フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月23日(火) 晴れ

2018-01-26 12:22:27 | Weblog

8時、起床。

降雪から一夜明けた冬晴れのわが町。

パン、サラダ、紅茶の朝食。

今日は修士論文の口頭試験の日。11時前に家を出る。午前中からの予定だったのだが、雪の影響で交通機関の混乱が予想されたため昼からに変更になった。

雪道を歩いている時は気づかなかったが、東京駅から大手町駅への乗り換えのとき、靴のかかとの減り具合は左右で違っていることに気が付いた。「もしかして」と恐る恐る足元を見ると・・・、ああ、やってしまった、左右で違う靴を履いているではないか。なぜこんなことが起きたかというと、昨日の夕方、雪の中を近所に出かけるとき、履き潰した古い靴(左足の方)を履いたのであるが、帰宅して玄関にそのままにしておいたのがいけなかった(野良猫のナツが出入りする時さらに乱雑にした可能性がある)。朝、急いで家を出るときによく確認しないで右足は普段履いている靴、左足は掃き潰した靴を履いてしまったというわけだ。

鞄に入れておいたスマホには妻から「靴、左右で違うの履いてるよ」(残った靴からそう判断したわけだ)と連絡が入っていた。「東京駅で気づいた」と返信すると「なかなかシュールやね」(なぜ関西弁?)とコメントが届いた。

「足元を見られる」という表現は「弱みにつけこまれること」を言うが、今日は、文字通り人から足元を見られないようにしなくてはならない。

キャンパスの中庭には、誰が作ったのだろう、雪だるまがあった。

同じ茶系とはいえ、やっぱり、左右で違う靴を履いていること一目瞭然である。これで私がファンキーな格好、ロックな格好をしていれば、これも一つのファッションと受け止められるかもしれないが(穴の開いたジーパンみたいに)、生憎、私は普通の格好をしている。ただのそそっかしい人にしか見えないだろう。でも、他人の足元など人はあまり気に掛けないのではないか、とも思う。

12時15分からLさんの修論の面接試験。

それを終えて、「たかはし」に昼食をとりに行く。

肉豆腐定食を注文。

冬場の「たかはし」はこれが一番。

食後のコーヒーならぬ食後のお汁粉を買いに「よしかわ」へ。

出てくるまでに時間がかかるのは、混んでいるわけではなく、注文があってから白玉(5個)をゆでるからである。170円とは思えない上等のお汁粉である。

研究室にいるときだけは「足元を見られる」心配がない。しみじみと眺める。

講義「ライフストーリーの社会学」の試験問題を作成したり、「現代人間論系総合講座」のレポートに目を通したり。

6時半を回った頃、卒業生のメグミさん(論系ゼミ5期生)が仕事終わりにやってきた。

前回お会いしたのが(そのときも仕事終わりだった)5月だったから、8カ月ぶりである。とりあえずこの8か月間の出来事をダイジェストで聞く。八王子から千葉の方へ引っ越したとは聞いていたが、千葉というのは本八幡のことだとは知らなかった。都営新宿線の終点である。千葉といっても東京の周縁のような場所である。職場のある新宿二丁目までは40分ほどで、これまでよりも大分近くなったそうだ。

雪だるまと記念撮影。

雪のスロープで軽くジャンプ。卒業後、3年が経ったけれど、十分学生で通りますね(笑)。

夕食は「五郎八」で。

ウーロン茶で乾杯。人生の新しい一歩に!

五郎八サラダ。(彼女のリクエスト)

薩摩揚げ(私のチョイス)

田楽(私のチョイス)

カツ煮(彼女のリクエスト)

玉子焼き(彼女のリクエスト)

以前は偏食気味だったが、ずいぶんいろいろなものが食べられるようになったね。以前、秋刀魚の塩焼きが出て来た時に「この魚はなんですか?」と聞かれたときは驚いたけどね(笑)。

