フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

7月25日(月) 曇り

2016-07-28 00:38:36 | Weblog

8時半、起床。

今日は久しぶりに何の予定も入っていない一日だ。

トースト、ハンバーグ、サラダ(炒り卵)、紅茶の朝食。

昨日、西荻窪の「FALL」で購入したカップで紅茶を飲む。いつよく朝の紅茶を飲んでいるカップと同じ作家さんのものだが、こちらは図柄入りだ。 

何の予定も入っていない一日と書いたが、それは授業や会議や人と会う約束がないという意味で、やらなくてはならないことはある。

論文集に載せる原稿の修正版を書き上げて編集者にメールで送る。締め切りは20日だったので、5日の遅れだ。許容範囲内と勝手に思っているが、妄想かも知れない。妄想だったら誰か叱ってほしい。年を取ると、叱ってくれる人がいなくなる。・・・妻以外には。

遅い昼食を「phono kafe」に食べに行く。ご飯セットを注文。

夏野菜の揚浸し、おからコンニャクの竜田揚

ネギポテトの油揚げ包み

 

デザートはかき氷にしよう。金柑と青梅の豆乳がけを注文する。

こちらから見ると、青梅が主役だ。

反対側から見ると、金柑が主役だ。

二つの味が楽しめてお得感がある。

「phono kafe」を出て、散歩しようかとチラリと思ったが、やらなくてはならないことがまだまだあるので、家に戻る。やらなくてはならないことがない日といいうのはこれから先もないような気がするが、それでも、「急いでやらなくてはならないことがない日」というのは夏休みに入ればあるだろう。それを楽しみにして、この一週間(最長でも2週間)を生きよう。

夕食は焼き魚(カマスの開き)。

傍らに、昨日購入した清水直子さんの作品「お弁当を食べるサラリーマン」(勝手にネーミング)を置いてみる。

このお弁当は愛妻弁当なのか、コンビニ弁当なのかはわからない。今度、清水さんに会ったら聞いてみよう。


7月24日(日) 晴れ

2016-07-26 13:19:49 | Weblog

8時半、起床。

ハムトースト、サラダ、紅茶の朝食。

11時過ぎに家を出て、神楽坂へ向かう。今日は「SKIPA」で二カ月に一度の句会がある日だ。

今日の参加者は、主宰の紀本さん、蚕豆さん、恵美子さん、あゆみさん、低郎さん、こかよさん、私の7名である。

全員の作品が配られる。餃子屋さんはぎりぎりまで出席の予定だったので、彼の作品も載っていて、8名×3句=24句である。兼題は「味」。

選考に入る。

誰でもそうすると思うが、最初にちょっと惹かれた句に印を付けてゆく。そしてそこから入選句(3句)を絞り込んでいく。絞り込んでいく段階は二段階のこともあれば三段階のこともある。今日は最初に印を付けた句が多かったので、三段階を必要としした。

私が選んだ3句は以下のもの。

 天(5点) 灼岩(やけいわ)に想像の目玉焼きを焼け

これを天とすることに迷いはなかった。「灼岩」という夏の(それも猛暑日を連想させる)季語。「想像の目玉焼き」というシュールで滑稽味のある言葉。「焼け」というきっぱりとした命令形。3つの部分が寸分の狂いもなく連結して見事に一つの作品を構成している。私はこの句から『マッドマックス2』と『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』という2本の映画を連想した。前者は内容がハードボイルドで、後者はタイトルがハードボイルドなのだが、「ハードボイルド」の原義は「固ゆで卵」だから、この「想像の目玉焼き」の黄身は半熟であってはならない。

 地(3点) ドアの前立たされたまま誘蛾灯

「灼岩に・・・」のようなメリハリの効いた句ではないが、静かな作品世界をしっかりと作っている句である。女がアパートの部屋の前で立っている。この時刻に来ることは男には伝えておいたはずなのだが、男はまだ帰って来ていなかった。女は黙って部屋の前で待っている。女が一体どんな気持ちで立っているのか、女は誘蛾灯に背を向けているので、彼女の表情からそれをうかがい知ることはできない。柘植義春の世界を連想させる。

 人(1点) 壁向いて見得切っている扇風機

扇風機は「首を振る」という言い方をよくされる。つまり擬人化されることが多い。この句ではそれが歌舞伎役者に見立てられて「見得切っている」となった。確かに左右に振られる首は、両端でギアが切り替わる時、一瞬、静止するように見える。こういう句はよく観察しないと作れない。写生の句である。俳句は観察しなくても頭の中だけで(観念だけで)作ることはできる。それもけっこう面白い、見栄えのよい句を。しかし、最終的に人の心をとらえるのは写生の句だと思うのである。 

