フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月21日(月) 雨

2011-03-22 00:00:57 | Weblog

  午前10時半、自宅から更新。
  昨日は池上を散歩し、ラゾーナ川崎で買物をした。
  池上では「甘味あらい」であんみつと抹茶豆寒(期間限定)を食べた。12時頃に行ったのだが、客は私ひとりだった。お彼岸の週末というのは、例年であれば、店の外で並ぶ覚悟が必要なのだが、今年は、お墓参りの人がそもそも少ないそうだ。こういうときこそご先祖様に手を合わせるべきではないだろうか。「薫風」で昼食。こちらはランチタイムと重なって、しばらく店の外で椅子に座って待つことになった。本日のランチはサーモンのソテー。

  食べものの写真をアップするのは久しぶりだ。食事は日常生活のコアにあるものであるが、非常時においては非日常的なものが前面に出てくる。戦時中、個人の身の上相談欄が新聞の紙面から消えたのと似ている。「いまはそれどころではない」と。けれど、非日常的な状況の中で日常的なものがおざなりになっていいわけではない。社会的なことと個人的なこと、どちらも大切であって、一方が他方を丸呑みするような事態は慎重に回避しなくてはならないと思うのである。
  これから、雨の中、墓参りに出かける。

  23時55分、間もなく今日が終り、明日が今日になる。自宅から更新。忘れられない三月のために、谷川俊太郎の「三月のうた」という詩を書き留めておく。

  三月のうた 

  私は花を捨てて行く
  ものみな芽吹く三月に
  私は道を捨てて行く
  子等のかけだす三月に
  私は愛だけを抱いて行く
  よろこびとおそれとおまえ
  おまえの笑う三月に


3月20日(日) 晴れ

2011-03-20 10:10:15 | Weblog

  午前0を回って、明日が今日になったばかり。自宅から更新。
  卒業式が中止になり、本来であれば、卒業生ひとりひとりの名前を呼びながら、ひとりひとりの顔を見ながら、手渡すはずであった学位記は、学生証と引き換えに事務的に配布されることになった。しかし、それだけではいかにも味気ない。学担主任の和田先生と相談して、先生方から卒業生への「一言メッセージ」を頂戴して、それを冊子にして学位記と一緒に渡すというのはどうだろう、ということになった。浦野学術院長に電話をしてOKをもらう。さっそく専任の先生全員に依頼のメールを出す。急なお願いで恐縮ですが、よろしくお願いします。

  「いまを生きる」というモードに入ると、すぐに思い浮かぶのが谷川俊太郎の「生きる」という詩だ。
  

  生きる

  生きているということ
  いま生きているということ
  それはのどがかわくということ
  木もれ陽がまぶしいということ
  ふっと或るメロディを思い出すということ
  くしゃみをすること
  あなたと手をつなぐこと

  生きているということ
  いま生きているということ
  それはミニスカート
  それはプラネタリウム
  それはヨハン・シュトラウス
  それはピカソ
  それはアルプス
  すべての美しいものに出会うということ
  そして
  かくされた悪を注意深くこばむこと

  生きているということ  
  いま生きているということ
  泣けるということ
  笑えるということ
  怒れるということ
  自由ということ

  生きているということ
  いま生きているということ
  いま遠くで犬が吠えるということ
  いま地球が廻っているということ
  いまどこかで産声があがるということ
  いまどこかで兵士が傷つくということ
  いまぶらんこがゆれているということ
  いまいまが過ぎてゆくこと

  生きているということ
  いま生きているということ
  鳥ははばたくということ
  海はとどろくということ
  かたつむりははうということ
  人は愛するということ
  あなたの手のぬくみ
  いのちということ

