フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月19日(月) 晴れ

2012-11-20 08:42:53 | Weblog

   8時、起床。少し気分が沈み気味なのは、ブルーマンデーというやつか。バター&ハニートースト、紅茶の朝食。この蜂蜜はいま韓国に留学中のゼミ生のNさんからいただいたもの。こういう朝には蜂蜜がいい。 

   TSUTAYAに10時までに返却すべきDVDがあるので、10時前に自宅を出て、大学へ。

  今日は1時から博士論文の予備審査(のようなもの)がある。400字詰め原稿用紙換算で800枚の長編。「フェニックス」で昼食(ピラフ)を食べながら、論点とすべき箇所を再確認する。

   予備審査は2時間ほどかけて行った。年末までに改訂原稿を出してもらうことになった。

   研究室の前まで来ると、中では昼休みの時間から始まったゼミのインタビュー調査がまだ続いている。回れ右をして、論系室に行って、用事を済ませ、そのまま帰宅することにした。

  「ギンレイホール」のシネマクラブの会員証が今日で切れるので、更新しに行く。その前に「トンボロ」で一服。隣の「SKIPA」とは中でつながっている。「トンボロ」はコーヒー、「SKIPA」はチャイ、「トンボロ」はサンドウィッチとトースト、「SKIPA」は定食とカレーとホットドッグ、という具合に棲み分けが行われていて、「トンボロ」でカレーが食べたくなったら、「SKIPA」に出前を頼む。同様に、「SKIPA」でコーヒーが飲みたくなったら、「トンボロ」に出前を頼むというシステム。

  ブレンドB(コクと苦味)とトーストを注文。トーストはバタートーストで、ウィンナー、ゆで卵、リンゴ、トマトとレタスとキュウリとブロッコリーのサラダ、イチゴジャムが添えられている(添えられるものは日によって変るとのこと)。コーヒーもカップになみなみと注がれた。

  1時間ほど、明日の卒業研究指導のための資料に目を通す。学生の祖父(警察官をされていた)が書いた自分史で、大変に興味深い。これだけで400字詰め原稿用紙換算で100枚はある。

 

 

  神楽坂を下って、飯田橋まで歩く。「ギンレイホール」で会員証の更新だけをする(映画は観ずに帰る)。教務をしているこの2年間はあまり「ギンレイホール」に来られなかった。これからは月に一度は来たいものである。来るなら、大学からの帰りがいい。そのための「ギンレイホール」である。上映作品によって多少違うが、たいてい夕方の6時前後からの上映回がある。大学を5時半に出れば間に合う時間だ。8時前後に映画が終わって、「志な乃」あたりで蕎麦を食べて(ラストオーダーは8時半)、9時半には帰れるだろう。うん、いいんじゃないだろうか。 


今週はヒューマン、来週はサスペンス

  6時、帰宅。「あら、早いのね」と言われる。確かに平均的な帰宅時間より1時間半ほど早い。

  明日の授業の準備をすませてから、録画しておいた『プライスレス』第5話を観る。3人は屋台でホットドッグを売り始めたが、ひとつ気になったのは、模合(中井貴一)が「ホットドックにはスープでしょう」と言って魔法瓶にスープを入れてやってくる場面。そうなの?ホットドッグにはスープなの?コーヒーじゃないの?このことが気になって、後の話を身を入れて追えなかった。ホットドッグにはコーヒーだろ、やっぱり。じゃあ、スープは何に合うのかと言えば、そうね、ピラフかな。