各人の選句が披露され、集計の結果、上位入選句は以下のようになった(作者はこの時点で明らかにされる)。

 14点(特選) ドアの前立たされたまま誘蛾灯 紀本

 本日の特選は主宰の紀本さんの作品だった。蚕豆さんと恵美子さんが「天」、私が「地」、こかよさんが「人」を付けた。私の感想は選句のところで述べたのが、そのときの私の解釈を聞いて、「その女性はストーカーですか?」と笑いながら聞いた人がいたが、「立ったまま」だったらストーカーの可能性もあるけれど、「立たされたまま」ですからね、立たしている相手(男)が想定されているわけで、ストーカーではなくて、男女の間柄にある二人の片割れです。そういうこともわからないなんて、お子ちゃまなんだから(笑)。ちなみにこの句は紀本さんがカギを忘れて家(実家)に入れなかった体験をもとにして作られた作品で、男女の間柄とは関係ない。他に子供が親に叱られて家の外に出されてしまったときの情景を詠んだ句でしょうという解釈もあった。しかし、私はこの解釈は取らなかった。「立たされたまま」という表現はその人物がじっとして動かない様子を示唆している。女はじっと黙って立っているのである。だからこそ「誘蛾灯」という言葉が凄みを増すのである。子供だったら「立たされたまま」じっとしてはいないだろう。「ごめんなさい!」とか泣きわめくのではないか。この作品はそういう動きのある、騒がしい句ではない。

 13点    灼岩に想像の目玉焼きを焼け 恵美子

 恵美子さんの作品。あゆみさんと私が「天」、蚕豆さんが「地」を付けた。こういう句がコンスタントに作れたらすごいのだが、まだそこまではいっていないようで、彼女の別の作品「西日射す怒りの後味伽藍堂」jは選外だった。同じようにインパクトのある言葉の組み合わせからなる作品なのだが、こちらは部分の連結がギクシャクしていて作品としての完成度が低い。「灼岩の・・・」の驚くべき完成度の高さがフロックでないことを次回の句会で見せてほしい、とハードルを上げておきます。

 9点    夏が好きと答えてずっと生きてきた たかじ

 私の作品。紀本さん、あゆみさん、低郎さんがそろって「地」を付けた。「どの季節が好き?」というのはよく聞かれる質問である。私は子供のころからずっと「夏が一番好き」と答えて来た。それは気候としての夏が好きということの他に「夏休みがあるから」というのが大きな理由だったと思う。私が今日まで一貫して「夏が好き」と答えを変えずに来られたのは、学校的世界でずっと(ある時期までは生徒・学生として、ある時期からは教員として)生きてきたからかもしれない。この句を選んだ人の感想の中に「切なさを感じる」というのがあった(それも複数)。まさか老い先短いということを言っているのではないと思うが、無理をして、つっぱて「夏が好き」と言い続けている雰囲気を感じ取られたのかもしれない。でもね、無理はしてませんから。今年もあと一週間ほどで夏休みである。ホント、嬉しいです。

 6点    そんなこと忘れちまいなと蛇の言う 蚕豆

蚕豆さんの作品。こかよさんが「天」、あゆみさんが「人」を付けた。この蛇はエデンの園でアダムとイブをそののかした蛇のようにも見えるが、下町の小股の切れ上がった姉さんのような物言いは、任侠の世界のようでもある。もしかしてその姉さんの背中には蛇の入れ墨があるのかもしれない。紀本さんからこの句の感想を求められた恵美子さんが、何も言えなかったのは、彼女が蛇が大の苦手であるからである。蚕豆さん、句会で高得点を得ようと思ったら「蛇」はダメですよ(笑)。たぶん蚕豆さんは彼女が蛇が苦手であることをうっかり忘れちまっていたのだろう。

 6点    かき氷イチゴを選べば 赤い味 こかよ

こかよさんの作品。紀本さんが「天」、蚕豆さんが「人」を付けた。「赤い味」は兼題「味」を意識した表現であるが、普通は「赤い舌」だろう。2年前の今頃の句会で、私は「カキ氷女は赤き舌を出す」という作品を出して、特選をいただいた。最近、句会のメンバーになったこかよさんはそのことを知らないが、恵美子さんは覚えていて(なぜならその句を彼女に書にしてもらったからである)、「こかよさんの句を選ばなかったのはたかじさんの句が念頭にあったから」と感想を述べていた。なお、「赤い味」の前の半角の空白はわざとそうしたものとの本人からの説明があった。わかったような、わからないような、感覚だ(笑)。「イチゴを選べが」は「イチゴ選べば」と素直に7音に収めた方がよかったと思う。

