フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月11日(金) 晴れのち曇り

2011-03-12 01:22:21 | Weblog

  いま午後7時半になろうとしているところ。
  教務室のPCからフィールドノートの更新をしている。
  地震のため交通機関が麻痺しており、本日中の復旧はないとの発表がさきほどあった。
  大学では帰宅できない学生・教職員のために大隈講堂を開放することを決めた。
  まだときおり余震がある。


記念会堂前に避難する


記念会堂横のアスファルトの亀裂

  地震があったとき、私は教員ロビーで同僚の先生と2012年度の科目の相談をしていた。最初、振動を感じたとき、ちょうどいま高層棟の解体工事が進行中なので、その振動だと勘違いして、「けっこう揺れますね」と同僚の先生と話していたら、誰かが「地震だ!」と言ったので、ようやく地震であることに気がついた。だんだん揺れがひどくなるので、部屋の外に出てみると、何人かの人が不安そうな顔で建物の外に出ていた。しかし、そこは建物と建物の間の狭い空間なので、かえって危険なような気がして、建物の外には出ないでいた。そのうちようやく揺れが収まったので、家に電話をしてみると(このときはまだ固定電話はつながっていた)、息子が出て、私の書斎は本が散乱しているという。小雀の姿が見えないので探しているところだったが、「あっ、いた。大丈夫」という声にホッとする。本が崩れる間、部屋の中を飛び回っていたのだろう。余震があるかもしれないので、籠に入れて息子の部屋に移してもらう。娘は明日の芝居の準備で阿佐ヶ谷に行っているのだが、ケータイはまったくつながらない(そのうち固定電話もつながらなくなった)。ようやく夕方になってメールで連絡が取れ、無事を確認した。研究室は予想通り本が足の踏み場もないほど散乱していた。とりあえず床に落ちている本をテーブルの上に移した。これを書棚のしかるべき場所に戻すのはかなり時間のかかる作業なので、今日はやめておく。午後10時になろうとしている。


  午前1時を回ったところ。教務室で、村田先生、安藤先生、宮城先生と一緒にいる。TVを通して被害の状況が刻々と伝わってくる。津波と火災。地震とはこれらを含めたトータルな災害なのだということを実感する。一人でも多くの方の無事を祈る。どうか逃げ延びていてください。


3月10日(木) 晴れ

2011-03-11 02:28:15 | Weblog

  8時半、起床。いつもより朝寝坊。昨日、半日歩き回って疲れたのだろう。シューマイの朝食。先日収録した基礎講義(総説)のビデオをチェックしていて言い間違いを発見する。これは撮り直した方がよいと判断し、スタジオの担当者に電話をして、来週の水曜日に時間を作ってもらう。
  昼から大学へ。昨日に続いて今日もよく晴れている。「maruharu」で昼食。ハムカツサンドとアイスカフェラテを注文。ホットドッグを追加注文。

  教員ロビーにゼミ論集96冊が届いていた。明日だと思っていたので、ちょっとしたサプライズ気分。4年生に3冊(本人とインタビュー対象者の分)、3年生と2年生には1冊ずつ。現代人間論系室と戸山図書館に各1冊寄贈。これで93冊。残りの3冊は私の分(書き込み用1冊、自宅用1冊、研究室用1冊)。予算が限られているので、必要な分だけしか作らなかった。過去の調査実習の報告書は多目に作ったために残部がけっこうあり、ただでさえ手狭な研究室をより一層狭くしてしまっている。ゼミ論集についてはそういうことにならないように気をつけないとならない。

  明日が締め切りの個人研究費と実験実習費の請求書と領収書を整理して事務所へ持っていく。もう1円も残っていない。
  帰りがけに「成文堂」に寄ったら、「ワセクラ2011楽勝・必聴科目登録マニュアル」が出ていたので、教務用資料として購入する。お行儀のいい「マイルストーン」に比べて、こちらはゴシップ的な面白さがある。たとえば、私と石黒先生が組んでやった演習「現代人と家族」についてはこんなことが書かれている。