  それにしても冷え込むな。真冬に向かってまた一段進んだようだ。

   ****   ***   ***

   娘の出演する芝居の情報です。

   DramaticCompany Inhighs 「遠雷」

   ○12月1日(土) 16時・19時
   ○12月2日(日) 13時・16時・19時

   ○吉祥寺「櫂スタジオ」 チケット2000円
   ○予約は、inhighs_ticket@hotmail.co.jp まで


11月18日(日) 晴れ

2012-11-19 00:22:07 | Weblog

  7時半、起床。ブログの更新を済ませてから、コンビニにパンを買いに行く。昨日の雨が嘘のような青空。

  「朝ドラ」を観ながら、カレー、トースト2枚、蜂蜜、牛乳の朝食兼昼食。今日の「朝ドラ」は『プライスレス』(録画)。理不尽に組織(会社)を追われた者たちがリベンジを果たす物語(のはずだ)。季節的になんとなく「忠臣蔵」を連想させる。中井貴一がいい。同じドラマを木村拓哉演じる金田一二三男ではなく、中井貴一演じる模合謙吾を主人公にしてもドラマとして成立するだろう。つまりこの『プライスレス』は第一主人公と第二主人公のいる連星型のドラマである。木村拓哉はどういう役柄を演じても木村拓哉なので、そこに中井貴一が脇役というよりも第二主人公として配されることで、キムタクドラマのマンネリ感がかなり払拭された。金田一、二階堂(香里奈)、模合の3人が幸福荘に集結したことで、次回(明日)の第5話からいよいよ反撃が開始される(のだろう)。楽しみだ。

  「朝ドラ」を観ながら、日誌を付ける。一週間を振り返り、今日からの一週間を展望する。土曜日は解放の日、日曜日は調整の日、月曜日は再開の日だ。

  3時を回った頃、ジムに行く。筋トレ2セットと有酸素運動45分(545カロリーを消費)。ジムでのトレーニングが週2回ペースで定着してきて、トレーニングの途中でバテるということがなくなった。余力を残してトレーニングしている感じが自分でもよくわかる。

  トレーニングの後、床屋(理髪一番)に寄る。さらに気分がすっきりする。日曜日の夕方の憂鬱(サザエさん症候群)でお悩みのサラリーマンには、日曜日の夕方のジム+床屋(美容院)を処方箋としてお勧めします。

  床屋を出て、サンライズ商店街を歩く。「旭屋」で梅酒「蒲田慕情」(1000円)を購入したら、キャベツ(半分)がおまけで付いてきて驚いた。

  「一二三堂」で雑誌を3冊ばかり購入したら、支払いのとき、ご主人から「先生、ブログ拝読しています」と言われて、さきほどのキャベツ以上にびっくりした。私のブログのこと、私がそのブログの書き手であることは前からご存知だったようで、でも、なかなか声をかけられなかったそうだ。ブログをやっていると、たまにこういう体験をする。ブログには立ち寄ったお店のことを書いたりするから、そのお店の方が自分の店についての記事をネットで検索して、私のブログの記事にヒットする。何度かそういうことがあると、どの客がそのブログの書き手であるかがわかってくる、というわけだ。「一二三堂」は終戦後間もなくからある地元の本屋さんで、私は小学生の頃からここで本を買っていた。現在のご主人は三代目とのことなので、私が子どもの頃のご主人はお父様、いや、お祖父様であったと思われる。いまのご主人も先代も私と同じ御園中学の出身だそうだ。こういう「地元つながり」は大切にしたい。


三代目の店主、松尾孝典さん。(私と同じく名前に「孝」の字が入っている)

  夕食のとき「蒲田慕情」をロックで飲んだ。美味しい。美味しいが、すぐに回って、食後、1時間ほど居眠りをした。おかげでいまは目が冴えて、今夜は寝るのが遅くなりそうだ。


11月17日(土) 雨

2012-11-18 09:16:38 | Weblog

  8時、起床。ハムトーストと紅茶の朝食。

  昼近く、雨の中、大学へ。一文の社会学専修の卒業生のYさんがやってくる。研究室がゼミのインタビュー調査の場所として使われているので、教員ロビーで会って、それから「すず金」へ食事に行く。食後のコーヒーは「カフェ・ゴトー」へ。卒業生を迎えるときの定番のコースである。