 5点    ただ凛とただ素麺を啜るなり 恵美子

恵美子さんの句。「ただ」の反復が目を引くが、「ただ素麺を」の方はよいとして、「ただ凛と」が「ただ」と「凛」の組み合わせはしっくりこなかった。「凛」は褒め言葉だが、「ただ」は凡庸なものや単純なものに付ける言葉だからである。「凛としてただ素麺を啜るなり」とした方が素直である。ただ、(「ただ」だが)、作意としては、「ただ凛と」は本物の「凛」ではなく、「凛」としている風を装っているだけの、けだるい夏の昼下がりのアイロニカルな雰囲気を演出したかったのかもしれない。

選評を終えて、食事会。

 

私は定食を注文したが、今日はチキンカレーが多数派だった。

あゆみさんから6月に彼女が参加した伊香保俳句大会の話を聞いた。詳しくは彼女のブログを参照→こちら

彼女の作品、「胴上げをしてくれそうな躑躅(つつじ)かな」があの夏井いつき先生に秀句として選ばれ、壇上から講評をいただけたそうである。

彼女は舞い上がり(「胴上げ」だけに)、これから俳号をただの「あゆみ」ではく、「胴上(どうじょう)あゆみ」としますと宣言したのであった。

そのあゆみさん、前回の句会では特選をとったのだが、今回は私だけが選んだ「壁向いて見得切っている扇風機」のみの入選にとどまった。「もしどれも選ばれなかったら所沢に帰れないところでした。選んでいただけてホッとしました」と言っていたが、たぶんこれは本音であろう。自分の句が一つも選ばれないことを「ぼうず」というが、それはきっと切ない気分に違いない。これまで何人もの人がそういう気分を味わってきた。私もいずれそういうときが来るだろう。なので「ぼうず」を回避するために、受けそうな句を一つは入れて投句するという心理が働いたりするのだが、あまりよい気分のものではない。今回、選外だったあゆみさんの他の二句、「おにぎりの味みていった南風」と「身内待つような向日葵畑かな」はどちらもあゆみさんらしいいい句だと思う(最初に印を付けた句の中に二つとも入っている)。選外になったのは、決して不出来であったわけでなく、たまたまのことである。

2時半、散会。

次回は9月18日(日)。兼題は「一」(今回特選の紀本さんの出題)。

神楽坂の駅から地下鉄に乗るのは私とあゆみさん二人だけだった。食事会のときにあゆみさんが「私はスキップをときどきしますよ」という話が印象的で、スキップをする大人がいることにびっくりした私は、ここでちょっとスキップをしてみてくれませんか(写真に撮りたいから)とお願いすると、私が彼女を「ぼうず」から救ったことのお礼の意味もあったのだろう、やってくれました。日曜日の歩行者天国の神楽坂で。

最初はスキップらしかったが・・・

だんだんスキップの域を越えて行った。これ、どうみても、『ウエストサイド物語』である(笑)。

東西線に載って西荻窪まで行く。

ギャラリー「FALL」で開催中のカフェ仲間の陶芸家、清水直子さんの個展にうかがう。今日が最終日なのだ。

在廊中の清水さんにご挨拶。

今回は「働く人」をモチーフいしたオブジェが中心。

「働く人」には三種あった。

一つは農業に従事する人たち。これは今回の個展のDMに使われていた作品。

それから都会で働く人たち。

そして原発の除染作業に従事する人たちだ。

清水さんはインターネットで購入した除染の作業員の服もオブジェにして展示しようかと考えたのだが、実物が届いてみると、あまりにしょぼいものだったので(使い捨てのものだからだろうか)、展示するのはやめたそうである。

今回私が購入した作品は、昼休みにお弁当を食べるサラリーマン。研究室でコンビニおにぎりの昼食を食べるときにそばに置こうかしら。

ギャラリーには30分ほど滞在し、失礼する。駅前の商店街を歩きながら、清水さんに教えていただいたレモンパイの美味しいカフェへ。

「西荻イトチ」。これが清水さんお勧めのカフェである。

「紅茶とお菓子」は「まやんち」だが、ここは「紅茶とこけし」がキャッチフレーズのようである。

なるほど、壁にはたくさんおこけしたち。

清水さんの個展のDMが置かれていたので、「いま、個展を見て、清水さんに勧められて来ました」とマダムに言うと、「何か作品を購入されたのですか?」と聞かれたんで、「サラリーマンがお弁当を食べているやつを」と答えると、「ああ、あれはいいですね!」とおっしゃった。作品を観る目を認めていただけたようである。

レモンパイは最後の1つだったようだ。ラッキー!ミルクティーと一緒にいただく。

ほんとだ、美味しい!