ご主人に写真を撮っていただく(最近はお願いしなくても撮っていただける)。

デザートは「カフェゴト―」で。だいぶお腹の方はいいので、チーズケーキ(彼女のリクエスト)をハーフで。飲み物は、私は紅茶(ストレート)、彼女はアイスティー。

引越後は「穏やかな毎日」が続いているそうだ。5月に会ったときは「穏やかな毎日」をものたりなく感じるのではないかという懸念を語っていたが、いまはそれをよいものだと感じているようである。そろそろ結婚を意識する年齢になってきたが、結婚というのは大人がするもので、自分はまだまだ子供でと思っているようである。これは誰でもそうだろうが、子供の頃は年上の人間はみな大人に見えたものである。しかし、自分がいざその年齢になってみると、自分がその年齢にふさわし中身をそなえていないことに愕然とする。そういうものである。あのとき大人に見えていた人々も実はそれほどではなかったのではないだろうか。大人にならないとある出来事を経験する資格がないのではなく、その出来事を経験することで大人になって行くという面もきっとあるに違いない。あれこれの出来事の前で自信なく立ち尽くすのではなく、「なんとかなる」「なるようになる」と腹をくくって、歩を進めてみることです。そんな話をした。 

閉店の時間(9時50分)が近づいたので、店を出る。一緒に東西線に乗り、彼女は先に九段下で降りた。また会いましょう。

10時半過ぎに帰宅。

2時、就寝。


1月22日(月) 曇りのち雪

2018-01-25 10:59:38 | Weblog

8時半、起床。

以前から「スリック」のマダム(ユキコさん)を「phono kafe」にお連れする約束をしたいたが、今日、それが実現した。「スリック」は月曜と火曜が定休で、「phono kafe」は火曜と水曜が定休。だから彼女が「phono kafe」に来られるのは月曜しかない。すでに「phono kafe」の大原さんはご主人と一緒に「スリック」を訪問しているが、とくに名乗らなかったので、マダムはそのことを知らなかった。改めて二人は初対面のご挨拶。大原さんのお名前はユキエさんなので、ユキコとユキエでご縁がありそうな名前である。

二人ともご飯セットを注文し、おかず6品をシェアすることにした。

セロリ、大根、レンズ豆のスパイスマリネ(左)、おからボール(右)

里芋と長芋の摘み揚げ(左)、カボチャとクルミのサラダ(右)

ニラとこんにゃくのピリ辛和え

 玄米と豆腐のサラダ

玄米ご飯(軽め)と味噌汁。

食事の終りにあずき茶を注文。

ミニデザートも。

「phono kafe」のご飯を満喫されたようである。ご本人もだが、娘さん(大学生)もこういう料理、味付けは大好きなので、連れてきて食べさせたいとおっしゃった。

常連客のトモミさんがお子さん連れで顔を出した。実家からの帰りとのことだったが、お昼に食べたナポリタンがものたりなかったようで、里芋と長芋の摘み揚げと、カボチャとクルミのサラダ、それと金柑のシロップを注文した。

トモミさんも何度も「スリック」には行っているので、二人は顔なじみである。

大原さんにも入っていただいて、写真を撮る。「かしまし娘」みたいだ。

 外は雪が降り始めている。

「phono kafe」には2時間ほど滞在した。今日はありがとうございました。近々、また卒業生らを連れてうかがいますね。「スリック」に行きたいという人が多いんです。

帰宅すると、書斎の机の下の段ボール箱の中でナツが丸くなっていた。猫は雪ではしゃいだりしない。 

先日、卒業生のキョウコさんにいただいたお菓子を食べようと思ったが、蓋を開けてみたら、キーボードのそばでは食べにくものだった。

粉の中のクッキー。バラエティの罰ゲームで手を使わずに食べて、顔が真っ白になるやつね。フォークで美味しくいただきました。

夕方近くになっても雪は降り続いている。

ちょと近所まで出かける。このとき使い古しの靴を履いて出たのだが、これが翌朝、ある悲惨な事件を引き起こすことになるとはこのときは考えもしなかった。

夕食は麻婆茄子、

豚肉と玉子とニラの炒め、

味噌汁、ご飯。

デザートはイチゴ。

夜になって雪は止んだ。

私は月曜日は授業がないでの、大学にはでなかったが、夕方の首都圏の電車の混雑は大変だったようである。

早稲田大学社会科学部の西原博史教授が交通事故で亡くなられた。私とは学部は違うが、昔、二文の学生担当教務主任をしていた頃、全学の会議でよくご一緒した。あまりにも突然の、そして早すぎる死だ。心からご冥福をお祈りします。合掌。 