  Yさんは学部を卒業して3年目。家庭裁判所の調査官である。研修を終了し、来年度から正式な赴任先が決まる。東京近郊を希望しているが、たぶん、地方へ赴任することになるだろう(現在の研修先も地方だ)。Yさんは、学部時代、私の演習(調査実習や卒論演習)をとったことはない。1年生のときに大教室での講義をとったことがあるだけである。研究室にやってくる卒業生の中では珍しいパターンだ。ただその講義をとったことで、社会学に興味をもち、社会学専修へ進むことを決めたので、Yさんの人生にとっては転機となる出来事だったわけだ。ちょうど新しい学部(文化構想学部)が立ち上がる時期で、私はそちらに移ったため、彼女が私の演習をとる機会はなかったのだが、ときどき卒業後の進路についての相談を受けたりしていた。来年早々に決まるであろう正式の赴任先がどこであっても、人生は旅と心得て、何かの縁あって赴任するその街で、一生懸命働き、そして日々の生活を楽しみなさいと言っておく。

 

  Yさんを見送ってから、竹橋で途中下車して、東京国立近代美術館に寄って、開館60周年記念の展覧会「美術にぶるっ! ベストセレクション日本近代美術の100年」を見物する。東京国立近代美術館の開館は1952年12月1日、私が生まれる1年4ヶ月ほど前のことである。われわれは同世代なのである。所蔵作品は明治40年の第一回文展を起点としているが、その年は私の研究テーマの1つである清水幾太郎の生年でもある。最寄り駅が通勤の途中にあることもあって、東京国立近代美術館は私にとって一番馴染みのある美術館である。折々の企画展よりも常設展の方に親しんできた。今日も4階から時代を追って作品を観ていたら、1階の企画展(実験場1950s)を観る前に閉館の時間になってしまった。12月1日(土)は開館記念日で入場無料なので、そのときに来て、企画展をじっくりと観ることにしよう。


竹橋の交差点(雨が強くなってきた)


4階の休憩室(眺めのよい部屋)から皇居を見る


和田三造「南風」(1907)


新海竹太郎「ゆあみ」(1907)*馴染みのあるブロンズ像ではなく石像が展示されていた


藤田嗣治「五人の裸婦」(1923)

 

 

 
                                  藤田嗣治「自画像」(1929)(部分)


藤田嗣治「サイパン島同胞臣節を全うす」(1945)(部分)


雨はまだ止まない


次に行く予定の美術展

  7時、帰宅。

  ブログの読者の方(学生)から、先日のマフラーの話題に関連して、「もし奥様が始終買い物についてきて、先生の好みではなく、奥様の好みを押しつけてそれしか購入するのを許してくれなかったとしたら、先生はどう対処しますか?」という質問のメールが届いた。私が書いたのは家族(とくに成人後の親子関係)にも社交の精神が必要であるということだったのだが、質問の中の例は、社交とは別次元。社交の肝心なところは相手の内面に深くは踏み込まないという点なのだが、妻が夫の買物に始終介入するというのは、社交ではなく、支配である。それは小さな子どもと母親の関係の延長ないし再現であり、母子が密着しやすい日本の家族関係ではしばしば見られる現象である。支配という名の世話を焼かれることが嬉しいのであれば、それはそれでよいのかもしれないが、通常は、「それでは情けない」と感じるべきものではないだろうか。相手が妻であれば、「放っておいてくれ」と(もう少し婉曲な口調で)言う。難しいのは、相手が母親、それも年老いた母親の場合である。いまさらの再教育は困難である。適当にかわすしかないであろう。斜行の精神で。


11月16日(金) 晴れ

2012-11-17 11:48:08 | Weblog

  9時、起床。玉子焼き、ジャガイモのミソスープ、バタートースト、紅茶の朝食。味噌汁は、スープ皿に入れてスプーンで飲むと、味噌汁よりミソスープと呼ぶべきものになる。

   お昼に家を出て、大学へ。

  3限は講義「ライフストーリーの社会学」。今回が7回目。これで半分が終わった。

  昼食を「メルシー」に食べに行く。チャーハンを注文。食後の一服は研究室に戻って、いただきものの紅茶とビスケット。

 

   夕方から、市ヶ谷の私学会館で行われる中学生作文コンクールの受賞式に出かける。今回が50回目で、私は第39回から審査委員を務めえている。節目の回ということで、第1回、第16回、第40回の最高賞(現在の名称は文部科学大臣奨励賞)を受賞した方々が招待されていた。

