。

  昼から大学へ。12時半から基本構想委員会の打合せ。「たかはし」のお弁当を食べながら。

  2時から教授会。6時過ぎまでかかる。教務室に戻る途中、現代人間論系室に立ち寄って、冷蔵庫にあった桃のゼリーで一服。賞味期限を2週間ほど過ぎていたが、とくに問題はない。7時から教務戦略会議。お弁当を食べながら、9時半までやる。

  10時半、帰宅。お汁粉を食べてから、風呂を浴び、授業の準備とブログの更新。明日は6時起きなので、もう寝よう。


1月18日(火) 晴れ

2011-01-19 09:05:36 | Weblog

  8時半、起床。朝食はとらず、雑用を片付ける。今日は4限の授業(2時45分から)に間に合うように大学へ出ればいいのだが、少し早めに家を出て、昼食を池上の「薫風」でとる。9種盛り合わせを注文。ブランチにはちょうどいい。平日とはいえランチタイムは混んでいる。ただし、お客の中心はサラリーマンではなく、地元の奥様たち。隣のテーブルの女性4人組は間近にせまった幼稚園の卒園式の話題で盛り上がっていた。デザートは「甘味あらい」のあんみつ。こちらはテーブル席に二組の客。カウンター席は私ひとり。年明けから続いていた混雑も一段落して、ゆったりとした時間が流れている。 ご主人と次なる季節限定メニューの話をした。メインは苺とのこと。

  4限の演習「ケーススタディの方法」は最後のグループ報告でブログ班の発表。私自身がブログをやっているので、「そうそう」とうなづいたり、「そうかな」と首をかしげたりしながら聴いた。よく言われるブログの(書き手にとっての)機能は、「自己表現」と「他者とのつながり」の2つだが、「自己表現」という場合、表現される(しようとしている)自己が「ありのままの自己」なのか「仮想的な自己」なのかで、意味は違ってくるだろう。また、「他者とのつながり」という場合、そこで想定されている他者が「見知った他者」なのか「見知らぬ他者」なのかで、これまた意味が違ってくるだろう。どのような自己をどのような他者(読み手)に向けて発信しているのか、表現主義的個人主義の時代のメディアであるブログを分析する場合のポイントはここにある。
  9時半まで教務室で業務。夕食は閉店時間である7時近くに「maruharu」で。野菜サンドとホットドックと珈琲。私が今日の最後の客。吉田篤弘『それからはスープのことばかり考えて暮らした』(中公文庫)という小説の中に出てくる「トワロ」というサンドウィッチの店は「maruharu」に似ているという話をマダムにする。


1月17日(月) 晴れ

2011-01-18 10:37:40 | Weblog

  9時、起床。今日は午後から人間ドックを受診するので、朝食は抜き。本当は9時までなら食べてもよいことになっているのだが、起きぬけはお腹がへっていない。無理に食べることもない。午前中はあれこれの雑用。午後1時に自宅を出る。
  リーガロイヤルホテル内のクリニックで。いつも同じところで受診しているが、今日は個々の検査の間の待ち時間が長く、2時開始で終ったのが4時を回っていた。


クリニックのラウンジの窓から(大隈講堂が見える)

  ホテル内のレストランで食事をすませて、戸山キャンパスへ。教務室と事務所に顔を出し、打合せをいくつかすます。
  教員ロビーのメールボックスをのぞいたら、雀の写真と絵が表紙に載っている本が2冊。ドイツ文学の飯島先生からだ。メモが添えられていて、私のブログで私が雀を飼っていることを知ったこと、先生ご自身も雀を飼ったことがおありと書いてあった。同好のよしみというわけだ。帰りの電車の中で読む。妻に見せたら妻もさっそく読み始めた。


名前も私のところの小雀と同じ「チュン」だ。顔も似ている。

  TSUTAYAで借りてきた『告白』のDVDを妻と一緒に観る。話題になった作品で、キネマ旬報の年間ベスト10の上位にランキングされていたが、それほどのものとは思えなかった。人がたくさん死ぬ話が好きではないせいだろう。深夜、ビデオに録っておいた『冬のサクラ』の初回を観る。『冬のソナタ』にタイトルが似ているが、偶然ではないだろう。久々の今井美樹。無表情でいると年齢を感じさせるが、笑顔はあいかわらず素敵だ。口の大きな人は笑うと破顔一笑という感じになる。


1月16日(日) 晴れ

2011-01-17 10:35:50 | Weblog

  9時半、起床。曇天は一日だけで、また青空が戻った。でも、寒そうだ。
  午後、散歩に出る。天気はよいが、寒い。「テラス・ドルチェ」で遅い昼食(カルボナーラと珈琲)。客が出入りするたびに、外の冷たい空気が店内に入ってきて、足元が寒い。読み終えたばかりの菅野昭正『明日への回想』を再読する。「清水幾太郎と彼らの時代」と関連ありそうな部分にチェックを入れ、余白にメモを書いていく。これをやっておくかどうかで、記憶の度合いが違ってくる。楽しみのための読書と研究のための読書との区別は、われわれの場合(文系の大学教員の場合という意味だが)、判然としない。

  「テラス・ドルチェ」を出て、商店街を歩いていると、近日閉店の知らせを出している店があった。西田時計店だ。開店以来60年余りと書いてあるから、戦後間もない頃からやっていた店である。店内には年配のご夫婦と思しき方がいたが、おそらくご主人の父親の代から始めた店なのではなかろうか。開店当時は焼跡闇市の気配が濃厚に漂っていたに違いない。そうした雰囲気は、昭和30年代、私が小学生の低学年の頃までいくらか残っていたが、東京オリンピックの開催に合わせて、駅の周りが整備されて、一掃されてしまった。長い歳月を経てきた店が閉店するのは、古い樹木が切られるの似た、寂しさがある。

  栄松堂で以下の本を購入。

  池波正太郎『散歩のとき何か食べたくなって』(新潮文庫)
  ポール・オースター『トゥルー・ストーリー』(新潮文庫)
  八木沢里志『森崎書店の日々』(新潮文庫)

  『散歩のとき何か食べたくなって』は単行本でも文庫本でもすでに持っているが、だいぶ黄ばんできたのでまた購入する。私にとっては掛け値なしに「座右の書」の一冊である。こうして散歩して、食事やお茶をして、それを写真付きでブログに書いているのは、自分流の「散歩のとき何か食べたくなって」なのである。池波正太郎は人生の大先輩であるが、この本を書いたときの池波は52歳、私より年下だったのだと気づいて、ちょっとショックである。
  『トゥルー・ストーリー』は単行本で持っているが、気に入った本は文庫版でもそろえておく。文庫版のための「解説」を読むためだ。鞄に入れおいて、電車の中で再読するにもよい。
  『森崎書店の日々』は未読の本。神田の古本屋街が舞台らしい。映画化もされた作品とのことで、表紙にその主演女優(菊池亜希子という新人)と内藤剛志が並んで写っている。

  夕方になって、ますます寒くなった。「シャノアール」に入って、ホットココアを飲みながら、しばらく読書。


本当に寒い一日だった