今日の句会を振り返る(ブログに書くことを考える)。

西日射す道を駅に向かう。

ここもかなり気になるカフェである。今度、この街に来たときに入ってみよう。

西荻窪の駅のホームで。

世の中は「ポケモンGO」の話題で持ちきりだが、「妖怪ウォッチ3」というのも発売されたようである。

蒲田に着いたのは5時半頃。先週は広島出張で来れなかったので、ちょっと「phono kafe」に顔を出していくことにする。

梅ジュースだけのつもりだったが・・・

 大原さんに「春巻きありますよ」と言われたら、注文しないわけにはいかない。

帰宅して、風呂を浴びてから、夕食。

「ハンバーグ、2つにします?」と妻から聞かれ、「1つでいいよ」と答える。さっき春巻き食べたので、とは言えない。

デザートは桃。これで、4日連続の桃である。

 白桃のふれなばおちん蜜の味 たかじ

 


7月23日(土) 晴れ

2016-07-24 21:55:33 | Weblog

8時半、起床。

ハムトースト、サラダ、紅茶の朝食。

11時20分に蒲田駅で卒業生のみずきさん(論系ゼミ4期生、2014年卒)と待ち合わせ、「まやんち」へ。開店時刻(11時半)少し前だったが、すでに入口の前には5,6人の客が並んでいた。

私にとっては今季4個目の、みずきさんにとっては昨年に続いて人生2個目のピーチメルバである。紅茶は東方美人。 

ピーチメルバはコンポートした桃、ラズベリーソース、バニラアイスクリームの三要素から構成されるが、形態はとくに決まっているわけではない。「まやんち」のピーチメルバは私に星雲を想起させる。

ピーチメルバ星雲。

今日は土曜日ということで、ピーチメルバ目当ての私のゼミ卒業生が他にも来ていた。下の写真は3期生のホナミさん(右端)と彼女の妹さんである。お二人と今日遭遇するであろうことは、昨日、ホナミさんから届いたメールで知っていた。ホナミさんとは別の日に「まやんち」にピーチメルバを食べに来る約束をしていたのだが、生憎彼女の仕事の都合で取りやめなった(来年に延期)。しかし、私と来ることは断念したホナミさんだが、ピーチメルバ自体への欲望を抑えることはできず(彼女は去年一度食べているのである)、今日、妹さんを誘って、遠路はるばる(八王子方面から)蒲田までやってきたというわけである。

もう一人、2期生のエミさんもお一人でいらしていた(彼女から帰り際に挨拶されるまで気づかなかった)。彼女は初ピーチメルバのはずである。

これから何度か土曜日に来るが、土曜日のテーブルの予約は11時半から12時までの間に入店する場合に限られるので、卒業生たちとの遭遇が繰り返されるかもしれない。

「まやんち」ではセオリー通り、ピーチメルバだけを食べ、昼食は別の店に移動する。いくつかの候補の中からみずきさんが選んだのは「西洋料理SUZUKI」であった。陸橋を渡って、東口から西口へ。 

アーケードの商店街ではなく、多摩川線の線路沿いを歩く。

踏切を渡る。

到着。 

ランチト(2人前)+ビーフシチュー(1人前)を注文。

ビシソワーズ(ジャガイモの冷製ポタージュスープ)。

本日のランチは海老フライと若鶏のコンフィ。

看板メニューのビーフシチューは外せない。

「お腹がポンポコリンです」とみずきさんが言った。最初、わざとそういうおどけた言い方をしたのかと思ったら、どうもそうではないらしい。子供の頃に自然に覚えた言い方で、「お腹いっぱいです」(おなかがポンポンです、お腹がパンパンです)の意味らしい。「それって『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマ、「おどるポンポコリン」のポンポコリンですよね?あれはタヌキの腹鼓の音で、「お腹がいっぱい」の意味はないと思うけど」と私が指摘すると、彼女は顔を赤らめた。