  第1回の受賞者のMさんは私よりも年長である(第1回のコンクールのとき、私はまだ小学3年生だった)。いま、受賞者たちは副賞としてディズニーランドやディスニーシーに招待されるのだが、当時の副賞は何だったのですかと尋ねたら、はとバスに乗っての東京見物だったそうだ。へえ~、時代を感じますね。ちなみに昼食はホテルニューオオタニで食べたとのこと。それはすごい。

  第40回の受賞者のKさんのことは覚えていた(Kさんも講評を担当した私のことを覚えてくれていた)。当時、中学2年生で、受賞の挨拶の中で将来は医師になりたいと語った彼女は、10年後のいま、弘前大学の医学部の学生で、来年、医師としてのスタートを切る。私が10月に弘前に行ったことを話すと、今度弘前にいらしたときはお声をかけてくださいと言われた。お勧めのコーヒー店はどこでですかと尋ねると、「ブルマン」です、と即答された。初めての客にはマスターが、その人の雰囲気に合ったカップを選んでくれるとのこと。「ブルマン」、覚えておきます。


11月15日(木) 晴れ

2012-11-16 10:01:10 | Weblog

  7時半、起床。バタートースト、ハム、レタス、紅茶の朝食。

  11時頃、家を出て大学へ。今日は遅い出勤の娘と駅までの道を歩く。娘は昨日私があげたマフラーを首に巻いている。

  昨日のブログで、「松本で購入して、数日使ったマフラーは、結局、娘にあげることになった。」と書いたが、それを読んだ読者の方からメールをいただいた。「予想が外れました」と書いたあった。娘は父親のマフラーを受け取らないのではないかと予想していたというのである。理由は、自分にも息子がいて、マフラーをプレゼントされたことがあるのだが、何ともいえない気恥ずかしさや、息子への反発から、一度もそのマフラーをしたことはないからだそうだ。

  マフラーのプレゼントという点は同じでも、父親と息子のケースと父親と娘のケースでは関係性が異なるであろうし、また、プレゼントの方向が子どもから親へのケースと、親から子どもへケースではやはり意味合いが異なるであろう。だからその方と私のケースを単純に比較するのは無理があるのだが、そのことはひとまずおくとして、その方は私のケースに「親子の深い心の共有」を見ていらっしゃる。う~ん、どうだろう。たぶん、ここにあるのは、「親子の深い心の共有」というよりも、一種の社交の精神なのではないだろうか。

  人から何かをプレゼントされた場合、それが他人であれば、そのものが気に入る気に入らないはひとまず置いて、普通は受け取るだろう。受け取らない、受け取ったとしても使わない(身につけない)というのは、相手が家族だからこそできることである(あるいは、できると思っていることである)。私の娘は好き嫌いの自己主張がはっきりしている性格である。あのマフラーの柄は、たぶん娘の好みのストライクゾーンとは違うだろうと思う。しかし、「いらない」と言わなかったのは、そして今朝さっそくそれを首に巻いて出勤したのは、娘が持ち前の社交の精神を発揮したから、という部分が(も)大きいと思う。家族の外部での行為規準を家族の内部にも適用しているのである。

  もし息子が私にマフラーをプレゼントしてくれたら(それはありそうもない仮定なのだが)、私の好みの柄ではなかったとしても、やはり私はそれを身につけるだろう。家族の間でも社交の精神は必要である。とくに子どもが成人した後の親子関係においてはそうではないかと思うのである。

  ちなみに妻は私が何か身につけるものをあげても、「う~ん、これはねえ・・・」という反応を示すことが多い。妻に社交の精神が不足しているのか、私のファッションセンスに問題があるのか、あるはその両方なのかもしれない。

  昼食は「五郎八」で力うどん。  

  3限は大学院の演習。

  4限は研究指導。

  5限はゼミ論の個別相談。 


スイートポテトを食べながら

  今日は6限、7限の時間を使って研究室でゼミのライフストーリーインタビュー調査が行われる。MさんとM君、そして対象者の方がやってきた。そそくさと片づけをして、研究室を出る。