  「現代の家族について学ぶ。核家族についての意外な事実を知れるなど、かなり面白い。教科書の章ごとにグループ編成をするため興味のある分野を学べるが、章ごとに発表の難易度が違う。グループ発表をしディスカッション。先生は上手なプレゼンの仕方、レポートの書き方などをレクチャーしてくれるのでためになる。先生は新米であまり面白いことを言わないが、にこにこしながら話し、発表の相談にのってくれる。」

  「先生」が二度出て来るが、最初の「先生」は私のことで、後の「先生」は石黒先生のこと。「にこにこしながら話し」のところは思わず笑ってしまった。その通りだから。
  「神戸屋レストラン」でパンを買って帰る。朝食用のつもりだったが、夕食がポトフだったので、パンを食べる。

  深夜、TSUTAYAでレンタルしてきた石井裕也監督の『川の底からこんにちは』を観る。主演は満島ひかり。女の強さをコミカルに、そして鮮やかに描いた作品だ。満島ひかりがとてもいい。


3月9日(水) 晴れ

2011-03-10 02:32:35 | Weblog

  8時、起床。卵かけご飯の朝食。11時頃、自宅を出る。JR蒲田駅から京浜東北線に乗る。いつもと同じようだが、いつもと違うのはそれが東京方面往きの電車ではなく、反対の横浜方面往きの電車であることだ。金沢に行けないので、鎌倉に行くことにした。いざ、鎌倉。金沢と鎌倉は、歴史と文化があること(美術館も多い)、海があること、評判の食事処やカフェがたくさんあること、などの共通点がある。高校生の頃から鎌倉にはよく行った。平日に学校をさぼっていったことも何度かある。好きな街なのだ。同じ路線でも、いつもと反対方向の電車に乗ると、旅の気分になる。どんどん日常的世界から遠ざかっていく感覚。


横浜駅のホームにて

  横浜で横須賀線に乗り換えて、鎌倉まで行き、江ノ電に乗り換えて、江ノ島まで行く。江ノ島に行きたいというよりも江ノ電に乗りたかったのだ。

  江ノ島の参道沿いの「磯料理かいしま」で昼食をとる。鯵のたたきとしらす丼(1500円)。新鮮でしらすもたっぷり。追加でさざえのつぼ焼き(1200円)を注文。海の養分が凝縮したような肝の苦味がいい。大いに満足。

  江ノ島見物はそこそこに、江ノ電に乗って由比ガ浜まで戻る。海は高いところから見るよりも、波打ち際で見る方がいい。

  若宮大路を鎌倉駅まで歩き、そのまま小町通りへ。草餅やみたらし団子を頬張りながら歩く。

  小町通りは賑やかだが、一歩脇道に入ると、途端に静かになる。川喜多映画記念館と鏑木清方記念美術館を見物する。見物人は前者は私一人、後者は私を入れて二人だった。入館料はどちらも200円。喫茶店に入るより安上がりで一息つける。

   鳩サブレをお土産に買って帰る。6時に蒲田に着き、「シャノアール」で日誌をつけてから帰宅。


3月8日(火) 曇りのち晴れ

2011-03-09 09:29:23 | Weblog

  7時、起床。 ベーコン&エッグ、パン(トゥルニュ)、ホットミルクの朝食。今日から「春休みモード」に入る。大学には一日おきくらいの頻度で出ることになる。

  昼食にお雑煮を食べてから、外出。日本橋コレドの3Fに入っている「エトランジェ・ディ・コスタリカ」の直営店に行って、トランスペアレンシーという小さなメモ帳を購入。一冊105円(ビニールカバー付きは210円だが、私が欲しいのはリフィル)で、在庫が8冊あったので、まとめて購入する。これは常用している能率手帳(普通サイズ)に差し込んで使うのにピッタリのサイズなのだ。能率手帳は伝統のある手帳だけあってとても使い勝手がいいのだが、唯一の不満はメモ用のページが少ない(30頁)ことで、それを補うために「補充ノート」という製品が用意されてはいるのだが、保存用のメモにするには物足りない紙質で、一時的なメモにしか使っていない。トランスペアレンシーを今年になって使い始めたのだが、とても相性がいいことがわかった。支払いのとき店員さんにそのことを言うと、少し前にも私のようにまとめ買いしていった客がいるそうだ。