店を出て、商店街を駅の方に歩いていたら、子供神輿や山車を引くたくさんの子供たちと遭遇した。 

神輿をかつぐ真似をする。

太鼓を叩く真似もする。

これが正真正銘、「おどるポンポコリン」です。これでもう間違うことはないでしょう(笑)。

本日最後のカフェは大井町の「pottery」へ。

「pottery」のマダムに「卒業生です。航空会社勤務ではありません」とみずきさんを紹介すると、マダムは微笑んで、「テレビ局にお勤め?」と聞いてきた。女子アナでもありませんから(笑)。

注文したブレンドコーヒーはウェッジウッドの美しいいカップ&ソーサーで運ばれてきた。

これでみずきさんは8大カフェ制覇(スーパーグランドスラム)にリーチをかけた。残る最後の一店は「カフェゴト―」なので(これは意外だった)、グランドスラムとスーパーグランドスラムのダブルリーチというわけだ。同じゼミ4期生のカホさんとこの時点で並んだ(カホさんの最後の一店は「トンボロ」)。決着は「秋カフェ」か。でも、カホさんは先日研究室に来て報告してくれた件(具体的には書けません)をめぐってだんだん忙しくなるだろうから、私とカフェをしている暇はないかもしれない。グランドスラム4期生一番乗りはみずきさんの可能性が高くなったのではないかな。

マダムが「写真、お撮りしましょうか?」と言ってくれたので、お願いする。

これから先輩のお宅のホームパーティーにお呼ばれしているというみずきさん。プレゼントをラッピングするリボンをどこかで買っていきたいというので、たぶん大井町の駅ビル(アトレ)の中にそいういうものを扱っている店があったような気がしますと教えて差し上げる。 彼女とは駅の改札で別れた。次回は「カフェゴト―」で会いましょう。

4時過ぎに帰宅。

夕食は回鍋肉。

今夜も夜更かし。3時、就寝。 


7月22日(金) 曇り

2016-07-23 23:28:01 | Weblog

8時半、起床。

トースト、サラダ、紅茶、梅ソーダの朝食。 

梅ソーダは昨日阿比留先生からちょうだいした自家製の梅ジュースの原液を炭酸水で割ったもの。朝の食卓にふさわしい爽やかな飲み物。

午後、妻と「まやんち」へ。

食事+ピーチメルバで私は当初サンドウィッチを予約していたのだが(妻はキッシュ)、期間限定で私はまだ味わったことがないルバーブのパイもいいなと思って、電話で変更を伝えておいた。ルバーブは大黄(だいおう)という和名のシベリア産の蓼科の植物だが、茎の部分だけを見ると蕗のように見える。「さくさくのパイの上に、ごろごろとルバーブを散らし、煮詰めて味を凝縮させたジャムを乗せ、さらに、クランブルで食感を出し、極め付けは、自家製バニラアイスクリーム」(「まやんち」HPより)。美味しそうなのだが、私はミスを犯してしまった。

パイに気を取られて、アイスクリームが添えられていることを失念していたのだ。

ピーチメルバとアイスクリームが被るっているではないか!私としたことがなんて初歩的なミスを・・・。落胆する私に妻が言った、「キッシュは分けてあげないからね」。(でも、最後に一口だけ分けてくれました)

「まやんち」を出て、その足で大学へ。

アイスクリームをダブルで食べてしまったミスを帳消しにするために「メーヤウ」に入る。

タイ風レッドカリーを注文。口の中に残っているアイスクリームの甘さを払拭する。

5限・6限はゼミ。今日が春学期最後のゼミ。今日は通しで3年・4年合同で行う。

休み時間のスイーツは3年生のKさんが準備してくれた。

4年生はこれからライフストーリーインタビューとゼミ論が控えているが、大学生活最後の夏休みをしみじみと味わって下さい。

3年生は春学期に発表した関心のあるテーマを参考文献を読みながらじっくりと深めて下さい。

夏休み中も私はたまに大学には来ますから、個別相談には応じます。

誰もいなくなった教室。学生たちは飲み会に行ったが、締め切りを越えてしまった原稿を抱えているため、失礼する。

秋学期にまた会いましょう。よい夏休みを。

夕食は、大手町駅=東京駅での乗り換えの途中、「屏南」で。

「屏南」といえば、担担麺である。

10時過ぎに帰宅。


7月21日(木) 雨

2016-07-23 09:23:05 | Weblog

8時、起床。

ハムトーストと紅茶の朝食。

11時過ぎに家を出て、蒲田駅で同僚の阿比留先生と待ち合わせ、「まやんち」へ行く。 今夏、「まやんち」にピーチメルバを一緒に食べに行く予定の人には卒業生が多いが、卒業生以外にも、教員、作家、歯科衛生士、そして妻がいる。