  午前10時になろうとしてる。自宅から更新。
  今日と明日の二日間は、休養と墓参りにあてる。

  最近、こころがけていること。
  冷静であること。
  イライラしたとしても、周囲の人にそれをぶつけないこと。
  ぶつけてしまったときは、「すまん」「ごめんなさい」「失礼しました」と謝ること。
  深呼吸をする、空を見上げる、コーヒーを飲みに出かける、誰かと無駄話をする、日誌を付ける、風呂に入る、眠る、鎮痛剤を飲む、たいていそれでイライラは解消する。
  感謝する気持ちをもつこと。そしてその気持ちを言葉にすること。
  笑いを忘れないこと。笑い、笑わすこと。
  日常的なことをおざなりにしないこと。たとえば、昼食の時間はしっかり確保すること。
  季節の変化を感じること。味わうこと。天候や、草花や、旬の食材や、街をゆく女性の装い。
  家族と話をすること。
  メールへの返信は忘れずに。
  寸暇を惜しんで本を読むこと。
  音楽のある生活。
  自分で判断できることは自分で判断して、てきぱき行動すること。
  言い換えれば、他者の判断が必要かどうかをしっかり見極めて、独断で行動しないこと。
  悲観しないこと。なんとかなるだろうと思うこと。ただし、人任せにしないこと。
  あなたの手のぬくみ。いのちということ。ありゃ?


3月19日(土) 晴れ

2011-03-19 17:53:28 | Weblog

  午前9時半、自宅から更新。
  授業開始が5月6日に延びたことに伴って、科目登録日程が変更になります。現在、作成中。本日、午前中に文学学術院HPにアップします。
  なお、すでに行われた0次登録は有効です。1次登録以降の日程変更ということです。

http://www.waseda.jp/bun/kamokutoroku/schedule.pdf

  午後6時になろうとしている。教務室から更新。
  これまで、ブログは一日の終わりか次の日の朝に更新していたが、最近は、一日の間に何度か更新するようになった。「一日を振り返る」というよりも「いまを生きる」という感覚。とはいってもTwitterとは違って、考えたこと、感じたことを瞬時に発信するわけではないので、そこにはやはり「振り返る」というモードが作用している。「振り返る」間隔が短縮化しているわけだ。どんなに間隔が短縮化しても「振り返る」=「冷静になる」ことは必要だと思う。


3月18日(金) 晴れ

2011-03-18 21:09:35 | Weblog

  午前2時を回ったところ。自宅の書斎から更新。
  寒い。大学帰りの電車の中も、乗客が少なく(午後10時頃)、暖房も切れていたので、寒かった。子どもの頃の冬を思い出す。家の中にいても寒かったあの冬を。
  論系の謝恩会のときに卒業生へのはなむけに朗読しようと考えていた詩がある。その機会は失われてしまったが、私のブログを読んでいる卒業生もいるであろうから、書き留めておきます。谷川俊太郎の「明日」という詩です。現代人間論系の学生だけでなく、3月25日の卒業式に出席するはずだったすべての卒業生に贈ります。

           明日

           ひとつの小さな約束があるといい
           明日に向かって
           ノートの片隅に書き留めた時と所
           そこで出会う古い友だちの新しい表情
           
           ひとつの小さな予言があるといい
           明日を信じて
           テレヴィの画面に現われる雲の渦巻き
           <雨のち晴>天気予報のつつましい口調
           
           ひとつの小さな願いがあるといい
           明日を想って
           夜の間に支度する心のときめき
           もう耳に聞く風のささやき川のせせらぎ

           ひとつの小さな夢があるといい
           明日のために
           くらやみから湧いてくる未知の力が
           私たちをまばゆい朝へと開いてくれる

           だが明日は明日のままでは
           いつまでもひとつの幻
           明日は今日になってこそ
           生きることができる
           
           ひとつのたしかな今日があるといい
           明日に向かって
           歩き慣れた細道が地平へと続き
           この今日のうちにすでに明日はひそんでいる

  午後9時、教務室から更新。
  今日も大きな決定がなされた。
  入学式は中止。
  授業の開始は5月6日に延期。
  春学期の終了は8月4日。


3月17日(木) 晴れ

2011-03-17 17:47:46 | Weblog

  午前8時を回ったところ。自宅の書斎から更新。
  カーテンを開けると青空が広がっている。
  鳥篭に掛けてある布カバーをとって、出入り口を開けてやると、小雀が飛び出してくる。
  そしてお気に入りの場所、本棚の『青い鳥』の上に止る。仕込んだわけではない。
  今日は10時から本部で全学的な会議が開かれる。朝食をとったら出かける。
  最近、朝食はパンではなく、ご飯になった。
  そのためもあってか、体重が増加傾向にある。ジムにもいかなくちゃ。

  午後5時半、教務室から更新。
  3月25日の卒業式が中止と決まった。
  大学全体の卒業式だけでなく学部別の卒業式(文化構想学部・文学部の場合は論系・コース別の学位記授与式)も中止である。新しい学部の最初の卒業生だけに残念だ。