  日本橋コレドの向かいに「うさぎや」がある。今日は卒業生のNさんが中野のうさぎやのどら焼きをお土産に研究室にやってくる予定だったのだが、体調を崩されて延期になった。なので、ここ日本橋の「うさぎや」のどら焼きを自分で買い求めることにした。進物用なのであろう、どの客も箱入りで買っていく中で、店員さんに「ばら売りもしていただけますか」と尋ねると、「はい」とのことだったので、「2つください」と言う。本当は1つでもよかったのだが、いい大人が1つはないだろうと思い(社会学者でありながら暗黙の規範から自由になりきれない自分がいる)、2つにした。その女の店員さんは、どうも私のことを妻へのお土産を買って帰るよき夫と思ったらしく、ニッコリと微笑んでくれた。

  東西線に乗って竹橋の東京国立近代美術館へ行く。ちょうど今日から岡本太郎展が始まったところだが、それはたまたまのことで、私が鑑賞したいのは常設展、とくに4Fの明治・大正期の作品群である。第一回の文展(明治40年)の最優秀作品である和田三造の「南風」から始まって、近代日本美術の秀作たちを時代を追って観て行く。明治40年は清水幾太郎が生まれた年なので、「清水幾太郎と彼らの時代」の時代背景を美術という視点から再確認するこの行為を、私は折に触れてする。清水の代表作である『現代思想』が1907年(明治40年)のピカソの作品「アビニョンの娘たち」の話から始まっているのに倣って、私も「清水幾太郎と彼らの時代」を「南風」の話、一般化して言えば、20世紀初頭の10年間の話から始めたいと思っているのである。戦後、清水は「20世紀研究所」というのを創設してその所長になるのであるが、清水にとって20世紀の初頭に生まれたことは「小さな誇り」であった。


和田三造「南風」(1907年)  

  入館したのが3時半ごろであったので、1時間半ほど観たところで閉館の5時になった。庭に設置されていたガチャガチャ(自動販売機)でたくさんの人が岡本太郎展の記念フィギアを買っていたので、岡本太郎展を観ていないけれど、私も1つ購入する。8種類のフィギアがあるそうだが、出てきたのは(選ぶことはできない)河童のフィギアであった。

  蒲田に着いて、「シャノアール」で一服してから、7時過ぎに帰宅。「うさぎや」のどら焼きは美術館の休憩所で1つ食べたが、残った一つは夕食の後に妻と二人で食べた。デザートのイチゴをどら焼きで挟んで食べたら甘酸っぱくて美味しかった。


3月7日(月) 雪

2011-03-08 10:04:47 | Weblog

  8時、起床。雨が降っている・・・と思う間もなく、みぞれになり、そして雪になった。寒い。寒いけれど、春の雪だ。

  春雪や傷を抱きて今日寧(やす)し  村山古郷

  卵焼き、小松菜の味噌汁、ご飯の朝食。9時に家を出て、大学へ。スロープを上りながら写真を一枚。シーンモードに「雪」というのがあったので、それに合わせて撮ったら、こんな感じの写真になった。シャッタースビードが遅いのだ。だから雪の降跡が撮れるかわりに(歩きながらだと)ピンボケでブレも大きくなる。しかし、これはこれで臨場感があって面白い。森山大道みたいじゃないか。

  10時から本部の教務部の方々と懇談。11時半から教務的打合せ。昼食はコンビニで購入したおにぎり2個。12時半から教務的打合せ。2時から運営主任会。3時半から文化構想学部の運営主任会。終ったのは5時半ごろ。疲れた。
  今日で会議ラッシュは一段落。ここで気分転換に旅行(金沢)に行くというのが恒例のスタイルなのだが、今年は(来年も)長く東京を離れることができない。大学に毎日出なくてはならないわけではないが、何かあったら、かけつけられるようにしていないとならないのだ。空間的には日常を離れることなく、新しい年度への気持ちの切り替えをどうやってつけるか、私の「春休み」のテーマである。とりあえず3月の読書は新学期にテキストに使う予定の本が中心になる。往き帰りの電車の中で豊泉周地『若者のための社会学』(はるか書房)を読む。