1月21日(日) 晴れ

2018-01-23 23:53:19 | Weblog

9時、起床。

トースト、サラダ、紅茶の朝食。

トーストには昨日アリさんからいただいたルハーブのジャムを付けて食べる。思ったより甘みがある。彼女の住んでいる筑波の業者が製造しているものである。

彼女からはほかに七味唐辛子もいただいた。これも筑波の業者が製造しているものである。アメとムチならぬ、ジャムと唐辛子だ。

窓辺に並ぶハーバリウムの数が増えている。「ほしい」「作りたい」というリクエストが増えているようである。

 昼食は妻と「マーボ屋」に食べにいく。

海老と野菜の柚子こしょう炒め。新メニューだ。

私の大好きな牡蠣とカシューナッツの甘辛炒め。これも1月いっぱいくらいかもしれない。

もう一品、ハーフサイズで何か注文したい気分だったが、妻から「昼食はこのくらいにしておきましょう」と釘を刺される。

デザートは杏仁豆腐。

妻はすぐに帰宅し、私は「あるす」に顔を出しに行く。

奥様は新聞を読んでいた。歌舞伎の高麗屋三代襲名(二代目松本白鸚 十代目松本幸四郎 八代目市川染五郎)の記事だったが、元日の新聞である。奥様が注文したコーヒーを淹れている間、私のその新聞を読んだ。「J‐POP平成の名盤30」というタイトルの記事があって、3人の評者がそれを選ぶという趣向だった。小室哲哉の『globe』も取り上げられていた。このときには、まさか彼があんな形で引退表明をするなんて思ってもみなかったろう。平成の終わりと小室の引退、符牒の一致である。

モカ(濃いめで)。

店を出るときに奥様から庭になった夏みかんを3個いただいた。

シャッター通り化した商店街を歩く。

花屋に寄って、仏花を買って帰る。冬は花が長持ちする。年末に買った仏花はまだ萎れてはいないが、そろそろ替え時だろう。

この辺りには三叉路が多い。昔の農道がそのまま道路になったのではないだろうか。

ご近所の3人のご婦人が着物姿で前を歩いている。「婦人会の新年会からのお帰りですか?」と声をかける。そのようである。母も毎年欠かさず出かけていた。「お召し物お似合いですね」というとみなさん嬉しそうに照れていらっしゃる。

帰宅していただきもののぜんざいをお八つに食べる。

夕食は鮭、なます、サラダ、味噌汁、炊き込みご飯。

実は今日は俳句仲間のあゆみさんとNHKホールで開かれるNHK全国俳句大会に行く予定であった。去年は私が入選し、彼女は落選したのだが、今回は逆で、彼女が入選し私は落選した。なので今回は彼女のお供でいくことにしていたのであるが、折あしく、彼女がインフルエンザにかかってしまってしまい、中止になったのである。

ラインで彼女に入選句はどんなものであったのかを聞いてみた。

 月走る葉っぱ脱ぎ散らかしながら あゆみ

 プロポーズふつうのせりふ山粧ふ あゆみ

3句投稿して、2つ入選したんですね。

「月走る」の句。「月走る」は「突っ走る」と聞こえる。音が似ているからだが、疾走感の漂う句だからということも作用している。走りながら来ているものを脱いでいく。月のストリーキングだ。この月は変態か(笑)。という感想を送ったら、彼女は「ストリーキング」という言葉を初めて聞いたようで、ウィキペディアで調べて、「こんなことしていいんですか?」と聞いてきた。いいわけないでしょ(笑)。