阿比留先生は「まやんち」は初めて。

キッシュ・セット、紅茶、そしてもちろんピーチメルバを注文。

原則として私はピーチメルバをデザートとしては食べない。まずピーチメルバを食べ(空腹な状態で心ゆくまで味わい)、食事はその後で他の店で食べる。しかし、今日はこの後、私は早稲田大学へ、阿比留先生は上智大学へ行かなくてはならないので、食事もここで済ませることにしたのである。 

久しぶりの「まやんち」のキッシュ。松本のカフェ「chii ann」でキッシュを食べたとき、「まやんち」のキッシュの味を思い出したが、それは当然のことで(後から知ったのだが)、「chii ann」の奥様は「まやんち」のお菓子教室で勉強をされた方だったのだ。

キッシュを食べ終え、ピーチメルバが運ばれてきた。阿比留先生の顔が思わずほころぶ。「食べ方があるのですか?」と聞かれたので、桃→アイス→紅茶の順序で回って行くのです、続けて桃を食べたり、アイスばかり口に運んだりしてはなりません、と指導する(紅茶については注文のときにストレートティーを勧めた)。内心、「うるさいことをいう人だ」と思ったかもしれないが、「わかりました。郷に入らば郷に従えですね」とおっしゃて、その通りの作法で食べられた。素直な方なのである。

食べ終えてから、私は阿比留先生と話したいことがあった。それは彼女が『yurufemi magazine』vol.1(2016年4月)に寄稿されたエッセイ「『語られない流産』について語ってみること」についてだった。

 「去年の冬、私は妊娠5か月で流産した。1人目を妊娠した時には妊娠初期から切迫流産になったりしていた私が、2人目の今回はなにごともなく順調に安定期を迎え安心しきっていたため、あれよあれよという間に自分が流産してしまうとは思いもしなかった。/・・・(中略)・・・記憶にある限り私の人生であんなに声をあげてないたことはなかったと思う。/なにも流産したのは私だけではなく、友人との個人的な関係の中ではしばしば耳にする話だ。しかし、流産の話が公の場では話されない(話される場合には、往々にして次の妊娠や出産の報告と一緒になされる)ということに以前から私は疑問をもっていた。なんだが流産が「語られてはいけないこと」にされているような気がしたし、語られる時には次の妊娠や出産の報告と一緒になされて、亡くなった子が単独で存在してはいけない存在として扱われているようで、亡くなった子がそんな扱いをされている(ように見える)ことに憤りを覚えていたのだ。そして、親の側から出される語りも「流産したりして色々つらいこともあったけれど、無事また幸せがやってきました」というかたちでしか存在を許されていないように見えて、なんだかやりきれないと思っていた。」(87頁) 

「でも、だからこそ、新たな妊娠や出産とセットにすることなく流産のことを語る場や機会が少しでもあったらよいのではないかと思う。それも流産経験者だけの閉じた世界で語るのではなく、もっとオープンでパブリックに「たしかにあの子は存在していたんだよ」と伝えられるような場や機会が。」(90頁)

引用したのはエッセイの最初の部分と最後の部分だ。間の部分で、阿比留先生は「流産という経験について」そして「流産について語ることについて」語っている。大変に読み応えのある文章であった。そういう感想を彼女に伝えた上で、この文章が書かれたのは今年の1月頃だったそうなので、それから半年が経過したいまの気持ちなどについてお尋ねしたかったのである。

真摯に答えていただいて、ありがとうございました。また、お話を聞かせてください。

なお、『yurufemi magazine』についての情報(目次や購入方法など)は→こちら

 1時に「まやんち」を出て、京浜東北線で東京駅までご一緒し、そこで私は東西線、阿比留先生は中央線に乗り換えた。

2時から大学院の社会学コース会議。

会議を終え、小腹が空いたので、ラウンジでおにぎりを買って来て食べながら、研究室で夕方まで仕事。

7時、帰宅。

夕食はラムチョップのロースト。

また2本か・・・。(今日は夕方におにぎりを食べたからいいけど)

デザートは葡萄。いただきた葡萄はこれでお終い。

今夜も夜更かし。