 彼女による解説。「家の帰り道に、川に沿って長い並木があるんです。夜、真っ暗ななかで自分が走ると、月も同じスピードで走るんですけど、木々の葉っぱにに埋もれて一瞬見えなくなったり、また飛び出したり、点滅するような感じで猛スピードで付いて来る様子が素敵なんです。ザワザワ降りかかってくる葉っぱを振り落としながら、まんまるの裸で並走してくる月が、無敵な感じでカッコいいんです。」

「プロポーズ」の句。平易で素直な句である。あゆみさんにしては珍しい。紅葉の山に二人で行ったとき、「僕と結婚してください」とふつうに(率直に)プロポーズされたという句ですね。

彼女の解説。「そうです。山梨の昇仙峡という場所で、11月の紅葉真っ只中の時に山登りしたんですけど、そこでプロポーズされました。すっごくありふれた言葉でしたが、素朴な性格の夫なのと、紅葉も天気も、自然という自然がこれ以上ないくらいに美しい日だったので、ふつうの言葉が逆に生きてました(笑)」。

ところで聞くところでは、3句投稿して、2句入選したわけですが、唯一落選したのが実は一番の自信作だったそうですね。それはどんな句だったのですか?

 祖母の句帖の消しくずや星月夜 あゆみ

ほほう。

「これ、一番思い入れがあったやつです。」

なまじ思い入れが強いと思いが先行しがちですからね。

「そうなんですよね。ちょっと情景も伝わりづらかったかなと」

たぶん星月夜→星屑で、消しゴムの残り屑をイメージしたんでしょ?

「そこは後からイメージ似ているなあと。偶然だったんですけど。星月夜って銀河系が広がって祖母の生きてる時間に思いをはせたことと合うなあと思って。胸が詰まったんです、その消しくずがひとつ挟まっているのを見て、祖母が生きて感じてきたものに触れた感じがして。今も生きてますけどね。俳句はやめちゃったんです」

思いがあふれているときは俳句より短歌にした方がいいかもしれませんね。たとえば、こんなのどうでしょう、古風ですけど。

 月明かり祖母の句帖に挟まれし消しくずひとつ照らしおるかな  たかじ

「なるほど!これ、来年投稿しようかな(笑)。大賞獲ったらごめんなさい(笑)。」

ところで今回は俳句だけでなく、短歌の部門にも投稿して、入選したんですよね。どんな歌ですか?

 思い出の手袋をしていてほしい君の気持の手掛かりの冬 あゆみ

 薄くても美味い酸素の味をしめこの山頂の住人となる あゆみ

こちらも2つ入選ですか。すごいな。

「思い出の」の歌。「手袋」と「手掛かり」、「手」でつながってますね。付き合いがそれなりに長くなって、ちょっと倦怠期のカップルの話かしら? 付き合い始めた頃にプレゼントしたあの手袋を、今日、彼はしてきてくれるかしら、と。

「さすがですね。そんな感じです!でも、倦怠期どころか実際はもう会わなくなってしまった状況です。でも、よく会っていた街に行くことがあると、相手を偶然見かけることもあるかなと思ったりして、その時に、あの手袋をしていたとしたら、気持ちは同じかもしれない、という超オンナっぽくて、言ってて恥ずかしい短歌です。」

なるほど。勉強になります(笑)。

「薄くても」の歌。これは山小屋の主人の歌ですか?

「そのままの意味ではそうなっちゃうかもしれませんが、山小屋の主人の歌ではありません(笑)。」

猿の惑星に不時着した宇宙飛行士の歌?

「先生、面白いですね(笑)。この歌は壮大な暗喩の表現なんです」

自分で「壮大」といってしまっているところに一抹の不安を感じますが、一体どんな暗喩なんでしょうしょう。解説してください。

「はい。息苦しいけれども、そこにいたい。辛いけれども、そこには自分の望むものがある。それが薄くても美味い酸素です。その味を知ってしまってからは、その山頂からの景色で物事を捉えるようになって、それを知らなかった自分とはもう別の世界の住人になったかのように、いまここに住んでいます、みたいな感じす。人から非難されようと、世間体的に生きづらかろうと、自分が美味いと思った酸素を選んでこの場所で暮らしています、ご心配なく、楽しんでいるので、邪魔しないでください、みたいな自分の気持ちです。」

な、なるほど。

「この短歌、いったい誰がどんなふうに理解して入選させてくれたんだろうってびっくりしました。」

やっぱり、山小屋の主人(夫婦)の歌と理解された可能性が高いね(笑)。

・・・そんなおしゃべりをラインでした。もう症状は軽くなったようですね。

(背後の窓から室内に入ってきた)半野良猫のナツが私になついているところを妻が撮った写真。

2時、就寝。


1月20日(土) 晴れ

2018-01-22 16:12:54 | Weblog

9時、起床。

パンと紅茶のみの質素な朝食。(今日はランチをしっかり食べる予定なので)

11時半に卒業生のアリさん(一文、社会学専修)と蒲田駅の改札で待ち合わせる。彼女は今日、遠路はるばる筑波から蒲田までやってきてくれたのである。

ランチはどこで食べましょうとその場で相談して、「西洋料理SUZUKI」にしましょうということになる。お店に電話をして、大丈夫とのことなので、決定である。今年初めての来店である。お店の方から「いつもありがとうございます。今年もよろしくお願いします」と挨拶される。常連というほどの頻度では来ていないが、一応、顔なじみの客ということだろう。

ランチメニューではなくアラカルトで注文する。

私はコーンポタージュスープ。

彼女はオニオンスープ。

ビーフシチューと海老フライを注文し、シェアする。中華料理では料理をシャアするのはふつうだが、西洋料理ではどうなのだろう。たぶんインフォーマルではないかと思うが、かたいことは抜きである。あれこれ食べられた方が楽しいに決まっている。

やわらかに、やわらかに調理された牛肉と、

サクッと揚がった大ぶりの海老フライ。この食感の組み合わせは実によい。

いつもであれば、食後にコーヒーを注文し、それに付随するプリンアラモードをいただくところであるが、この後、「スリック」にいくことになっているので、コーヒーは割愛する。

今日は夕方、4時くらいまで蒲田にいられますとのこと。家族の夕食はカレーを作っておきましたとのこと。

彼女は月に一、二度、二人のお子さんをご主人に預けて、東京の方へ出掛けて、買い物をしたり、友人に(ときに大学時代の先生に)会ったりしている。そのときは「〇〇アリ」でなく、旧姓の「△△アリ」になるのだそうである。そういうスイッチの切り替えはよいことである。名前はたんなるラベルではなく、アイデンティティ(私は・・・である)の一部である。結婚を機に名前が変わるというのは圧倒的に女性的経験だが、新しい名前は家族役割(妻、母、嫁)をアイデンティティの中心に据えるものである。それは自然な成り行きではあるが、家族役割で自己の全体を覆いきれるものではない。家族役割に還元できない自己の部分にも何らかの表出の機会を与えないと、自己は窒息してしまうだろう。理解のあるご主人でよかったですね。

週に一度、ジムに通っているそうだが、もしボクシング・エクササイズでも始めたら、そのときは「モハメド・アリ」になるのかしら(笑)。

「スリック」に到着(ここは予約を入れておいた)。

モノトーンの店内に今日のファッションはお似合いです。

マダムに彼女を紹介する。

彼女はラプサンスーチョンを注文した。名前と香りだけは知っているが、飲むのは初めてだそうである。思い切った決断である。ラプサンスーチョンはマダムのイチオシの紅茶であるが、スモーキーな香りが独特で万人向けとはいえない。

私もお付き合いしてラプサンスーチョンにした。ここでいただくのは三度目だが、馴れたのか、あるいは今日は普段より薄めだったのか、飲みやすかった。

シフォンケーキは私は瀬戸内冬レモン。

彼女はプレーン(トッピングは三種のベリー)。私のブログの愛読者である彼女はマダムが「初めて来られた方がプレーンを注文すると『うむ、できるな』と思います」と書いたのを覚えていたのかもしれない。

彼女がバッグの中から数枚の写真を撮り出した。彼女の結婚式のときの写真である。もう10年以上前になる。私は彼女の結婚式に出席してスピーチをしたのだが、当時はまだいまのようにカメラを持ち歩いておらず、結婚式のときの映像は記憶の中にしか残っていない。今度会うとき写真をもってきれくれませんかとリクエストしておいたのである。うん、記憶の中にあるとおり、美しい花嫁である。

彼女の結婚式に出た日のブログは→こちら

彼女がバッグの中に入れて来たのは結婚式のときの写真だけではない。去年の10月から始めたという日記帳も入っていた。前回、私と会ったのが9月30日で、その翌日の10月1日から日記を付け始めたのである。これまでも何度か日記を付けようとしたことはあったようだが、長くは続かなかった。今回はそれがすでに年をまたいで続いている。どうやら定着したようである。よかったのは、一日一頁タイプではなく、左頁が一週間分のスケジュール帳、右ページがメモ欄になっているタイプのものを選んだことだろう。一日一頁タイプのものはモチベーションの高いスタート時点はよいが、しばらくすると一頁を埋めるのがしんどくなってくる。週間スケジュールタイプのものなら一日分のスペースが小さいから圧迫感はない。もしたくさん書きたいことがあったら右頁のメモ欄に書けばよい。

彼女がバッグの中に日記帳を入れて来たのは、「続いてますよ」というのを私に報告するためである。学生のレポートみたいである(笑)。実際、彼女に限らず卒業生と会っていると学部時代の「補講」をしているような気分になることがある。

マダムにわれわれの写真を撮ってもらったので、マダムとアリさんのツーショットも撮らしていただく。

アリさんは厨房の中の包丁が気になっているようである。自分もああいうふうにキッチンに包丁を並べてみたいという。そ、そうですか。私にはちょっと恐怖感がありますけど。

恵比寿のギャラリーでカフェ仲間の清水直子さんたちのグループ展をやっているので、ちょっと行ってみることにする。 ギャラリー「Malle」(まぁる)は右の道をちょっと入ったところにある。

彼女はこれまでに何度か、私と、あるいは一人で、清水さんの作品展に出かけているのである。 

彼女は清水さん作のご飯茶碗を購入した。風船がカラフルである。

在廊していた清水さんとお店の外で写真を撮る。

私はプードル柄の小皿を購入。

私は保立葉菜(ほたて・はな)さんの木版画が気に入ったので、手頃な値段のものを一枚購入する。

「喫茶店シリーズ・ホットケーキ」

作家さんご本人が在廊されていたので、ご一緒に写真を撮っていただく。同じ「喫茶店シリーズ」に「タマゴサンド」「ナポリタン」「コーヒーゼリー」があり、「タマゴサンド」にするか「ホットケーキ」にするか迷ったが、「ホットケーキ」をオーダーした。昔話風の物語性の豊かな作品である。グループ展は28日(日)まで。

まだもう少し時間があるということで、恵比寿ガーデンプレイスに行ってみることにした。駅からの動く歩道ではなく、下の道を歩いて行く。途中でポートレートを撮りながら。

モデルスイッチが入ったみたいですね。

ガーデンプレイスに到着。

園内はポートレイトにもってこいの場所がたくさんある。

仮設のスケートリンクが作られていた。氷ではなく大理石のようn模様の石のリンクである。彼女の目が輝いた。

実は、彼女は高校生時代、カナダにいたのだが、そこでスピースケートをやっていたそうである。

タワービルの最上階に上ってみる。 

38階からの眺め。 

時刻は4時を回った。そろそろ時間ですね。

東京都写真美術館前。

私は展示会を見ていきますので、アリさんとはここでお別れです。

次回は軽やかな服装の季節に会いましょう。

閉館までの1時間半で、3つの展示会を見て回った。

 「生誕100年 ユージン・スミス写真展」

 「アジェのインスピレーション ひきつがれる精神」

 「日本の新進作家vol.14 向くと経験の写真」

どれも見ごたえたっぷりだったが、ユージン・スミスの存在感は圧倒的だった。

いずれの展示会も今月28日(日)までだが、なんとか平日にもう一度来て、じっくり見て回りたい。

さあ、帰ろう。

夕食は豚しゃぶ。

2時、就寝。


1月19日(金) 晴れ

2018-01-21 03:32:34 | Weblog

8時半、起床。

サラダと紅茶の朝食。(パンを切らしたままだった)

卒業生のエミさん(論系ゼミ2期生)がカズマ君を連れて蒲田にやってきた。「phono kafe」でランチ。

カズマ君は9か月。1か月半前(12月初旬)にあったばかりだが、はたして私のことを覚えているだろうか。最初、キョトンとして顔で私のことを見ていたが、すぐになれてくれた。人見知りはないみたいである。

しっかりお座りができるようになっていた。赤ちゃんの発達の速さには本当に目を見張るものがある。

奥の和室が赤ちゃんや幼児連れには最適である。

ご飯・パンセットを注文(おかずは6品注文してシェア)。

里芋と長芋の摘まみ揚げ(左) さつま芋のきな粉サラダ(右)

揚げ茄子のネギ味噌和え(左) ニンニクとこんにゃくのピリ辛和え(右)

ポテトとカブの豆乳グラタンは2つ

彼女は玄米、私はパンをチョイス。

食べ始める前に大原さんに写真を撮っていただく。昭和のムードというか、「四畳半」的叙情の感じられる写真ではないだろうか。

食後にあずき茶。

彼女からお土産に紅茶をいただいた。

 

さて、失礼しましょう。 

ごちそうさまでした。

 

「スリック」へ。彼女は前回に続いて二度目の訪問である。

カズマ君はあいかわらず機嫌がいい。

エミさんもカズマ君がかわいくてしかたないようである。3月末で育休を終えて、カズマ君を保育園位預けて職場復帰することになっているが、大丈夫かな(笑)。

飲み物は私はベリーサワーソーダ、彼女はキームンを注文。

 シフォンケーキは私はプレイン(三種のベーリーのトッピング、ホイップクリームをサンド)。

彼女は和三盆(「木村屋」の甘納豆をトッピング、ホイップクリームをサンド)。

 彼女が「ここは私が」と支払いをしてくれたが、実は、ランチよりこちらの方が金額は高いんですけど・・・。

われわれが店を出る前に他の客たちが店を出たので、セルフタイマーで4人の写真を撮る。

マダムが外まで見送りに出てくれる。マダムの名前は神田有紀子さんというのだが、常連客たち(女性たち)からは「ユキコさん」と呼ばれている。私は「神田さん」ときに「マダム」と呼んでいるのだが、ご本人は「神田さん」や「マダム」よりも「ユキコさん」の方がしっくりくるらしいので、これからはそう呼ばせていただきます。 たまに間違って「ユキエさん」と呼ぶことがあるかもしれませんが、それは私の妹の名前が「ユキエ」だからです。

一緒に蒲田駅まで戻り、私は東京方面の京浜東北線に、エミさんとカズマ君は川崎方面の京浜東北線に乗りこんだ。

残り2か月半ほどの母子べったりの日々をどうぞ大切にお過ごしください。カズマ君にとって生まれてきたこの世界は愛すべき世界であり、彼自身も愛されるべき存在であると思っていることでしょう。人生の至福の時間です。

さて、大学へ。

スロープには3月末で定年退職となる3人の先生の最終講義の立看が並んでいる。

5現・6限はゼミ。ゼミも今日を入れて残すところ2回である。先週に続いて4年生6人のゼミ論概要発表。

今日のスイーツは4年生のKさんが用意してくれた。

豆にチョコレートがコーティングされている。かわいらしく上品なお菓子だ。

9時に大学を出る。夕食は大手町ー東京の乗り換えの途中で「屏南」で。

担担麺を注文。

先週の金曜日も大学の帰りにここで担担麺を食べた。同じパターンが何回か続くことはよくあることである。

 10時半ごろ、帰宅。

「phono kafe」で撮った写真はピンボケだったので、エミさんにいただいたお土産の写真を改めて写真に撮る。「ピーチメルバ」という名前のルイボスティーの一種。本当にピーチメルバ風味なのだろうか?

2時、就寝。